第3話
◆◆第三章◆◆
見えている少女
澪は、「占いの街」のバックヤードに漂う、微かな電子機器の熱気と香水の残り香の中にいた。自宅でも出来るか、香坂にも会える事務所によく来る。
画面越しに、今日三人目の相談者を視る。子育てを終え、輪郭のぼやけた不安に怯える主婦。
澪の鉛筆が、無機質なキャンバスを削るように動く。
描き出されたのは、陶芸の土にまみれ、何かに取り憑かれたように指を動かす女性の横顔だった。
「……これ。あなたが一番『熱』を持っていた時の姿。今さらじゃありません。あなたの魂は、まだこの土の中に埋まってる」
女性が画面の向こうで声を上げて泣き崩れる。澪はその涙に同情することもなく、ただ機械的に通話を終了させた。
一回のセッションで数万円。学生の小遣いとしては異常な額が、数字として積み上がっていく。
「お金があれば、選べる」
澪は、自分の指先に残る鉛筆の黒い汚れを見つめた。
かつては「金など汚いもの」だと思っていた。だが、香坂に出会って教えられた。
金は自由の対価であり、この残酷な世界で唯一、自分たちの未来を「買い取れる」盾であることを。
その日の深夜。澪は香坂の部屋にいた。
冷えた缶ビールのプルタブを引く音が、静まり返った部屋に鋭く響く。
「城崎さん、正式に契約したよ。あいつは凄すぎるな……話しているだけで、人が自分の意志を差し出していく」
キッチンでグラスを傾ける香坂の背中に、澪は視線を這わせた。
「……あの人は無自覚だから。自覚を持った瞬間に、この街はあの人の教団になる」
「そうだな。だが、その教団の鍵は俺が握る」
香坂は振り向き、いつものように計算高く、だがどこか歪んだ慈愛を込めて澪を見つめた。
澪は、香坂の顔が見たかった。
未来ではない。今、この男の奥底で渦巻いている本物。
不思議なことに、澪には世界中の誰の未来も視えるのに、香坂恒一の未来だけは、真っ白な霧に包まれて何も視えないのだ。自分の雑念か。
「ねえ、香坂さん。……私のこと、どう思ってる?」
香坂は歩み寄り、冷えた指先で澪の頬をなぞった。その感触に、澪の心臓が不規則に跳ねる。
「……絵の描ける共犯者は、嫌いじゃない」
「嘘。本当は、私がいなきゃ何もできないくせに」
二人の間に流れるのは、甘い恋情などではない。
互いの欠落を埋め合い、泥沼に沈む足を支え合う、呪いのような連帯感。
と、香坂は思っているのだろうか。
その夜、澪は初めて香坂のベッドで、彼の心臓の音を聞いた。
「……香坂さん、詐欺って悪いこと?」
暗闇の中で、香坂が低く笑う。
「ああ。だが、俺が考えているのは、もっと美しい略奪だ。インサイダー、脱税、マネロン……。正義の面をして、弱者から掠め取った金を肥やしにしている奴らを、俺たちが『騙し取って』洗浄する」
ダークヒーローのような独白。だが、その声には確かな毒があった。
澪は彼の胸に顔を埋め、目を閉じた。
「いいよ。悪い奴から取るなら、私は手伝う。……普通の人の未来は邪魔したくないけど、悪党の未来なら、いくらでもぐちゃぐちゃにしてあげる」
香坂の手が、優しく澪の髪を撫でる。
「……お前は、本当に最高の化け物だな」
「あなたに育てられたのよ、恒一」
翌朝、香坂が用意していたリスト。
そこには、違法な投資グループやマルチ商法の首謀者たちの名が、まるで死神の帳面のように並んでいた。
ビジネスパートナーから、共犯者へ。
そして、運命を食らい合う恋人へ。
「占いの街」は、もはやただのサービスではない。
それは、香坂が指揮を執り、城崎が酔わせ、澪が視通す——
世界を欺くための、完璧な三位一体への変貌だった。
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