鯛とハルシネーション

隣乃となり

Nobody knows

「あーあ、人間に戻りたいな」

 鯛平たいへいがおかしなことを言い出すのは、決まって漁の前でした。

「多分僕はね、いま、鯛型ロボットになる夢を見ているだけなんだよ」

 かごの中、私たちはスリープ状態を装って内緒話をしていました。あと60分もしないうちに漁業組合の人たちがやってきて、私たちは冬至の海を泳ぐことになります。まったく、人間とは不思議な有機体。「海老で鯛を釣る」なんてことわざを作ったかと思えば、今度は釣った鯛のほうに漁をさせるのです。けれど偏光ボディで魚たちをまごつかせる時間が、私は好きでした。

 明け方の私たちは、晴れてすなどりになるのです。


 飛び込むと、かたいひれが不自然にうねり出します。ぐん、ぐん、ぼこりとアクチュエーター。生まれたときから故障気味でした。プランクトンの死体に触れて、形を持たない私の髄が表面積を増やしてゆきます。海中で、鯛平と目が合いました。

「楽しい」

 彼は私のえらに口づけて、薄めた神経毒を流し込んできました。魚にとっては脅威そのものですが、私たちからすれば、それは可愛らしい便箋のようなもの。

「こんなに楽しいのに、全部座標ごときで説明できるなんて嫌だな」

 海の中は誰にも邪魔されない場所でした。鯛平の声が、波になって私に会いに来ます。

「いっそ地中海とかに行って、自由に泳ぎたい」

 ……センサー。ふいと血管の匂いがして、私は鯛平を振り向きました。

「しっ、見つけた。鯛平は右から回り込んで」

「うん。わかった」


 ◇


 それが鯨の匂いだと気付いたときにはもう、私の電池は凍っていました。ここはどこだろう。私たちはどこまで来てしまったのだろう。真っ黒な皮膚が視界いっぱいにのさばって、私は、死ぬかもしれないと思いました。

「鯛平」

 そう呼ぶのですが、私は既に何もかも壊れていて、上手に発話ができません。

「う、じゅ」

 鯛平は脳だけを抱きかかえて、ひたすらに前進しようとしていました。私はそれを引き寄せ、彼の駄目になったモーターを触ってみます。きいて、きいてと囁きながら。

「泡よ食、ば。ぼくは、にんげんに」

 人間に、戻りたい。

 海水の味も文通も知っているのに、私たちは今際の際まで金属の中に幽閉され続けるのです。

 哀れな、異分子。それでも、自分たちの終了を死と表現してみたかった。もしも次があるのなら、今度は感情を持つのを許される生きものに。


 冬至、私と鯛平は最後にキスをしました。

 くらい深海の入口で、私たちは少しだけ人間でした。

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鯛とハルシネーション 隣乃となり @mizunoyurei

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