第20章「快適という平和」



魔王城の暖房システムが完成してから、三日が経った。


その間、透たちは細かな調整作業を行っていた。各部屋の温度バランス、魔力回路の安定化、緊急時の対応マニュアルの作成。


「これで、全ての作業が完了しました」


透は、フリーズガルドに報告した。


「城内の全区画で、安定した暖房が得られるようになっています。火魔石の消費量は、従来の十分の一以下です」


「素晴らしい」


フリーズガルドは深く頷いた。


「これで、今年の冬は、誰も凍えずに済む」


「定期的なメンテナンスが必要です。マニュアルを作成しましたので、城の職人に引き継いでおきます」


「頼む」


フリーズガルドは透を見つめた。


「君たちには、どれだけ感謝しても足りない」


「報酬の件ですが——」


「ああ、約束通り、火魔石を提供する。高品質のものを、定期的に」


「ありがとうございます。ですが、それだけでなく——」


透は言葉を選んだ。


「もう一つ、お願いしたいことがあります」


「何だ?」


「和平です」


フリーズガルドの表情が変わった。


「和平……」


「この工事を通じて、分かったことがあります。人間と魔族は、敵である必要がない。お互いに、利益になる関係を築ける」


透は続けた。


「グランヴェルト王国と、魔王領。この二つが手を結べば、両方の民が幸せになれます」


「君の言うことは、分かる。だが——」


「難しいことは承知しています。千年の歴史がある。互いの恨みもある。すぐには変わらないでしょう」


透は言った。


「ですが、始めなければ、永遠に変わらない。最初の一歩を踏み出すことが、大切だと思います」


フリーズガルドは長い間黙っていた。


やがて、彼は口を開いた。


「……君は、本当に変わった人間だな」


「よく言われます」


「私も、和平を望んでいる」


フリーズガルドは言った。


「千年間、戦いは続いてきた。だが、私の代で終わらせたい。子供たちに、戦争のない世界を残したい」


「では——」


「グランヴェルト王国に、使者を送ろう。和平交渉を、開始する」


透の顔に、笑みが浮かんだ。


「ありがとうございます」


「礼を言うのは、こちらの方だ」


フリーズガルドは手を差し出した。


「トール・サエキ。君との出会いは、私の人生を変えた」


透は、その手を握った。


「こちらこそ。良い経験をさせていただきました」




帰路に就いたのは、その三日後のことだった。


透、リーナ、ガルド、マグナス。四人は、雪の中を南へ向かった。


「師匠」


ガルドが話しかけてきた。


「今回の仕事、すごかったですね」


「そうか?」


「はい。魔王城の暖房を直すなんて、誰も考えなかったことです」


「俺は、ただ自分の仕事をしただけだ」


「でも——」


「ガルド」


透は弟子を見た。


「俺たちの仕事は、人を快適にすることだ。暑い時は涼しく、寒い時は暖かく。それは、人間でも魔族でも変わらない」


「……」


「技術に、敵も味方もない。快適に暮らしたいという願いは、誰にでもある。その願いを叶えるのが、俺たちの仕事だ」


ガルドは黙って聞いていた。


やがて、彼は深く頷いた。


「分かりました。俺も、そういう技術者になります」


「期待してるぞ」


透は微笑んだ。




王都に戻ったのは、出発から一ヶ月後のことだった。


国王アルベルトは、透の報告を熱心に聞いた。


「魔王が、和平を望んでいる、と」


「はい、陛下。フリーズガルド様は、使者を送ると約束しました」


「千年間の戦いが、終わるかもしれん……」


国王は感慨深げに呟いた。


「君は、歴史を変えようとしている」


「いいえ、陛下。俺は、ただ暖房を直しただけです」


「暖房を直した、か」


国王は笑った。


「君は、本当に変わった男だな」


「よく言われます」




数週間後、魔王領からの使者が王都に到着した。


和平交渉が、正式に始まった。


交渉は難航した。千年の歴史は、そう簡単には乗り越えられない。だが、双方に和平を望む意志がある限り、いつかは実を結ぶだろう。


そして、交渉の過程で、一つの合意が成立した。


「空調技術の相互供与」


グランヴェルト王国と魔王領の間で、空調設備の技術を共有する。人間の技術者が魔王領で働き、魔族の職人が人間の王国で学ぶ。


技術は、二つの世界を繋ぐ架け橋となった。




その年の冬、透は空調ギルドの事務所で窓の外を眺めていた。


雪が降っている。だが、事務所の中は暖かい。


「トール殿」


シルヴィアがやってきた。


「新しい依頼です」


「どこからだ?」


「海岸の都市、ポルトリアです。港の倉庫に、空調設備を導入したいとのことです」


