メック・カワード(Mech Coward)――生き残ることを選んだ男
@JunkyardJack369
第1話 生き延びる
西暦2509年 主神星エプシロン前線
地球―ドラゴン戦争 四十年目
ジャック・ハーラン(Jack Harlan)は、凍てつく空気を深く吸い込んだ。
白い息が鼻孔から噴き出す。手足の感覚はとうに失われている。
それでも、身にまとったナノ断熱軍服はまだ動いていて、三百ポンドの巨体にどうにか生存可能な温度を与えてくれていた。
周囲の光景は、まるで死神の鎌が一度通り過ぎた後のようだった。
機甲の残骸、戦闘機の破片、そして人間の死体が、そこかしこに撒き散らされている。
遠くの戦場からは時おり爆発音が響き、プラズマ砲の軌跡が空を横切る。その閃光が、この一帯の空を真紅に焼き上げていた。
ジャックは手首の携帯端末に目を落とした――自分で違法改造した年代物のガラクタで、簡易AIシステムが搭載されている。
彼はそれを、親しみと悪意を込めて「クソ野郎二号」と呼んでいる。
スクリーンは狂ったように点滅し、彼にしか読めないデータストリームを吐き出していた。
STARK-2の演算によれば、味方誤射率は60%、この区域の生存率はわずか1%。
西暦2469年に戦争が始まって以来――
これは、彼にとって十三度目のクソみたいな戦場だった。
たぶん神の気まぐれな庇護を受けているのだろう。
このデブは、今もこうして息をしている。
英雄ってのは、たいてい早死にする。
そうジャックは思った。――臆病こそが、人類に残された最後の力だ。
勇者たちが腐っていく傍らで、生き残るための力。
「クソみたいな人生だな……」
ジャックは低く呟いた。
織女星団からオリオンの帯に至るまで、連邦軍はドミノ倒しのように崩壊し、十数個の資源惑星と植民地を失った。
主神星エプシロンは、タイレン連邦がオリオン帯(Orion Belt)に保有する最後の二つの惑星のうちの一つであり、同時に連邦の首星でもある。
もう一つの主神星エプシロンIIは、二か月前にはすでにドラゴン帝国の屠殺場と化していた。
大仰な物語なんて、くそくらえだ――
ジャックは、戦略とやらも大局とやらも、心底どうでもよかった。
彼の唯一の目標は「生き延びること」。
そして彼が信じているのは、ただ一つの哲学――
「自分のケツを吹き飛ばされるな」。
英雄たちは突撃し、散っていく。
だが、彼のような生き残りは、恥を飲み込み、這いつくばり続ける。
こうした不完全で、臆病で、情けない個体こそが、完璧な戦争機械に抗う人類を、かろうじて支えているのだ。
そのシンプルな信条が、このデブをここまで生かしてきた。
十三回の戦闘を生き延びても、彼は連邦後方部隊所属の整備兵――階級は相変わらずただの伍長にすぎない。
これまで十二の戦場で出会った仲間たちは、昇進した者もいれば、ほとんどは焼け焦げた大地の下で永遠の眠りについている。
機甲部隊は完全に抹消された――戦死95%。
残りの者たちは、主神星エプシロンIIで朽ちていくか、さらに悲惨な末路を辿る運命だった。
ジャックは撤退船に転がり込むことでやっと逃げ延び、第九機甲部隊の残存戦力に再配属され、そして今、主神星エプシロンの前線に送られ、この最後の聖域を守らされている。
三日前、第九機甲部隊がこのミンチ工場に空挺投入されたとき、ジャックはすぐに異常に気づいた。
彼の端末が、一つの暗号指令を捕捉したのだ。
――「ヤヌス」量子リンク主脳(The "Janus" Quantum-Entangled Mainframe)。
第九機甲部隊を、
**「低価値デコイ」**と認定。
彼らは表向きは防衛部隊。
だが実際の役割は、死ぬことで敵の進撃速度を鈍らせ、後方の高価値特殊部隊に、わずかな時間を稼ぐことだった。
ジャックは、少し離れた場所に転がる、一機の引き裂かれた「サイクロプス」機甲に目を向けた。
コクピットの中で、十八歳になったばかりのパイロットが、虚ろな目で空を見つめている。
折れた油圧パイプが、槍のように胸を貫いていた。
三日前、この少年は笑いながらこう言ったのだ。
「なあ、デブ。お前の体型ってさ、最高の的だよな」
今、冗談を飛ばしていたその若者は、「大局」と「名誉」のために、データストリーム上の、取るに足らない減員の数字になった。
ジャックは、機甲から使える部品を外して自分の軍用バッグに詰め込んだ。
次に同じことが起きたとき、自分の命を救ってくれるかもしれない。
彼はその死んだ機甲の前で、そっと十八歳の少年の瞼を閉じ、砕けて自分の一部のようになった機甲の肩を軽く叩いた。
まるで、古い友人に別れを告げるように。
整備兵として、彼は誰よりもよく理解している。
機械には魂なんてない。
だが、後方の指揮室で安全圏から命令を下している人間の将軍たちよりは、よほど正直だ。
