第6話

◆◆第六章◆◆

救済という名の侵食


 「占いの街」のアクセス数が、臨界点を超えて異常な跳ね上がりを見せたのは、仕掛けから三日目のことだった。


 香坂は、青白いモニターに映るアクセス数字の羅列を眺めながら、満足げに口角を上げた。

「……釣れてる。絶望の数だけ、魚影は濃いな」


 城崎が、隣で苦々しげに画面を見つめる。

「これ、本当に大丈夫なんですか。SNSのハッシュタグ、広告の文言……あまりに露骨だ」


「露骨でいい。いや、露骨であるべきだ」

 香坂は、画面をスクロールさせながら冷徹に言い放つ。

『#聖域の会で救われなかった人へ』『#本当の答えを知りたい方へ』。

「城崎、人は自分が底なし沼に沈んでいる時、差し出された手が泥まみれかどうかを気にする余裕なんてない。罠だと分かっていても、その熱に縋るのが依存の本質だ。佐伯が作り上げた依存の構造を、俺たちがそのままそっくり掠め取る」


 その日の午後。澪のセッションに、最初の「獲物」が現れた。

 画面に映ったのは、聖域の会の幹部・吉田蘭。やつれた頬、落ち着きのない視線。だが、その瞳には狂信的な光が宿っている。


「……初めまして」

 澪の声は、いつになく低く、冷たかった。彼女は画面越しの女を「視る」のではない、その内側に巣食う死を特定していた。


「私、聖域の会で救われたんです。でも、最近、夜が怖くて……」

「そう。佐伯さんじゃ夜の恐怖は消せなかった」

「佐伯さんには、分からない」

 澪の断言に、女が息を呑む。澪の鉛筆が、キャンバスの上で不吉な音を立てて走った。


「……これ。あなたの半年後の姿」

 澪が差し出したスケッチ。そこには、真っ白な病室で、自身の腹部を抱えて絶望に目を見開く女の姿が描かれていた。

「半年以内。左の卵巣に、顔つきの悪い腫瘍ができる。まだ医師にも見つかっていないけれど、それはもう、あなたの内側で確実に根を張っている」


 吉田蘭の顔から血の気が引いた。彼女は無意識に、まだ痛みも感じない下腹部を震える手で押さえた。

「嘘……そんな、私は聖域の会に全てを捧げて……」

「捧げたから、病むの。……でも、救いならある」

 澪は画面の隣、待機している城崎のアイコンを示した。

「城崎先生なら、その病の『正体』を消せる。佐伯さんを裏切るんじゃない。あなたが本当の聖域へ行くために、彼が必要なの」


 吉田蘭は、何かに取り憑かれたように城崎の予約ボタンを連打した。


 その夜。城崎文也は、澪が追い詰めた「羊」たちを、次々と自らの檻へと導いていった。

 画面の向こうで震える吉田蘭に対し、城崎はまるで慈悲深い聖者のような微笑みを浮かべる。


「蘭さん。あなたは悪くない。あなたが苦しんでいるのは、信仰が足りないからではない。……信仰をただ利用されているからです」

 城崎の声には、魂の奥底を直接揺さぶるような響きがあった。


「利用……? 代表が、私を……?」

「これが真実です」

 城崎は、香坂が用意した会の財務報告書と、代表・佐伯の個人口座の記録を画面に投影した。信者の献金が、聖職者の遊び金や粗悪な薬物の仕入れに消えていく現実。

「あなたは佐伯か作った幻のために祈っていた。でも、あなたが捧げた金は、誰かの快楽のために消費されていた。……これが、あなたの愛した『聖域』の正体だ」


 吉田蘭は声を押し殺して泣き崩れた。

「あ、ああ……。私は、何のために……」


「無駄ではありません。あなたが今、この地獄に気づいたこと。それが、本当の浄化です」

 

城崎は身を乗り出し、残酷なまでの甘い囁きを投げかける。

「あなたにしかできない救済があります。内部資料をこちらに流してください。あなたが真実を公表することで、まだ眠っている何百人の兄弟たちが救われる。……裏切りではありません。これは、信仰の引導を渡す、最も尊い行為です」


 女は、震える手でスマートフォンの送信ボタンを押した。


 事務所のバックヤード。送られてきた膨大な内部告発データを、香坂は冷徹に整理していた。

「……完璧だ。十二人の幹部から、佐伯を死刑台に送るに十分な資料が届いた」


 香坂は、警察とメディアへの一斉リークボタンに指をかけた。

「城崎、お前はもう教祖を超えた。人の心の鍵を開ける鍵師だ」


 城崎は自分の手を見つめ、自嘲気味に笑った。

「……香坂さん。俺たちは、人を救っているんですか? それとも、壊しているんですか?」


「その人次第だ」

 香坂はためらわずにボタンをクリックした。

「心の中の渇きを見つけて、水を注ぐ。……救済という名の侵食。俺たちが始めたのは、そういうビジネスだ」


 翌朝、全国ニュースは「聖域の会」の強制捜査を報じた。

 崩れ落ちる偽善の城。だが、その残骸を啜って肥大化するのは、「占いの街」という、より深くて逃げ場のない新しい害毒だった。

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