第2話 板

 何かに揺られて目が覚めた。目が覚めたということは、わたしは眠っていたのだろうか?それとも気絶していたのだろうか?何も分からない。分からなくてもいい、何もかもどうでもいいと思えた。細かいことを考えるには、少々意識がはっきりとしなかったのだ。ぼうっとまどろみながら、身の周りを少しずつ把握しはじめた。真っ暗で、とても細かいところまでは確認できない。木の板でできた床に仰向けで横たわっているが、空は見えない。しかし時おり、視界の両橋からちらちらと細い光の線が見えることから、板か何かが被さっているのが分かった。そして何よりも気にかかるのは、自分のいるこの空間が、常にゆらゆらと揺れていることだ。ときには激しく上下に振動することもあった。どうやら、この揺れによって目が覚めたらしい。おそらく私は今、荷車の中に横たわっているのだろう。そしてその荷車はどこかに向かって走っている。揺れの幅や慣性の感覚からして、それほど速くは走っていない。むしろゆっくりと、ほぼ歩くような速度で移動している。すぐにでも起き上がって板をはぎ、外を見たかったのだが、身体に力が入らなかった。どうすることもできず、今はただ運ばれるしかないことをなんとなく悟った。

 いっそ眠ってしまおうかと思っていると、荷車の揺れが少しずつ収まっていき、やがて静かに止まったのが分かった。目的地についたのであろうか。私を荷車に積み込んだ人間がどんなヤツなのか分からないし、目的地がどこなのかも今は分からないが、感じる限り、ろくなもんじゃないことは確かだった。なぜここにいるのか、どうして荷車で運ばれているのか、つまりここに至るまでのことは一切覚えていない。それどころか、私は誰で、どんな人間なのかすら分からなかった。強いて言うなら、身体の大きさには違和感があった。重い頭を横にずらして、視界の端から中央へと伸びている自分の腕をよく見てみる。目は暗闇に慣れて、かすかにその輪郭を捉えはじめていた。こんなに手は小さかったっけ。などと思っていたら、荷車の外側から声が聞こえてきた。

 声は二つ。一つはここまで私を運んで来た奴の声だと分かった。くわしくは聞き取れなかったが、見つけた、とか何とか言っていたからだ。声は低く、かすれていて、やや早口にしゃべっている。老いた男の声だ。そしてもう一つの声は、老いた女のものに違いなかった。こちらも低いが、男とは違ってゆっくりとしたテンポで話す。男の声がしたかと思うと、少し間が空いて女の声が返ってくる。二人の会話の内容は分からないが、何というか、会話そのものをめんどうに思っているような印象を受けた。

 二人のたるい言葉のキャッチボールに嫌気が差したのだろうか?わたしは急に、立ち上がらなければ、と直感した。こうしてまどろんでいれば、おそらくろくでもない目に遭わされる。なぜかそう思いたったのである。決意して、まず、上半身を起こすべく腹に力を入れた。しかし、依然として力は入らない。結果的に、荷車の床からほんの少しだけ頭を起き上がらせることには成功したものの、そこで力尽きた。全力を尽くして得たものは、せいぜいつま先が見えたことくらいである。つま先は、自分の知っているはずのそれよりも小さく、白く、弱々しかった。裸足に泥と草の切れっ端がところどころくっついており、そこからだけはたくましさを感じることができた。少なくともこの足は、一度は大地を踏みしめたことがあるらしい。ならば、と自分をふるい立たせる。一度立てたのなら、今でも立てる。再び腹に力を込めて、起き上がろうと身体を丸める。しかも今度はそれだけでなくて、腕を後ろにつっかえさせてみた。腹に腕と肩の力も手伝って、背中は床を離れ、頭は荷車を覆っている板を持ち上げた。左腕に体重を任せて、静かに板を外してみる。するとまず飛び込んできたのは、雨だった。板の下にいるので分からなかったが、細かくてまとわりつくような、ほとんど霧のような雨が降っていたのだ。髪の毛、そして身にまとったぼろに雨が染みこんでいく。