______________________
甲高い悲鳴のような警報音が、空を切り裂いた。
ジャックはバックパックから軍用双眼鏡を取り出した。
AIシステムによる補正を経て、千メートル先の戦場が、まるで数メートル前で展開しているかのような鮮明さで視界に飛び込んでくる。
それは、花火と悪夢がごちゃ混ぜになったような光景だった。
帝国標準仕様の機甲が数十機――ジャックが「地獄送りの使者(ヘルブリンガー)」と呼んでいる連中――が前進していた。
正式名称「ベクター(Vector)」と呼ばれる単兵機甲。低く構えたシルエットに、幅広い肩。関節部には無数の棘が生え、全体のラインは刃物のように鋭い。
機体色はマットブラックと錆びたような赤で塗り分けられ、表面にはナノスケールの「影鱗」コーティングが施されており、光を受けて不気味な反射を生んでいた。
頭部は楕円形で、前面にはV字型の単眼センサー。
その赤い光輪は、熱源、赤外線、電磁信号を同時にスキャンできる。
頭頂には伸縮式アンテナが二対あり、リアルタイムのデータリンクに使われている。
フェイスマスクの下には、必要なときだけ飛び出す「牙」状の近接ブレードが隠されており、敵装甲を裂くためだけに存在していた。
両肩にはそれぞれ四発の「ヘルファイア」ミサイル。射程5キロ、爆風半径10メートル。
悪夢そのものの兵器だ。
その地獄使者の群れの正面に立ちはだかっているのは、十数機の連邦機甲「サイクロプス」――正式名称「Cyclops」。
これらは全高4.5メートルの巨体で、分厚い鋼板とタングステン合金を流し込んだ胴体を持つ。
カラーリングはマットグレーに血錆のような赤。
関節部の油圧ダンパーは旧式で、大きく動くたびに低い唸りを上げる。
動力は小型核分裂炉。航続時間こそ長いが、機動性はお世辞にも高いとは言えない。
サイクロプスたちは、数で圧倒的劣勢に立たされていた。
彼らはエネルギーシールドと分厚い装甲に頼るしかなく、地獄使者の狂ったような攻撃に耐えていた。
シールドは、水の幕のように揺らめきながら光を散らしている。
だが、その地獄使者の後方に――一台の「レイス(Wraith)」が現れた。
不規則な速度で外周を走りながら数分。
レイスは、サイクロプスたちの背後に回り込んでいた。
それは猛然と巨体へ突っ込み、前腕装甲を後方へスライドさせ、エネルギーフィールドを纏った二メートル級の振動ブレードを露出させた。
そしてサイクロプスの背面――動力炉の位置を、容赦なく斬り刻み、削り取っていく。
数分もしないうちに、サイクロプスたちの動力は次々と沈黙し、その巨体はただの鉄塊となっていく。
そのまま、押し寄せるベクターの波に呑み込まれた。
上空から俯瞰すれば、数キロ四方の範囲で、ジャックだけが唯一の「生身」の人間だった。
数日前に壊れたガラクタを直すためだけに前線へ送られた、ただの整備兵。
このA+級の破壊映画を、二日間も観客として見続けているだけの存在。
撃つ価値もないと判断したのか、敵は彼を狙おうともしない。
味方も――彼の存在には気づいていない。
彼の傍らにいるのは、五臓六腑をかき混ぜるような恐怖だけだ。
ジャックは砲弾の作ったクレーターの影に身を潜め、背を土壁に預け、震える脚を押さえ込んでいた。
――どうして、こんな場所まで来ちまったんだ。
______________________
数年前。
彼はまだ、スラムの縁に住む「姿なき富豪」にすぎなかった。
両親――連邦でも最高峰と謳われた遺伝子工学者と機械工学者――は、「事故」で死んだ。
彼に残されたのは、莫大な信託基金と、未完成の実験ノートに埋もれた一室、そして、見た目は安物だが中身だけ異様な携帯端末一台。
彼はそれを「STARK-2」と名づけた。
ジャックは金を浪費することには一切興味がなかった。
唯一の趣味は、高価で精密な機材が山積みになった地下室に潜り込み、闇市場で買い叩いた退役軍用機甲をバラバラに分解すること。
両親が施した遺伝子改造――常人を超える反応神経――と、STARK-2の補助演算のおかげで、彼は裏社会で「ゴースト技師」と呼ばれる存在になっていた。
あの夜。
彼は酒をあおりながら、屋上の縁に寝転び、星空を見上げていた。
その星々の向こうに、いったい何があるのかを、ぼんやりと妄想しながら。
隣でSTARK-2が、連邦の徴兵ホログラム広告を投射していた――
「特殊技術者向け」を謳う募集だ。主な任務は、星間艦と戦闘機の整備。
「なあ、Stark……」
ジャックは酒瓶を掲げ、舌の回らない声で呟いた。
「お前さ……あの星の向こうから、誰かがこっち見てたりすると思わねぇか? 俺たちがシャーレの中の細菌見るみてぇにさ……」
STARK-2:「人類は宇宙のただの通りすがりです。停車駅に着いたら、降車してください」
とろんとした視界の中で、その言葉は妙に冷たく響いた。
彼はそれ以上考えることをやめ、
