第18章「ヒートポンプの奇跡」



工事は、予想以上に難航した。


問題は、魔族の職人たちだった。


彼らは優秀だったが、透のやり方に慣れていなかった。図面を読むこと、寸法を正確に測ること、手順書に従って作業すること。それらは、彼らにとって未知の概念だった。


「師匠、また間違えてます」


ガルドが報告に来た。


「北棟の保温材、指定した厚さの半分しか張られていません」


透は深くため息をついた。


「原因は?」


「『だいたいこのくらいでいいだろう』と思ったそうです」


「だいたい、じゃダメなんだ」


透は現場に向かった。




「皆、聞いてくれ」


透は職人たちを集めた。


魔族の職人たち。青い肌や角を持つ者、獣の耳を持つ者。見た目は様々だが、全員が不安そうな顔をしている。


「保温材の厚さが、指定より薄かった。なぜそれが問題なのか、説明する」


透は図を描いた。


「保温材は、熱を逃がさないための壁だ。厚さが半分になれば、断熱効果は半分以下になる。せっかく暖めた空気が、外に逃げてしまう」


「でも、見た目は変わらないじゃないですか」


若い職人が言った。


「見た目は変わらない。だが、性能は全然違う」


透は言った。


「工事というのは、見た目ではなく、性能で評価される。『だいたい』では、ダメなんだ」


職人たちは顔を見合わせた。


「なぜ、そこまで厳密にやる必要があるんですか?」


年配の職人が質問した。


「これまで、こういう工事をしたことがないので、よく分からないのです」


透は少し考えてから答えた。


「理由を説明しよう」


透は壁を指差した。


「この城には、何千人もの魔族が住んでいる。子供も、老人も、病人もいる。彼らにとって、この工事は命綱だ」


「……」


「保温材が薄ければ、部屋は冷える。部屋が冷えれば、病気になる人が出る。最悪の場合、死ぬ人も出る」


透は職人たちを見回した。


「俺たちがここで手を抜けば、誰かが死ぬかもしれない。『だいたい』で済ませていい仕事じゃないんだ」


沈黙が流れた。


やがて、年配の職人が口を開いた。


「……分かりました」


彼は深く頭を下げた。


「最初からやり直します。指定通りの厚さで」


「頼む」


透は頷いた。


「俺も一緒にやる。正しいやり方を、見せるから」




それから、透は毎日現場に立った。


職人たちと一緒に保温材を張り、ダクトを通し、配管を接続した。


「トール殿、あなたは責任者なのに、なぜ自分で作業するのですか?」


イグナートが不思議そうに聞いた。


「責任者だからこそ、現場に立つんだ」


透は答えた。


「図面を描くだけでは、本当の問題は見えない。現場に立って、自分の手を動かして、初めて分かることがある」


「それは……」


「俺の世界では、『現場百遍』という言葉があった。現場を百回見ろ、という意味だ。それくらい、現場は大切なんだ」


イグナートは考え込むように頷いた。


「人間の技術者は、皆そうなのですか?」


「全員がそうとは言わない。だが、優秀な技術者は、現場を大切にする。俺は、そういう技術者でありたいと思っている」




工事が進む中で、新たな問題が浮上した。


暖房システムの核心部分——熱源の設計だ。


「火魔石を燃やすだけでは、効率が悪すぎる」


透はリーナと議論していた。


「もっと効率的な方法が必要だ」


「どのような方法を考えていますか?」


「ヒートポンプだ」


「ヒートポンプ?」


「熱を『汲み上げる』技術だ。俺の世界では、エアコンや冷蔵庫に使われていた」


透は図を描いた。


「基本的な原理はこうだ。まず、冷たい場所から熱を『吸収』する。次に、その熱を暖かい場所に『放出』する。これを繰り返すことで、熱を移動させる」


「でも、冷たい場所から熱を取り出すことなんてできるのですか?」


「できる。物理的には、絶対零度(マイナス二百七十三度)以上の全ての物質は、熱を持っている。極寒の外気でさえ、ある程度の熱エネルギーを持っているんだ」


リーナは目を瞠った。


「外気から熱を取り出す……」


「そうだ。外気の熱を吸収し、それを室内に放出する。火魔石を燃やすより、遥かに効率がいい」


「でも、どうやって?」


「氷魔石と火魔石を組み合わせる」


透は図を描き足した。


