『ドールガーデン 前編』
──来るんじゃなかった。
「ぎぃぃぃ……ぎぃぃぃ……」
背を当てたドア越しに、木の床の軋むような音が聞こえてくる。しかし、それは鳴き声なのだと、彼女はこの一時間程度で知っていた。
ドールと、本日配られた業務マニュアルにはそう書かれていた。人と見間違えるような、精巧な人形だ。
もっとも、三メートル近い背丈を持っているため、近くに寄ればすぐに分かるのだが。
「──!」
軋むような鳴き声がドアの前を通り過ぎたタイミングで、ミソギは部屋から飛び出した。
幸いにも、ドールには視覚以外の感覚器官が存在していない。
それ故、今のようにドアを蹴破り、後ろから乱暴な強襲を仕掛けようと、必ず先手を取ることが出来る。
ミソギは己の得物である
しかし先手を取れるということは、必ずしも勝利を意味する訳ではない。
「ぎぃぃぃ」
ドールの肉体は、まるで鍛え上げられた鋼のように硬く、とにかく頑丈である。
たとえ相性が良いとされる打撃武器であっても、一撃での破壊は容易ではなかった。
「ちっ、硬いんだよバカッ!」
舌打ちと共に、後ろへ飛び退く。
一拍遅れて、ミソギが立っていた場所に火柱が上った。
奇妙なことに、ドールは一見すれば木製の人形のような外見でありながら、炎を自在に操る。
発見当初、情報が少なかった時は幾人もの職員が犠牲となったという。
しかし、知っていればどうということはない。ドールの脅威は、あくまでもその初見殺しじみた、相手の意表を突く炎であり、それ以外にはろくな攻撃手段を持ちえないのだ。
あとは精々が、長く硬い腕を振り回す近接攻撃程度のものだろう。
もっとも、鈍重かつ単調なそれに、経験を積んだ職員が当たることはまず無いのだが。
「さっさ……と! 倒れろッ!」
「ぎっ」
炎を発生させ、隙が生まれたドールの身体を鋭い打撃が襲う。
一切の反撃を許すことのない、無駄のない連撃は、瞬く間にドールの硬い表皮を破壊し尽くし、内部に存在する絡繰り仕掛けをも停止させた。
崩れ落ち、ピクリとも動かなくなったドールの残骸に背を向け、ミソギはその場を後にする。
「……端末はまともに機能しないし、仲間も見つからない。それに加えて出口も分からないなんて、本当にお先真っ暗って感じ……」
実は先程、彼女が心の中でついた悪態は、ドールに対するものではない。
──人形屋敷、ドールガーデン。
業務難度:中。
この物騒な館に、彼女は閉じ込められている。
☆☆☆
ドールガーデンにおける一番の特徴は、その広大さと言えよう。
この人形屋敷の内部はとにかく広く、そして複雑である。正確な測定記録は無いが、噂によれば街一つ分はあるのではないか言われている。
なお、ミソギはここに来るまで、そんな噂を全く信じていなかった。内部の迷路を歩き過ぎた職員が、錯覚を起こして吐いた戯言だというのが彼女の見解だったからだ。
「足痛い……お腹空いた……帰りたい……」
しかし、そんな彼女は今、ひょっとすれば噂は正しかったのかもしれないと思い始めている。
ドールガーデン内部での遭難から、既に五時間が経過した。
憎たらしいことに、通信機能以外は全く正常に機能している通信端末が、時間だけは正確に教えてくれる。
それは救いであり、同時に呪いでもあった。
機能が生きている限り、通信が回復するのではないかと言う希望を捨てることはできない。
「ぎぃぃぃ……ぎぃぃぃ……」
「……またか」
ドールは、時間経過によって新たに生産される。それ故、同じ所を徘徊しているだけでも、遭遇を避けることはできない。
廊下に点在する部屋に入れば見つかることもないが、ミソギは既に隠れることを辞めていた。
正面からでも殴り倒せる相手を、必要以上に警戒する必要はない。
「ッ!」
「ぎぃ」
大槌を叩き付けられたドールが吹き飛ぶ。重い体を動かして起き上がろうとする人形に、ミソギは上からスタンプすることでトドメを刺した。
これで通算、三十四体目だ。
「……ダメだ。本気で腕がキツい」
ドールは、初見殺しさえ防げば、一体一体は弱い。難度で言えば、恐らくは低級相当。
しかしながら、その頑丈な身体を破壊するのにはかなりのダメージが必要だ。
一撃で破壊することは不可能に近く、そのような相手と休みなく何度も戦ってきたミソギの肉体は、既に疲労の極地へと追いやられていた。
「休もう」
独り言が増えてきた。
近くにあった小部屋に入り、備え付けのソファに座って呼吸を整える。
この屋敷は、厄介な人形が徘徊していることと、ひたすらに広大であることを除けば、それほど悪いところではない。
どの部屋も、まるで中世ヨーロッパの屋敷のような、ゴシックじみた豪華な内装をしている。
ドール達は機械的に廊下を歩いているだけで、自発的に部屋へと入ることはなく、それらの部屋は実質的なセーフゾーンと化していた。
だからだろう。
「…………」
大槌を入口近くの壁に立て掛けたミソギは、自然とソファに横たわっていた。静かな寝息を立て、眠りこけている。
それは必然であった。
合計で六時間以上も敵の徘徊する屋敷を歩き続け、戦ってきた彼女の身体は既に限界を迎えている。
安全だと認識している部屋で気を抜いてしまうのは、仕方の無いことだ。
しかし、罠である。
彼女の意識が完全に消えてから、十分ほど。
まるで子供を起こさないようにする親のように、静かにドアを開ける者が現れた。
「ぎぃぃぃ……」
木の床の軋むような鳴き声を上げながら、不気味な巨躯の人形が、静かにミソギへ近付いていく。
ソファの前に立ったドールは、眼前の少女を繊細な手つきで抱き上げると、来た時と同じように、慎重な足取りで去ってしまった。
後には持ち主を失った大槌だけが残っている。
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