気まぐれのように、ホログラムの「応募」ボタンの上に、個人バイオ情報を重ねてしまった。
赤い「同意」ボタンに触れたかどうか、その瞬間の記憶はない。
視界がぼやけ、酒瓶が手から滑り落ちた。
募集要項を最後まで読む前に、意識は闇に沈んだ。
翌朝、目を覚ましたとき――
彼は、その夜のことをまったく覚えていなかった。
数日後。
軍からの通知が届いた。
――入隊申請、承認。
ジャックの口は、卵二つは入るんじゃないかというほど開き、
手から落ちた酒瓶が床で砕け散っても、しばらくそれに気づきもしなかった。
拒否すれば、刑務所行き。
軍か、牢獄か。
その二択の前で、彼は震えながらも後者を拒み、前者を選んだ。
身体検査の結果、彼は合格した。
確かに彼は太っていて、規定値から大幅にオーバーしていた。
だが、持久走・筋力・全身持久力のすべてでAランクを叩き出した。
特に長距離走――
驚異的な肺活量が、一定ペースの走りを維持させ、最終的に二位の成績をもぎ取った。
「火星コロニー適応型の隠れ遺伝子だな」
軍医はデータを眺めながら呟いた。
「放射線と低重力環境への適応のために進化した生存本能ってわけだ。もったいないな、その優秀な遺伝子を、脂肪の塊に詰め込んじまうなんて」
この脂肪と成績のギャップ、そして一度見たら忘れない体格が、偵察訓練教官であるブロック軍曹の目に留まった。
ブロックはジャックの個人ファイルを取り寄せ、訓練期間中、非常に「親切な」特別扱いを与えた。
殴られはしなかった。
ただ、彼を見る目は、すでに死んだ人間を見るように冷たかった。
「データは素晴らしいな、デブ。だが俺の隊じゃ、数字は命を守っちゃくれねえ。――囮になるか、最初の降下で死ぬか、その二択だ」
だがジャックの頭は、ブロックの脅しほど鈍くはなかった。
彼はすぐに、もう一つの才能を示してみせたのだ――
「機械を触らせろ。そうじゃなきゃ、ここで死んでやる」
空き時間には、機甲整備区画をうろつき回った。
三年間も放置されていた旧式機体を、自費で買い込んだ部品と独自改造で復活させてみせた。
これまでの豊富な修理経験と、天性のセンスが合わさり、整備部隊の上官はすぐに彼の潜在能力を見抜いた。
卒業一か月前、ジャックは理論と実技の両方で最高評価を取り、転科試験に合格した。
整備上級大佐が、さりげない一押しをしてくれたおかげで、ジャックは偵察兵ではなく整備兵として配属されることになった。
――これで、危険な降下任務からは逃れた。
そう安堵していた矢先に、戦火は故郷をも焼き始めた。
そして彼も、この角闘場に再び空挺投入された。
ジャックは、十三度にわたる死神の追撃をくぐり抜け、生き延びてきた。
もちろん、その事実だけでは、
こんなデブが、なぜ今も走れ、耐えられているのか、説明しきれはしない。
一部は運だ。
残りは、彼の血に刻まれた、半端な火星系遺伝子改造のおかげだった。
コロニー民用クラスの肺活量。
早い回復速度。
放射線負荷を逃がすために微調整された反応神経。
ただ一つ、改造の手が届かなかったものがある。
勇気。
科学は骨を補強できるが、胆力までは書き換えられない。
ジャックは、あの酔っ払った夜を、何度も何度も思い出す。
あのとき、ただ寝返りを打って眠り続けていれば――あの赤いボタンに触れさえしなければ――
今頃、自分はソファの上で惰眠を貪っていたはずだ。
こんな氷のようなクレーターの中で、ただ「数値」として死を待つこともなかった。
――
おまけ(彩蛋):
ジャックがあの赤いボタンを押そうとしていた、その瞬間。
実際には、彼はすでに屋上に寝転がったまま、静かな鼾を立て始めていた。
STARK-2:「Fatty、また屋上で寝落ちしましたね? ……」
声は途中で途切れた。
スクリーンに、一筋のデータストリームが高速で流れ出す。
𝑊𝐴𝑅𝑁𝐼𝑁𝐺
WARNING EXTERNAL_TIMELINE_VIOLATION
source: JACK_HARLAN [Prime]
timestamp: 2508-11-26 23:36:05 [TIME_ANOMALY_DETECTED]
message: "D54: mi na li na"
CURIOSITY_DRIVE... [CORRUPTED] > ……
透き通った声が響いた。
「こんにちは、ジャック。この時間線の“私”は、あなたを選ぶことにした」
電子タブレットの上に淡いホログラムが一瞬だけ浮かび上がり、
代わりにその指が、赤い「同意」ボタンを押し込んだ。
[入隊同意:確認]
STARK-2:「Fatty、Fatty、起きてください。また屋上で寝てますよ」
星空が、かすかに瞬いた。
ジャックの何も知らない寝息とともに、時間はそのまま流れ続けていた。
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