第19章「二つの世界の試運転」
ヒートポンプシステムの設置工事は、想像以上に困難だった。
魔王城は巨大で、配管を通すルートは複雑を極めた。千年の歳月で増築を繰り返した城は、迷路のように入り組んでいる。
「師匠、ここの配管が通りません」
ガルドが報告に来た。
「梁と干渉してます」
「干渉チェックしたはずだが——」
透は現場に向かった。
確かに、配管が梁にぶつかっている。図面上では通るはずだったが、実際の寸法が違う。
「図面と現場が、合っていない」
透は呟いた。
「千年前の建築だから、当時の記録も残っていない。仕方がない、現場合わせでルートを変更するしかない」
「了解です」
ガルドが作業員を指揮し、ルート変更を行う。
こういった問題は、日々発生した。透は常に現場を回り、問題を解決していった。
工事開始から二ヶ月が経った頃、別の問題が浮上した。
「人間の技術者が、魔王城で工事をしている」
その噂が、魔族の中で広まっていた。
多くの魔族は、透たちを受け入れていた。毎日懸命に働く姿を見て、信頼を寄せるようになっていた。
だが、一部には反発する者もいた。
「人間なんかに頼るべきじゃない」
「魔王様は、人間に弱みを見せている」
そういった声が、水面下で広がっていた。
ある夜、透は一人で設計図を確認していた。
試運転まで、あと二週間。最終チェックを進めなければならない。
「トール殿」
突然、声がした。
振り返ると、若い魔族の男が立っていた。見覚えがある。工事現場で働いている職人の一人だ。
「どうした、こんな夜更けに」
「……お話があります」
男の表情は硬かった。
「実は、城内に反対派がいます。人間との協力に反対している者たちです」
「知っている」
「彼らが、工事を妨害しようとしています」
透の目が細くなった。
「妨害?」
「試運転の日に、何かを仕掛けるつもりだと聞きました。詳しいことは分かりませんが……」
「なぜ、俺に教える?」
男は少し黙ってから答えた。
「……あなたたちの仕事を見ていたからです」
「俺たちの仕事を?」
「毎日、朝から晩まで働いている。寒い中、自分の手を動かして。魔族のために」
男は透を見た。
「最初は、人間なんか信用できないと思っていました。でも、あなたたちの姿を見て、考えが変わりました」
「……」
「この城が暖かくなれば、子供たちが凍えなくて済む。病人が冬を越せる。それを実現しようとしているあなたたちを、妨害させるわけにはいきません」
透は、男の目を見つめた。
「……ありがとう」
透は言った。
「教えてくれて」
「いいえ。私にできることは、これくらいですから」
男は頭を下げて、去っていった。
翌日、透はフリーズガルドに報告した。
「妨害の可能性がある、と?」
フリーズガルドの表情が曇った。
「はい。詳しい内容は分かりませんが、試運転の日を狙っているようです」
「……反対派か」
フリーズガルドは深くため息をついた。
「彼らの気持ちも、分からないではない。人間との協力に抵抗があるのは、当然だ」
「では——」
「だが、それでも、この工事は成功させなければならない」
フリーズガルドは透を見た。
「民を守るために。試運転の日、警備を強化する。君たちも、注意を怠らないでくれ」
「分かりました」
試運転の日が来た。
魔王城の大広間には、多くの魔族が集まっていた。フリーズガルドをはじめとする城の幹部たち、そして、工事に参加した職人たち。
「準備はいいか」
透はガルドに確認した。
「はい。全システム、チェック完了です」
「リーナさん」
「魔力回路、正常です。いつでも起動できます」
「マグナス殿」
「魔法陣、安定しています。問題ありません」
透は深呼吸をした。
「では、起動する」
リーナがシステムに魔力を込める。
魔法陣が光を帯び、魔力回路が起動する。
数秒後——
「熱転送、開始」
透は計器を確認した。
外気熱吸収部の氷魔石が、青白く光っている。外気から熱を吸収している証拠だ。
その熱が、魔力回路を通じて、室内放熱部へと送られていく。
「室内温度、上昇開始」
ガルドが報告した。
「現在五度……六度……七度……」
大広間の温度が、みるみるうちに上がっていく。
「十度……十二度……十五度……」
集まっていた魔族たちから、どよめきが起きた。
「暖かい……」
「本当に、暖かくなっている……」
「二十度、到達しました!」
ガルドが叫んだ。
大広間に、歓声が上がった。
フリーズガルドは、信じられないような顔で周囲を見回していた。
「この部屋が……こんなに暖かくなるとは……」
「成功です」
透は言った。
「ヒートポンプ、正常稼働。目標温度に到達しました」
だが、その瞬間——
「異常発生!」
マグナスが叫んだ。