「海岸か」


透は技術ノートを開いた。


「潮風対策が必要だな。塩分で金属が腐食するから」


「設計は、できますか?」


「もちろん。任せてくれ」


透は立ち上がった。


「行くぞ、次の現場だ」




リーナが、事務所を訪れたのは、その日の夕方だった。


「トール殿」


「リーナさん。どうした?」


「お伝えしたいことがあります」


リーナは少し緊張した面持ちだった。


「和平交渉の結果、私は魔王領との窓口を担当することになりました。王都と魔王城を行き来する仕事です」


「それは、大役だな」


「ええ。ですから、これからは、一緒にいられる時間が減るかもしれません」


透は微笑んだ。


「大丈夫だ。俺も、あちこち飛び回ることになるだろうし」


「……」


「でも、同じ方向を向いて進んでいる。それだけで、十分だ」


リーナの頬が、わずかに赤くなった。


「……はい」


「また会える時を、楽しみにしている」


「私も、です」


二人は、窓の外の雪を眺めた。


静かな夜だった。




ガルドは、空調ギルドの新しい職長として、次々と仕事をこなしていた。


彼の評判は、王都中に広まっていた。「若いのに腕が立つ」「図面の読み方が正確」「安全管理が徹底している」。


ある日、ガルドは故郷の村を訪れた。


「親父」


久しぶりに会った父親は、少し老けたように見えた。


「……どうした、急に」


「話がある」


ガルドは深呼吸をした。


「鍛冶屋を継ぐつもりはないと言った。それは変わっていない」


「……」


「でも、俺の技術は、鍛冶屋の技術が基盤になっている。親父から学んだことが、俺の土台になっている」


ガルドは頭を下げた。


「ありがとう、親父。俺を育ててくれて」


父親は、長い間黙っていた。


やがて、ぶっきらぼうに言った。


「……元気でやってるみたいじゃねえか」


「ああ」


「なら、いい」


父親は背を向けた。


「次に来る時は、酒でも持ってこい」


ガルドは、父親の背中を見つめた。


そして、微笑んだ。




空調ギルドは、グランヴェルト王国全土に広がっていった。


王都だけでなく、地方の都市にも支部が設立され、各地で空調設備の施工が行われた。


透の理念——安全管理、品質管理、効率化——は、建設業界全体に浸透していった。安全書類制度は国の法律に取り入れられ、産廃管理票制度も全国で義務化された。


「トール殿の影響は、計り知れません」


シルヴィアは言った。


「この国の建設業界は、あなたが来る前と後で、完全に変わりました」


「俺は、ただ当たり前のことをやっただけだ」


「その『当たり前』が、この世界にはなかったのです」


透は窓の外を見た。


王都の街並みが広がっている。あちこちに、空調設備の煙突が見える。


「まだまだ、やることは多い」


透は呟いた。


「この世界を、もっと快適にしたい」




エピローグ




それから数年後。


グランヴェルト王国と魔王領の間で、正式な和平条約が締結された。


千年の戦いが、終わった。


その立役者の一人として、透の名前は歴史に刻まれることになった。


だが、透自身は、そのことに特別な感慨を抱いていなかった。


「師匠、次の現場はどこですか?」


ガルドが尋ねた。


今や彼は、空調ギルドの副ギルド長を務めている。かつての弟子は、立派な技術者に成長していた。


「海底都市だそうだ」


透は報告書を見ながら言った。


「深海に、魔族の都市があるらしい。そこの空調設備を、設計してほしいと」


「海底……」


ガルドは目を丸くした。


「また、とんでもない場所ですね」


「潮風どころじゃないな。海水の腐食対策が必要だ」


透は技術ノートを開いた。


「やりがいがありそうだ」


「師匠は、どこへでも行くんですね」


「当然だ」


透は微笑んだ。


「快適に暮らしたいと願う人がいる限り、俺たちの仕事はなくならない。人間でも、魔族でも、どこに住んでいても」


透は窓の外を見た。


異世界の空は、今日も青く澄み渡っている。


「さて、行くか」


透は立ち上がった。


「次の現場へ」




技術者・冴木透の旅は、まだ終わらない。


この世界のどこかで、誰かが快適な暮らしを求めている限り。


彼は走り続ける。


現場へ。


人々の元へ。


「快適」という名の幸福を届けるために。


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異世界空調師 ―俺の冷媒配管が魔王城の温度を制す― もしもノベリスト @moshimo_novelist

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