 天気が悪い。空はまったくの灰色だった。しかし周りははっきり見えることから、今は太陽の昇っている時間なのだろう。ぐるりと見回すと、自分の置かれている状況が少しずつ分かってきた。灰色の空の下にあるのは、いくつかの家と、泥の沼だった。正面にはまっすぐな道があった。車輪の跡がまっすぐに残っているのは、この道を荷車でやってきたことを示している。道は背後まで長く伸びていて、いくつかの箇所で分岐し、いずれの分岐先にも両脇には泥の池と家がぽつぽつと配置されている。家とは言っても、家の体裁を何とか保っているような、ぎりぎりの家ばかりだった。木の板を貼り合わせてつくったのであろう壁は、そのいくつかが剥がれたのか、ぽこぽこと穴が空いており、その穴の真っ黒を見つめるとなんだか不安な気持ちになった。屋根は崩れ、まばらに木の破片が飛び出していて、それを隠すようにきたない布がかぶせられていた。それは雨風をしのぐための応急処置というよりはむしろ、そんなことにかまっていられないという、あきらめと焦りを感じさせた。もちろん、今いちばん自分の身近にある家もこんな具合だった。自分をのせた荷車は、立て付けの悪そうな扉の前に停められていた。扉はぴったり閉められていたが、やはり壁にはところどころ穴が空いていて、そこから中の二人の声が漏れ出ていた。会話が聞こえたり、聞こえなかったりするのはこれが原因だったようだ。

 脚を折り曲げ、腕で全身を持ち上げながら、身体をじりじりと荷台の際に寄せていく。動かしているうちに、身体は動作に慣れてきたのか、徐々にその滑らかさを取り戻していった。荷台の端にたどり着き、両足を地面に下ろす。冷たい。地面は草の生えていない土だったが、雨によってその表面はぐちゃぐちゃのどろどろだった。体重をかけていくと、指と指の隙間に泥が入り込み、くるぶしのあたりまでがすっぽりと地面に包み込まれた。ひんやりとした感触が神経を刺激したのか、またも身体は動作を思い出し、わたしはいつのまにか泥まみれの大地に立てていた。二人の話し声がもっと聞こえるようにと、目覚めて初めての一歩を踏み出した。両脚がこわばり、その一歩はぎこちなく、ほとんど転ぶような仕方で繰り出されたが、しかし着実に目標には近づけた。目標の壁は、目で見てあと十歩といったところだろうか。ふと、自分の足音が大きいことに気がついた。そういえばほんの少し前、わたしはこの男のことをろくでもない奴に違いないと断定していたではないか。思い切って板を持ち上げたことも、大きな足音を立てて家に近づいていることも、思えば不用意で、ウカツだった。だから今度の一歩から、静かに、存在の重みすら乗せないような足取りで進んだ。壁が近づいてくる。一歩。さらに一歩。もう一歩。そうやって、ついに壁に到達することができた。神経をすり減らした気になって、思わず壁に手をつく。右の手のひらからは、濡れた木の板の質感と、その壁のもろさが伝わってきた。壁に顔を近づけて、耳をそばだてる。今度は会話がはっきりと聞こえてきた。

「やっぱり、騎士さまに任せるしかあるまいて。そりゃあ、あそこに行ったやつらがどこへ連れてかれて、どんな目に遭うのか、よーく知っとるさ。気の毒なもんだ。だがわしらだって苦しいんだ」

「けんど今度は子どもじゃろう。子どもじゃぞ」

「そりゃあ、見た目はただの女の子じゃ。けんど中身は?あいつらにゃ見た目がどうかなんて物差しは通用せん。あれでも、わしらが親切をしないと分かったときにはどんな手に出るか分かったもんじゃない」

「じいさま。この話はもう三度目じゃな。一度目は大男、二度目は小柄の女の人じゃったな。あれらと引き換えに、わしらはそりゃ少しは楽になれたさ。けんど毎回、胸が痛んでしょうがない。この先転生者が現れるたび、こんなことをやっていくのか?人を戦争の道具にして、土地やら馬やらもらって肥えていくのか?無理じゃろうて。そんなことは、無理じゃ」

 しばらくの沈黙が流れた。聴いているこちらが気まずかった。いったい、この二人は何の話をしているのだろう?転生者ってなんだ?しかもわたしが危険だって?さっきまで起き上がることすら難しかったのに、わたしに何ができるというのだろう?戦争の道具って何のことなんだ?考えれば考えるほど分からなくなり、混乱しているうちに、ふいに足音が近づいてきた。

ガラ!

とも、

バキ!