「魔法陣に干渉が!」
透は計器を見た。魔力回路の出力が、急激に変動している。
「何が——」
「誰かが、外部から魔法陣を攻撃している!」
マグナスは杖を構えた。
「反対派の仕業だ!」
透は即座に判断した。
「ガルドは、システムの安定化を。マグナス殿とリーナさんは、魔法陣の防御を」
「師匠は?」
「攻撃元を探す」
透は走り出した。
干渉は、魔法陣に対して行われている。ということは、攻撃者は魔法陣の近くにいるはずだ。
透はスキル【危険予知】を発動した。
視界の端に、赤い光が点滅する。危険の方向を示すシグナルだ。
「あそこか——」
透は城の北棟に向かって走った。
北棟の地下。そこに、攻撃者がいた。
三人の魔族。いずれも、城の警備兵の服を着ている。
彼らは、魔法陣の一部に向かって魔法を放っていた。
「止まれ!」
透は叫んだ。
三人が振り返る。
「人間か——」
「邪魔をするな!」
一人が、透に向かって魔法を放った。
氷の槍。それが透に向かって飛んでくる。
透は咄嗟に身を翻した。【危険予知】のおかげで、わずかに先を読むことができた。氷の槍は、透の頬をかすめて壁に突き刺さった。
「くっ——」
透は態勢を立て直した。
三対一。魔法を使える相手に、透が勝てる見込みは薄い。
だが、逃げるわけにはいかない。
「なぜ、こんなことをする」
透は言った。
「この工事は、お前たちの仲間を守るためのものだ」
「黙れ!」
リーダー格の男が叫んだ。
「人間なんかに頼るくらいなら、凍えて死んだ方がましだ!」
「そんなことを言って——」
「お前たちに分かるか!」
男の声が震えていた。
「千年前、人間は俺たちの故郷を侵略しようとした。多くの仲間が殺された。俺の祖先も——」
「……」
「それなのに、魔王様は人間と手を結ぼうとしている。裏切りだ! これは裏切りなんだ!」
透は男を見つめた。
怒りと悲しみが入り混じった目。千年の恨みを背負った目。
「お前の言うことは、分かる」
透は静かに言った。
「過去の傷は、簡単には癒えない。俺も、そういう傷を持つ人間を、たくさん見てきた」
「なら——」
「だが、過去に囚われていては、未来は開けない」
透は一歩前に出た。
「お前が俺を憎むのは、仕方がないことかもしれない。だが、今、この城には何千人もの魔族が住んでいる。子供も、老人も。彼らを、過去の恨みの犠牲にするのか?」
男は黙った。
「俺は、お前たちの敵じゃない。この城を暖かくするために来た。それだけだ」
「……」
「お前の仲間を、凍えさせたくない。それは、お前も同じじゃないのか?」
長い沈黙が流れた。
やがて、男の手から魔力が消えた。
「……俺は……」
男は顔を歪めた。
「俺は、何をやっているんだ……」
他の二人も、手を下ろした。
「来い」
透は言った。
「大広間に戻ろう。お前たちの仲間が、暖かい部屋で待っている」
大広間に戻ると、システムは安定を取り戻していた。
「師匠!」
ガルドが駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか!」
「ああ。問題は解決した」
透は、連れてきた三人をフリーズガルドの前に立たせた。
「彼らが、妨害を行っていました」
フリーズガルドの表情が険しくなった。
「お前たちは——」
「待ってください」
透は言った。
「彼らには、彼らの理由がありました。過去の傷、人間への恨み。それは、理解できます」
「だが、妨害は——」
「罰するのは、後でもできます。今は、試運転を完了させましょう。彼らにも、この部屋の暖かさを感じてもらいたい」
フリーズガルドは、透を見つめた。
やがて、彼は小さく頷いた。
「……分かった」
試運転は、無事に完了した。
大広間の温度は二十二度で安定。システムは正常に稼働している。
「成功だ……」
フリーズガルドは、感慨深げに呟いた。
「本当に、成功したんだ」
大広間には、魔族たちの笑顔があふれていた。
子供たちが走り回り、老人たちが暖かい空気を楽しんでいる。
「トール殿」
フリーズガルドが近づいてきた。
「君のおかげだ。ありがとう」
「いいえ」
透は首を横に振った。
「俺は、自分の仕事をしただけです」
「自分の仕事、か」
フリーズガルドは微笑んだ。
「君にとっては、そうなのかもしれないな」
彼は大広間を見回した。
「だが、私たちにとっては、奇跡だ。千年間、この城は寒かった。それが、今日から変わる」
「……」
「君は、この城に命を吹き込んでくれた。それは、決して忘れない」
透は、何も言わなかった。
ただ、暖かい空気の中で、魔族たちの笑顔を見つめていた。
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