第四章:約束は夏空の向こう

季節は巡る。



あの日、俺たちが初めて出会った時に舞っていた桜はもう散り、病院の窓からは鮮やかな新緑が見えるようになってきた。


季節の移ろいは残酷だ。


世界はこんなにも生命力に溢れているのに、この白い部屋の時間だけが止まっているように感じるからだ。



「なあ、オリア。これ知ってるか?」


俺はコンビニで貰ってきた一枚のチラシをサイドテーブルに置いた。


地元の夏祭りと、花火大会の告知ポスターだ。


オリアは点滴の管が繋がれた細い腕を伸ばし、それを手に取った。


「……花火、ですね」


「ああ。ここの花火、結構すごいんだぞ。

 川敷から上げるから、音が腹に響くんだ」


俺が少し興奮気味に話すと、オリアはポスターの極彩色の写真を指でなぞりながら、ふっと寂しげに笑った。


「私、花火を間近で見たことがありません」


「え、一度も?」


「はい。いつも遠くの窓から、音だけを聞いていました。……私には、眩しすぎますから」



その言葉が、胸に刺さった。


彼女にとっての「夏」は、来るかどうかも分からない遠い未来の話なのだ。


主治医の顔が脳裏をよぎる。

『夏を越せるかどうかは、正直厳しい状況です』という無機質な宣告。



だからこそ、俺は言わなきゃいけない。


確定した絶望なんてクソ食らえだ。

俺が彼女に見せるべきなのは、終わりの予感じゃなくて、続きの予感だろ。


「行こうぜ、オリア」


「……え?」


「今年の夏。この花火大会、二人で見に行こう」


俺の提案に、オリアはポスターを取り落としそうになった。

瞳が大きく見開かれ、戸惑いと、隠しきれない渇望に揺れる。



「でも……私、外出なんて」


「先生には俺から頼む。ダメなら、車椅子ごとさらってでも連れて行く」


「それに、私の体……夏まで、持つかどうか」


「持つさ。持たせるんだよ」


俺はベッドの柵越しに身を乗り出した。


「約束だ。俺が絶対、お前に本物の花火を見せてやる」


俺は小指を差し出した。

子供っぽい指切りだ。


オリアは暫く俺の小指を見つめていたが、やがて意を決したように、震える白い小指を絡めてきた。


「……嘘つきは、針千本飲ます、ですよ?」


「ああ。もし破ったら、針でも何でも飲んでやる」


指と指が絡み合う。


その時だった。



オリアの指に、ありったけの力が込められたのを感じた。


いや、力と呼ぶにはあまりに微弱だ。

赤子の握力にも満たないかもしれない。


けれど、彼女は顔を真っ赤にし、歯を食いしばって、俺の指をへし折らんばかりの気迫で締め付けてきたのだ。



「……っ、うぅ……!」


指先が白くなっている。


俺には痛くも痒くもないその抵抗が、彼女の「生きたい」という叫びに思えて、俺は視界が滲んだ。



(そんなに強く握ろうとしなくていいんだぞ)


俺は彼女の手を優しく包み込み、ほどくようにして撫でた。


「大丈夫。俺はどこにも行かない」


オリアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「……悔しい」


彼女はシーツに顔を埋めて嗚咽した。


「もっと、強く……握りたかったのに。あなたを、繋ぎ止めておきたかったのに……!」


「繋がってるよ。ほら、ここにいるだろ」


俺は背中をさすることしかできない。


彼女の涙は、自分の弱さへの不甲斐なさと、未来への希望が入り混じった嬉し涙なのだろう。


そう解釈した俺は、彼女が「物理的に俺の指を固定できなかったこと」に対して、

本気で地団駄を踏みたいほどの悔しさを感じているなんて、微塵も思わなかった。



「治します……絶対」


涙に濡れた顔を上げ、オリアは強い眼差しで俺を見た。


「夏までに、あなたと歩けるくらいになってみせます。……覚悟していてくださいね」


「ああ、楽しみにしてる」


俺たちは笑い合った。



窓の外には、眩しい初夏の日差しが降り注いでいる。


この約束が、彼女を生かすよすがになるなら。


俺はなんだってする。どんな無理難題だって叶えてやる。

そう決意を新にする俺を見て、オリアは濡れた唇を微かに歪めた。

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