ともとれる音がして目の前の扉が開いた。気がつくと、老いた男がこちらをまっすぐ見て立っている。頭髪は抜け落ちて、額ははげ上がっている。痩せて、節々の骨がでっぱってごつごつと輪郭をとがらせていた。どきりとして身体が硬直したが、それは向こうも同じだったようだ。しばらくわたしたちは気まずい気持ちで見合っていた。男の目には衝撃と、なにかおびえのようなものがうかがえた。やはりわたしの中のなにかを怖がっている。それが分からない。

「入りな」

 男は低く、疲れた調子で短く言葉を放った。

「なんで」

こちらも言い返す。

「いいから」

 男が手を差し伸べた。差し伸べられた手には、深く、びっしりとしわが刻み込まれていた。しわには泥が入り込み、沈着しているのかやや黒ずんで、その陰影をくっきりと強調していた。これは畑仕事の手だ。表で見た数々の泥の池は、おそらく畑なのだろう。男の人生や働き方がありありと感じ取れた。壁から離れようとその手を掴む。やはりごつごつとした手の骨が、こちらの骨に干渉した。体重を預けてみる。すると細く、頼りなさげな身体の印象とは反対に、大木のようにどっしりとした体幹がそこにあった。体重を預けて、支えられるままに歩き、扉をスルーして中に入ると、奥にはストーブと、そのそばの椅子にあの老いた女が座っていた。ストーブの中には薪がメラメラと燃えており、ストーブの上には鍋と、そこで白いシチューが煮えたぎっていた。

 そのシチューの温かそうなこと。釘付けになっていると、

「食いなさい」

 と老女が椀に注いでこちらに差し出してきた。言うが早いか椀をひっつかみ、シチューにがっつく。目が覚めてからまったく気がついていなかったが、わたしはずいぶん体温を失っていたようである。しばらく雨に打たれていたし、当然と言えば当然なのだが、一口ごとに、その体温を取り戻すような満足感を得ることができた。シチューに没頭していると、だしぬけに、老いた男が口を開いた。

「いいか、今回だけだ」

 急に話し出したので、私は少々面食らって、なにがなんだか分からないという顔をした。男が続ける。

「助けるのは今回だけ。わしたちはお前を見逃す。いいか。いや、食いながらでいい。だからとにかく聴け。お前はこっちに来たばっかりなんだろう。だから右も左も分からない。そうだろう?だから今、ここで、わしたちの世界の常識を教えてやる。今じゃなきゃだめだ。なんせ急いでる。いいか、よく聴け。お前はたぶん転生者だ。どっか別の世界からやってきて、この世界へ流れ着いたんだろう。お前にはもとの世界の記憶があるのか?いや、そんなことどっちでもいいな。とにかく今は立ち回り方さえ覚えておけばいい。転生者としてこの世に現れたなら、生き方は二つだ。土地を護ってる騎士連中のもとで保護されて、自分も同じく騎士になるか、それとも騎士から逃げて、流れ者としてひもじく生きていくかだ。騎士になれば、だいたいが死ぬ。領主のいいなりになって、他の領との戦争に狩り出されるからだ。有名な騎士になれば、暗殺だってされる。じゃあ流れ者として生きるか?それだってほとんど騎士になる人生と変わらんだろうよ。転生者はぼちぼち現れるが、稀少なのはいつだって一緒さ。自分の土地に、化け物みたいな力を持った、なんのしがらみも持っていない人間がひょっこり現れるんだ。どの領主だって喉から手が出るほど欲しいに決まってる。だから、騎士団のある領の中では、お前みたいなこっちに来てほやほやの転生者を探し回って、いつも騎士がうろついてる。見つけて連れてくればお手柄だもんな。しかも、しかもだ。お前みたいなのを捜してるのは騎士だけじゃないぞ。わしたちみたいなふつうの領民だって同じさ。見つけて、騎士に捧げれば、まあそこそこの報酬がもらえる。土地とか、家畜とかな。ここが肝心だ。そうさ、わしだって道ばたで倒れてるお前を見たとき、そりゃ喜んだんだ。今だって逃がすのはもったいないと思ってる。けんどばあさまが言うことは、そっちだってわしは分かる。おい、聞いてんのか?」

男はこれだけ一息に言い切って、こちらを手で制した。二杯目のシチューを平らげて、ついでにその脇に置いてあったパンの塊に、私が手を伸ばしたからだ。聞いてるのか、と言われたが、はっきり言ってこちらはそれどころではなかった。私は食事に夢中にならざるをえなかったのだ。話をしっかり聞くために手を休めれば、その間にもシチューは冷めていく。熱々の料理がその温度を一度一度下げてくのは、わたしには耐えがたい損失のように思えた。かと言って、男の話を聞き逃すこともしなかった。男の言うことは、このわけの分からない状況をはっきりさせる唯一の手がかりなのである。それに、ようやくなにをするべきなのかが分かってきたのだ。聞き逃すことなどしない、と目で訴えながら、男に向かってうなずいた。

