第4話
◆◆第四章◆◆
黒い人脈
城崎文也が「占いの街」に君臨して三ヶ月。
彼のセッションは、もはや占いという枠を超え、一部の熱狂的な信奉者たちの間では「道標」と呼ばれていた。口コミはテレビ局のプロデューサーや経営者層まで浸透し、知名度は爆発的に跳ね上がっていた。
「……いよいよ、本物の怪物が釣れたな」
深夜の事務所。香坂は、バックヤードで管理画面の個人データを指し示した。
【錦織 誠二(58) 職業:不動産会社代表】
城崎が眉を微かに動かす。
「錦織……。あの、神奈川を中心に『横浜の地主』と呼ばれている男ですか?」
「ああ。表向きはな」
香坂が画面を切り替えると、そこには警察の内部資料を模した古いモノクロ写真が並んでいた。
「五年前までは広域暴力団の最高幹部。今は足を洗ったことになっているが、裏の利権を全て合法的な不動産にロンダリングしただけだ。警察も手を出せない、現役以上の『力』を持っている」
その怪物が、あえて「占いの街」に現れた。きっかけは、息子・健太の将来についての悩みだった。
「……描いたよ。これが、その怪物の結末」
澪が差し出したスケッチブックには、二枚の絵があった。
一枚は、怒号と暴力に包まれた暗い部屋。もう一枚は、湯気が立ち込める厨房で、見たこともないほど柔らかな笑みを浮かべて包丁を握る青年——健太の姿。
「父親は息子を『暴力の城』の跡継ぎにしたい。だが、息子の魂は『包丁』に宿っている」
香坂は冷徹に、獲物を定める目をした。
「城崎。お前の仕事だ。錦織誠二という巨獣の喉元に、言葉という名のナイフを突き立てろ。彼に『息子を捨てる』という決断を、自ら選ばせるんだ」
都内、静謐な空気が流れる老舗料亭。
扉が開いた瞬間、城崎は背筋に氷を押し当てられたような感覚に襲われた。
錦織誠二。
仕立てのいい着物を崩して着こなし、肌の奥にまで染み付いた血の匂いを隠そうともしない男。彼が部屋に入っただけで、畳が軋むような威圧感が部屋を支配した。後ろには、意志を去勢されたような顔の息子・健太が、影のように控えている。
「……若いな。こんな餓鬼どもが、未来を売ってるのか」
錦織の声は、地底から響くような重低音だった。彼は座るなり、香坂を射抜くような眼光で睨みつけた。
「未来は売るものではありません。気づかせるものです」
香坂は臆することなく、静かに茶を啜った。
「御託はいい」錦織は太い指で机を叩いた。
「息子を俺の跡継ぎとして、いつ開花するか教えろ。それが知りたいだけだ。それ以外なら、今すぐこの部屋を血で洗うことになるぞ」
一触即発の沈黙。その均衡を破ったのは、城崎だった。
彼はゆっくりと錦織の正面に座り、まるで旧知の友に向けるような、優しく、それでいて揺るぎない眼差しで男を見つめた。
「錦織さん。あなたは、息子さんのことを一秒たりとも愛したことがないんですね」
部屋の温度が氷点下まで下がった。健太が息を呑み、香坂の指が机の下で強張る。錦織の顔から表情が消え、拳が白く浮き上がる。
「……死にてえのか、小僧」
「いいえ。死ぬのは、今のままでは、あなたと息子さんだ」
城崎の声には、不思議な磁力があった。錦織の怒りの波動を、その柔らかなトーンが吸い取っていく。
「あなたは気づいているはずだ。健太さんをあなたの跡継ぎにした瞬間、彼は三日と持たず、あなたの敵に首を獲られる。彼は、あなたのような『人食い虎』にはなれない。……だが、彼が包丁を握り、炎の前に立つ時、彼はあなたすらも凌駕する『王』になる。澪が見たのは、あなたが料理人になった息子の店で、初めて一人の父親として心から笑っている未来です」
城崎は、澪のスケッチを錦織の前に差し出した。
「暴力でしか繋がれない孤独な独裁者として死ぬか。それとも、息子が作った一皿に涙する人間として生きるか。選ぶのは、あなただ」
錦織は、スケッチを凝視したまま動かなかった。数分の沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて、錦織の肩から力が抜けた。彼は大きく息を吐き、机に置かれた葉巻の吸い口をカットし火をつけた。
「……フン。詐欺師の口上か、あるいは本物の預言か」
錦織は息子を一度も見ず、だが、その背中に向けて低く言った。
「健太。明日から俺の前に顔を見せるな。……てっぺんの獲れる厨房を探せ。中途半端な真似をしたら、俺がその店ごと焼き払ってやる」
健太は、床に額をこすりつけるようにして泣き崩れた。
料亭の廊下、錦織は去り際に香坂の足を止めた。
「香坂と言ったな。あんた、面白い毒を飼っている」
「……光栄です」
「俺の周りには、金は腐るほどあるが、出口のない地獄にいる奴らが多い。……今後、裏の相談を回してやる。その代わり、俺に旨味を寄こせ」
錦織は香坂の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「いいか。俺の背後には、あんたらの想像もつかない『どす黒い河』が流れている。そこへ飛び込む覚悟があるなら、俺が案内人になってやる」
香坂は、その巨大な手の重みを受け止め、静かに微笑んだ。
「……喜んで。私たちは、地獄の底までビジネスを広げるつもりですから」
その夜。香坂の事務所には、錦織から送られた「顧客リスト」が届いていた。
それは、表社会の光が届かない場所で蠢く、欲望と絶望の地図だった。
香坂恒一の背後に、より深く、逃げ場のない闇が広がり始めていた。
「とりあえず、みんなで焼肉行くか」
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