「氷魔石は熱を吸収する性質がある。これを外気にさらして、熱を吸収させる。次に、その熱を何らかの方法で火魔石に転送し、室内に放出する」


「熱の転送……」


リーナは考え込んだ。


「魔力回路を使えば、できるかもしれません」


「魔力回路?」


「はい。魔力は、熱エネルギーを運ぶことができます。氷魔石と火魔石を魔力回路で繋げば、熱を転送できるはずです」


透の目が輝いた。


「それだ」


「でも、大規模な魔力回路を設計するには、専門家の力が必要です」


「心当たりは?」


リーナは微笑んだ。


「一人、います」




その夜、リーナは王都に魔法通信を送った。


「マグナス様に連絡を取りました。三日後に、こちらに来てくださるそうです」


「ありがたい」


透は安堵の息をついた。


「魔導院の長老なら、魔力回路の設計もできるだろう」


「ええ。それに、マグナス様はあなたの技術に興味を持っておられました。きっと、喜んで協力してくださいます」




三日後、マグナスが魔王城に到着した。


「ほう……」


老魔導師は、城の中を見回しながら呟いた。


「これが、魔王の城か。来るのは初めてだが……意外と、普通の城だな」


「普通、ですか?」


イグナートが苦笑した。


「もっと恐ろしい場所を想像していたよ。だが、実際に来てみれば、ただの古い城だ。寒いが」


「その寒さを、解消するために来ていただきました」


透が近づいた。


「マグナス殿、お越しいただきありがとうございます」


「礼には及ばん。面白そうな仕事だと聞いたからな」


マグナスは透を見た。


「ヒートポンプ、と言ったか。詳しく聞かせてもらおうか」




透は、マグナスに自分の計画を説明した。


外気から熱を吸収し、室内に放出するシステム。氷魔石と火魔石を組み合わせ、魔力回路で熱を転送する仕組み。


「なるほど……」


マグナスは図面を見つめていた。


「熱力学の応用、か。私の専門外だが、理屈は分かる」


「魔力回路の設計は、可能でしょうか」


「可能だ。だが、大規模なシステムになると、魔力の消費が膨大になる。それをどう賄うか——」


マグナスは考え込んだ。


「魔法陣を使おう」


「魔法陣?」


「魔力を効率的に循環させるための回路だ。私の専門分野でな。トール殿の設計図と組み合わせれば、効率的なシステムを作れるかもしれん」


透の顔が明るくなった。


「やってみましょう」




それから一週間、透とマグナスは共同で設計作業を行った。


技術者と魔導師。異なる分野の専門家が、一つのシステムを作り上げていく。


「ここに魔法陣を配置すれば、魔力の流れがスムーズになります」


「なるほど。では、配管のルートをこちらに変更すれば、干渉を避けられる」


「それは良い。ただ、この角度だと魔力が滞留する。少し傾きを変えてくれ」


二人の議論は、深夜まで続いた。




設計が完成したのは、到着から十日目のことだった。


「これが、異世界版ヒートポンプの設計図です」


透は、完成した図面を広げた。


フリーズガルド、マグナス、リーナ、ガルド。全員が、図面を覗き込んだ。


「外気熱吸収部、熱転送回路、室内放熱部。三つのパートで構成されています」


透は説明した。


「外気熱吸収部には、大型の氷魔石を設置します。これが外気から熱を吸収し、マグナス殿の設計した魔法陣を通じて、熱転送回路に送り込みます」


「熱転送回路は、銅管と魔力回路の複合システムです。熱エネルギーを、損失なく室内まで運びます」


「室内放熱部には、火魔石を配置します。転送された熱を受け取り、室内に放出します」


透は図面を指差した。


「このシステムが稼働すれば、火魔石の消費量は、従来の十分の一以下になります」


「十分の一……」


フリーズガルドは息を呑んだ。


「それは、本当か」


「試算では、そうなります。もちろん、実際に動かしてみないと分かりませんが」


フリーズガルドは図面を見つめた。


やがて、彼は顔を上げた。


「作ってくれ」


その声には、切実な願いが込められていた。


「この城を、暖かくしてくれ」


「必ず」


透は頷いた。


「必ず、成功させます」

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