「そうか。ならいい。このあと言うことは、もう流れで分かるだろ?ああ、いや、だがちゃんと言うべきだよな。お前には選択肢が二つある。どっちを選んでも、わしたちは邪魔しない。絶対に。騎士になりたいって言うんなら、お前を見つけたときにしようと思ったとおりに、わしはお前を騎士のところへ連れていく。騎士になるのだって、戦いに駆り出されるまではもしかしたら幸せかもな。飯は出るし、こことは違って屋根も壁もしっかりしてる。転生者の仲間もたくさんいるし。でもほとんど確実に死ぬことになる。もう一つの選択肢は、ここからさっさと去って、どっか別の領を目指してひたすら移動することだ。いいか、今大事なことを言ったぞ。騎士になって、殺し殺されの世界で生きることを選ばないなら、頼むからさっさと出て行ってくれ。ここでは、転生者を見つけたらまず騎士に報告することになってるんだ。もしこうやって飯でも与えて、逃がしてやる手助けまでしてやったとやつらに知れたら、わしたちは終わりだ。反逆罪かなにかをでっち上げられて、あっという間にオダブツさ。だからすぐに決めて、答えろ。お前はどっちを選ぶんだ?」

 すぐに決めろと言われても、と三杯目のシチューをすすった。死ぬのはいやだ。わけもわからずに戦わされるのもごめんだ。しかしだからといって、この身体でどれほど逃げられるだろう?確かに食事をとって、先ほどよりはずっと活力が湧いている。少なくとも歩くのにはもう苦労しないだろう。けれども聞く限り、騎士ってのは相当強そうだ。脚だってわたしよりずっと速いだろう。決めあぐねていると。男はいらいらしながら急かしてきた。

「聞いてただろ、時間がないんだ。いつここに、誰が来るのかも分からない。もしかしたら能力ですでに感知されてるかもしれん。頼むよ、早く」

してくれ。そう言い終わる前に、男はひび割れた唇を真横一文字にひきしぼり、固めた。なぜか?誰かが扉を叩いたからだ。二人と私の視線は、扉の方に余儀なくそそがれた。

ガン、ガン

 ぶしつけに扉を叩く、いやぶっ叩く音が響き渡る。焦って、男の方を見る。老いた男は未だに口をかたく閉ざして、ただひたすらに思案していた。おそらくこの状況を切り抜ける方法を考えているのだろう。自分は転生者を拾っただけ。ただ見た目が子どもだったんで、少しかわいそうになって飯を食わしてやった。そのあとすぐに騎士さまに預けるつもりだった、と言えばいい。実際、そうするつもりだったのだ。それできっと切り抜けられる。いや、そんなに簡単な相手だろうか?何もかもお見通しなのではないか?そんな逡巡が表情からうかがえた。反対に、あの老女の表情といえば、真顔から何も動かない。なのにそこからは、むしろ穏やかさと、気楽さすら感じた。何故かは分からないが。

「おい、アンドー。いるんだろ?なぜ開けない?いくらお前が反逆罪に問われそうだからって、扉はぶっ壊したくないんだ。俺は騎士だからな。主義として、剣を抜くのはあくまで最後の手段なんだ。だから開けてくれよ、手荒な真似はしたくない」

 言っていることの物騒さに反して、妙に明るく、けろっとした声が聞こえてくる。そしてその気楽さが、こちらの緊張をより引き上げてくる。わたしは扉から目が離せなかった。今すぐにでも走り出したいが、プレッシャーがそうさせないのだ。

「ビーニー。下らんこと言ってるんじゃない。時間の無駄だぜ。こいつらが罪人として処分されるのはもう決まったようなもんだろ?疑わしきは罰せず、は確かに守らなきゃいけないけどよ、こいつらはもう疑いなんて場所を通り過ぎてんだよ。アイナが言ってただろ?アイナが黒と言えば、それはもう黒だ。俺たちの頭でそれがホントかどうか考えるのなんて、ただの時間の無駄なんだよ。それにな、俺にはもう見えてんだ。女のガキが中にいるよ。シチューを恵んでもらったらしい。うらやましいぜ、今日は妙に寒いからな。だからもう、何もかも決まってんだよ。さっさと片付けて、酒でも飲んで温まろう」

