第八章:重すぎる我儘
梅雨が明け、蝉の声がコンクリートの壁越しに微かに届くようになった頃、オリアの様子が少し変わった。
体調が悪いわけではない。むしろ、あの外出以来、彼女の肌艶は良くなり、瞳の輝きも増しているように見えた。
けれど、その輝きの中に、得体の知れない焦燥感のようなものが混じり始めていることに、俺は気づいていた。
ある日の夕暮れ、病室には俺たち二人だけだった。
西日が長く伸び、部屋全体を血のような茜色に染め上げている。
「ねえ、〇〇様」
彼女が唐突に口を開いた。
その声は、普段の甘えるような響きではなく、遺言を残す老人のように厳粛で、俺は読みかけていた漫画本を閉じた。
「聞いておきたいことがありますの。……もし、私が灰になってしまったら、その灰をどうなさいますか?」
またその話か、と溜息が出そうになるのを飲み込む。
「縁起でもないこと言うなよ。夏はこれからだぞ」
「答えてください。私にとっては、明日の天気よりも大事なことなのです」
彼女の真剣な眼差しに射抜かれ、俺は居住まいを正した。
冗談で流せる雰囲気ではない。
「……普通に、先祖代々の墓に入れて、毎日拝みに行くよ」
「嫌です」
即答だった。
拒絶の言葉は鋭い刃物のように俺の鼓膜を叩いた。
「冷たくて暗い土の中なんて、絶対に嫌。……雨が降ったら寒いし、虫もいるs……
何よりあなたがいないじゃありませんか」
オリアは両腕を抱き、ガタガタと大袈裟に震えてみせた。
わがままだ。
けれど、そのわがままが、死への根源的な恐怖から来ているのだとしたら、俺はそれを叱責することなどできない。
「じゃあ、どうしてほしいんだ」
「連れて帰ってください」
彼女はベッドから身を乗り出し、俺のシャツの胸元を細い指で掴み上げた。
その力は弱々しいが、込められた意志は岩よりも重い。
「骨になっても、灰になっても、あなたの部屋に置いてください。
……枕元で、あなたが眠るのを毎晩見守っていたいの。
あなたが目覚めたら一番におはようを言って、眠る時はおやすみなさいを聞きたいの」
常軌を逸している。
だが、俺の脳裏を過ったのは、妹が死んだ後の、あの広すぎる空虚な部屋の冷たさだった。
誰かがいてくれたら。
形はどうあれ、そばにいてくれたら。
そんな俺の古傷を、彼女は無自覚に、正確に抉ってくる。
「……分かった」
俺は彼女の手を握り返し、その狂気じみた願いを肯定した。
「お前がそれを望むなら、そうする。墓には入れない。ずっと俺のそばに置くよ」
「本当ですね? ……他の女の人を連れ込んだりしたら、骨壺の中から呪い殺しますからね」
「ああ、怖くてできないな」
俺たちは笑い合った。
けれど、オリアの瞳は笑っていなかった。
彼女は俺の手を自分の喉元へ導き、脈打つ場所を指先でなぞらせた。
「あと、もう一つ。……私を焼くときは、とびきり熱い炎で焼いてくださいね」
「え?」
「中途半端な火力じゃ、私のこの想いは燃え尽きませんから。
……業火で焼かれて、不純物がなくなって、真っ白な骨だけになって、ようやく私はあなたの一部になれる気がするの」
彼女の思考回路は、時々理解の範疇を超える。
死んでまで俺を独占したいと願う、哀れで愛おしい少女。
その重すぎる愛を受け止めることが、俺にできる唯一の贖罪であり、生きる意味なのだと。
茜色の光の中で、彼女のオパールの瞳が、ドロリと溶けた飴のように濁って見えた。
それは幸福な約束というよりは、もはや逃れられない契約の儀式のようだった。
俺はその時、彼女の「業火」という言葉が、単なる比喩ではないことを知る由もなかった。
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