第17章「極寒の現場調査」



北への旅は、厳しいものだった。


街道は次第に悪くなり、雪は日増しに深くなった。馬車が進めなくなったのは、出発から八日目のことだ。


「ここからは、徒歩で行くしかありませんな」


案内役の魔族が言った。使者と同じ部族の者で、名をイグナートという。


「魔王城までは、あと三日の道のりです」


透は馬車を降り、周囲を見回した。


一面の雪原。空は灰色で、太陽の光は弱々しい。気温は、体感で氷点下二十度を下回っている。


「寒いな……」


ガルドが歯を鳴らした。


「この程度で弱音を吐くな」


透は言ったが、自分も寒さを感じていた。前世で経験したどの現場よりも、過酷な環境だ。


「防寒対策は十分ですか?」


リーナが近づいてきた。彼女の周りには、かすかな暖気が漂っている。火魔法で体温を維持しているのだろう。


「何とかなる」


「無理はしないでください。凍傷になったら大変です」


「分かっている」


三人は、イグナートの後に続いて歩き始めた。




三日後、魔王城が姿を現した。


「あれが……」


透は息を呑んだ。


山の頂に、巨大な城が聳えていた。


黒い石で造られた城壁、無数の尖塔、凍りついた堀。圧倒的な威容は、まさに「魔王の城」にふさわしい。


だが、透の目は、別のものを見ていた。


「あの煙……」


城の随所から、白い煙が上がっている。暖房の排気だろう。だが、その量が異常に多い。


「効率が悪すぎる」


透は呟いた。


「あれだけの排気が出ているということは、それだけの熱が無駄に逃げているということだ」


「分かるのですか?」


リーナが驚いたように言った。


「見れば分かる。城全体が、熱を垂れ流している状態だ」


透は城を見上げた。


「これは、思った以上に大がかりな工事になるな」




城門をくぐると、衛兵たちが整列していた。


全員が、人間とは異なる姿をしている。青い肌、尖った耳、鋭い牙。だが、その目には敵意はなく、むしろ期待のような光が宿っていた。


「ようこそ、人間の技術者殿」


正面から、一人の魔族が歩いてきた。


長身で、銀色の髪を持つ男。服装は簡素だが、纏う雰囲気には威厳がある。


「私がフリーズガルドだ」


透は目を見開いた。


「魔王……様?」


「様は不要だ。私は君に仕事を依頼する側だ。対等な関係でいい」


フリーズガルドは微笑んだ。


「遠路はるばる、よく来てくれた。まずは、温まっていってくれ」




謁見の間は、思ったよりも暖かかった。


だが、「暖かい」と言っても、外に比べればの話だ。透の感覚では、室温は十度程度。長時間いれば、体が冷えてくる温度だ。


「これが、城内で最も暖かい部屋だ」


フリーズガルドは言った。


「他の部屋は、もっと寒い。居住区でさえ、真冬には氷点下になる」


「それは……厳しいですね」


「ああ。毎年、冬になると病人が増える。特に子供と老人は——」


フリーズガルドの声が、わずかに震えた。


「私の力では、救えない命がある」


透は黙って聞いていた。


「君の技術で、この城を暖かくできるか?」


「やってみます」


透は言った。


「まずは、現場調査をさせてください。城の構造、既存の暖房システム、断熱の状況。全て把握しなければ、改修計画は立てられません」


「分かった。城内のどこでも、自由に見てくれ。案内はイグナートにつけさせる」


「ありがとうございます」


透は立ち上がった。


「では、早速始めます」




現場調査は、五日間に及んだ。


透は城の隅々まで歩き回り、構造を把握し、図面を作成した。


「これは……」


調査を進めるほど、問題の深刻さが明らかになった。


城は千年前の建築で、断熱という概念がほとんど存在しない。石造りの壁は、外気の寒さをそのまま内部に伝えている。


暖房システムは、火魔石を燃やして熱を発生させる単純な仕組みだ。だが、発生した熱の大部分が、断熱の悪い壁から外に逃げてしまっている。


「穴の空いたバケツに水を入れているようなものだ」


透はガルドに説明した。


「いくら暖房を焚いても、熱が逃げていく。これでは、火魔石をいくら使っても足りない」


「どうすればいいんですか?」


「まず、断熱だ。壁に保温材を施し、熱が逃げるのを防ぐ。それから、暖房システムを効率化する」


透は図面に書き込んでいく。


「離宮の空調システムと同じ原理を使う。熱を一箇所で発生させ、ダクトを通じて各部屋に送り込む。そうすれば、火魔石の消費量を大幅に削減できる」


「それは……大変な工事ですね」


「ああ。だが、やるしかない」




五日目の夜、透はフリーズガルドに調査結果を報告した。


「問題は、大きく分けて二つあります」


透は図面を広げた。


「一つ目は、断熱の欠如です。城の壁は、外気の寒さをそのまま伝えています。これを改善するために、壁全体に保温材を施す必要があります」


「保温材?」


「熱を逃がさないための材料です。この世界にも、羊毛や獣の毛皮など、断熱効果のある素材があるはずです。それを加工して、壁に張り付けます」


「なるほど」


「二つ目は、暖房システムの非効率です。現在のシステムは、火魔石を各部屋で燃やしていますが、これでは熱が分散して、効率が悪い。中央で熱を発生させ、ダクトを通じて各部屋に送り込むシステムに変えます」


透は図面の別のページを開いた。


「これが、改修後のシステム図です」


フリーズガルドは図面を見つめた。


「これで、どのくらい効率が上がる?」


「試算では、火魔石の消費量を六割削減できます」


「六割……」


フリーズガルドの目が見開かれた。


「それだけ削減できれば、鉱山の寿命が何倍にも延びる」


「はい。それだけでなく、城内の温度も上がります。現在の十度前後から、二十度以上に」


「二十度……」


フリーズガルドは、信じられないような顔をした。


「そんなことが、本当に可能なのか?」


「可能です。俺は、同じことを人間の王城でやりました。魔王城でも、同じことができます」


フリーズガルドは、長い間黙っていた。


やがて、彼は口を開いた。


「工事に必要なものは、何でも用意する。何が必要だ?」


「まず、人手です。魔族の職人を、三十名ほど」


「用意する」


「次に、材料です。保温材になる素材、金属板、配管材料。リストを作りますので、調達をお願いします」


「分かった」


「そして——」


透は真剣な目でフリーズガルドを見た。


「時間です。この工事は、最低でも三ヶ月かかります。その間、工事の継続を保証してください」


「三ヶ月か」


フリーズガルドは頷いた。


「約束しよう。三ヶ月間、君たちの安全と工事の継続を保証する」


「ありがとうございます」


透は頭を下げた。


「必ず、成功させます」




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