第二章:重ねる面影、オパールの瞳

案内されたのは、病院の最上階にある特別病棟だった。


廊下の空気からして違う。消毒液のツンとした臭いは消え、代わりに高級ホテルのような静謐さと、どこか冷やりとした空調の風だけが流れている。



「こちらでございます」


案内してくれた執事……確か名前は確かセバスチャンと言ったかが、重厚な扉を音もなく開ける。



部屋の中は広かった。

けれど、その広さが余計に孤独を際立たせているように見えた。


窓辺のベッドに、ちょこんと座る小さな影があった。


「……お待ちしておりました」


オリアだった。


昨日の騒動が嘘のように、今は静かに微笑んでいる。

白いネグリジェ姿は、まるで雪で作った彫像みたいだ。


「体調は、どうだ?」


「ええ、おかげさまで。……昨日は、本当にありがとうございました」


ぺこりと頭を下げる仕草が、記憶の中の妹と重なる。


あいつもそうだった。

何かしてもらうたびに、申し訳なさそうに眉を下げて、「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返していた。



俺は用意された椅子に腰掛けながら、部屋を見渡す。


高そうな花瓶、読みかけの本、そして大量の医療機器。


ここは生活の場じゃない。

ただ命を繋ぎ止めるための、豪華な鳥籠だ。


「退屈じゃないか?」


「慣れてしまいましたから。……それに、私には時間がありませんので」


オリアがさらりと口にした言葉に、俺の指先が止まる。


「……どういう意味だ?」



「そのままでございます」


答えたのは執事だった。

彼は無表情のまま、淡々と事実を告げるように言った。



「お嬢様の体は、ガラス細工よりも脆いのです。

 今の医学では完治は見込めず、余命も……そう長くはありません」


心臓が、嫌な音を立てた。



またか。


また、俺の前で命の話をするのか。



俺はオリアを見る。彼女は悲観する様子もなく、ただ静かに自分の膝を見つめていた。


「……ご迷惑ですよね。もうすぐ壊れてしまう人間と関わるなんて」


「そんなこと言うなよ」


声が大きくなってしまった。オリアが驚いたように顔を上げる。


「迷惑なわけないだろ。……俺の妹も、体が弱かったんだ」


気づけば、俺は自分の話をしていた。



ずっと誰にも話せなかった、妹への後悔。


最期まで「いい子」でいようとしたあいつに、何もしてやれなかった無力感。


「だから、お前を見てると放っておけないんだ。……勝手な自己満足かもしれないけど」


俺はオリアの瞳を真っ直ぐに見つめた。


そのオパールの瞳が、微かに揺らめく。


「オリア。俺の前では、遠慮なんかするな」


「え……?」


「行きたい場所があるなら連れて行く。欲しいものがあるなら探してくる。

 痛いなら痛いって叫んでいいし、死にたくないって泣き喚いたっていい」


俺は、妹に言えなかった言葉を、目の前の少女に重ねていた。


「生きてる間にやりたいこと、全部俺に言えよ。全部叶えてやるから」



部屋に沈黙が落ちた。


機械的な電子音だけが、規則正しく響いている。



やがて、オリアの白い頬に、ひと筋の雫が伝った。


「……本当に?」


震える声。


「ああ、約束する」


「私の、わがまま……聞いてくださるのですか?」


「望むところだ」


オリアはゆっくりと手を伸ばしてきた。


俺はその冷たい手を、両手で包み込む。

今度は温めてやるように、しっかりと。



「嬉しい……」


彼女は濡れた瞳で俺を見上げ、花が綻ぶような笑みを見せた。


「なら、毎日……会いに来てくださいますか?」


「そんなことでいいのか?」


「はい。あなたが来てくださるだけで、私、きっと生きていけます」


「分かった。毎日来るよ」


指切りをするように、俺たちの指が絡み合う。


その時、オリアの手が微かに震え、俺の指をきゅっと締め付けた気がした。


力などないはずの指先に、一瞬だけ、ゾクリとするような熱を感じたのは気のせいだったのだろうか。



「ふふ、約束……しましたよ?」


その瞳の奥で、色が複雑に混ざり合う。



俺はまだ気づいていなかった。


俺が差し出した「優しさ」という水が、乾ききったオパールにどれほど深く染み込んでいくのかを。


妹への贖罪のつもりが、俺自身を縛る鎖になり始めていることを。



~~~



帰り道、俺の足取りは妙に軽かった。


誰かに必要とされる感覚。


守るべきものができた高揚感。



(今度こそ、後悔しないように)



そう心に誓いながら、俺は振り返らずに病院を後にした。


その背中を、窓越しに見つめる熱視線があることも知らずに。

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