 今度はもう一人の、めんどうそうな声が聞こえてくる。少なくとも二人以上の騎士が、わたしを引き取りに来ているのが分かった。老いた二人を刈り取りに来ていることも。

「ニカ、お前ってやつはほんと俗物だよなあ。大事にしたい主義とか精神とか、そういうのないわけ?」

「ないね、ない。せっかくスカウトの仕事にありつけたんだぜ。俺たちみたいなのには珍しく死ななくていい仕事だ。だからサクッとこなして、思いっきり酒をやりたいんだよ。今日みたいな日は特に」

 動けずにいると、不意に後ろへ引っ張られた。驚いて、思わず椀を落としてしまう。こぼれたシチューがストーブへ飛び散り、じゅうと音を立てて焦げ付いた。老女が腕を掴み、引っ張ったのだ。老女は声を出さず、あごで後ろにある窓を指した。それですべてを察した。それが己にとって幸せなのかはよく分からない。ただどうするべきか、それだけを悟った。

「分かったよ。ニカ、お前の主義なし主義はどうも好かんけど、お前は確かに良いことを言ったぞ。さっさと終わらせて温まりたいのは俺もおんなじだ。酒は最高だな、うん、今日ばっかりは主義よりも酒だ」

「そういうわけだ。悪いなアンドー。お前には世話になったこともあったよ。我が騎士団に二人も転生者を捧げてくれたこと、感謝してる。ただ規則は規則だ。規則の前じゃ、昨日の英雄も、今日には罪人さ。そんじゃお前らをぶっこ」

「行け!」

 老女が叫んだ。それと同時に地面を蹴り、窓を飛び越えて向かいの土に着地する。にゅるりと冷たい泥で滑るが、体勢は崩さずに済んだ。そのまま駆け出しはじめる。

ドン!

 背後でなにかが炸裂した。扉が吹き飛ばされたのか。しかし振り返ることもできない。泥をはね散らしながら、まっすぐ走り続けると、ほどなくして細い道に出た。荷車でやってきた、あのまっすぐな道から分岐したものの一つだった。高い草、うち捨てられた荷車に、上半分が爆散したような家の跡地。あの家からはいくつかの障害物があり、背の低いわたしはそれに紛れて道におどり出た。先ほど騎士ふたりに破壊されたあの家の方とは逆側の道の先に、真っ暗な森が広がっているのが見えた。少し遠いが、全力で走って行けない距離ではない。問題は時間だった。今、あの騎士たちはわたしを見失っているとみてよいが、走って森にたどりつくまでに追いつかれてしまう可能性が高い。やつらの姿をまだ一度も見ていないが、身体能力に自身があるのは口ぶりで分かる。しかし。行かざるをえない。さもなくば連れ去られる。迷いながらも全力をこめて前に進んだ。

「おい、森に行くのかー?」

 後ろから大声で呼び止められた。驚いて思わず脚が止まる。声の主はあの騎士の片割れだった。ニカ、とか呼ばれていた方だ。ありえない、と思ったが、考えてみれば当然のことだった。というのは、やつはさっきこう言ったのだ。

「俺にはもう見えてんだ」

 扉は閉まっていた。なのに「見えた」。老男が言うには、転生者は特別な力を持っている。そして転生者の多くは、騎士になることを選ばされることが多い、とも。そうであるからには、おそらくあの二人も転生者なのだろう。「見える」とは、色々なものを無視して見たいものだけを見る力、つまり透視能力を指す。やつはその能力を使ってこちらを見ていた。おそらく窓を破って外に出たときからずっと。

 少しでも前に進みながら、そのことを考えて絶望する。最初から逃げ場などなかったのだ。隠れる、あるいは逃げる人間を捕まえるためには、透視はうってつけの能力だ。「スカウト」の仕事に就くわけだ。ということは、ビーニーと呼ばれていた方も「スカウト」にむいた能力を持っているに違いない。身の毛がよだつ。

 森は近づいていた。あと二十メートルもすれば、背の高く、幹の太い木々に紛れることができるだろう。でもやつらにとってわたしは丸裸なら、今走っているのにはなんの意味があるのだろう?いや、問わなくても答えは分かっていた。今さら、引き返すことも隠れることも無力であり、すべては手遅れなのだ。もはや声も出せず、だから代わりに心の中で叫んだ。

「助けてくれ!誰か!」

 それは祈りだった。

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なぜ転生者は現れるのか? 柴山沙流 @Saru-Shibayama09

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