第13章「グリーンファイルの革命」
空調ギルドは、急速に成長していた。
設立から半年で、職人の数は二十名を超えた。依頼も増え、王都だけでなく、周辺の都市からも引き合いが来るようになった。
だが、成長には問題が伴った。
「師匠、困ったことになりました」
ガルドが深刻な表情で報告に来た。
「何があった?」
「北地区の現場で、事故がありました」
透の表情が引き締まった。
「詳しく話せ」
「職人の一人が、足場から落ちて怪我をしました。幸い命に別状はありませんが、骨折で三ヶ月は働けないそうです」
「原因は?」
「足場の固定が甘かったようです。職長が確認を怠っていた、と……」
透は深くため息をついた。
これは、予想していた問題だった。
ギルドが大きくなるにつれて、透の目が届かない現場が増えている。自分が直接見ていない場所で、安全管理が疎かになっていた。
「怪我をした職人の情報は?」
「えーと……」
ガルドは書類を探った。
「名前はカール。二十五歳。ギルドに入ったのは三ヶ月前で……それ以外の情報は、すぐには分かりません」
「社会保険は?」
「社会保険?」
「職人組合保証金から、治療費や休業補償は出るか、という話だ」
ガルドは困惑した表情を浮かべた。
「それは……確認しないと分かりません」
透は頭を抱えた。
管理体制が、追いついていない。
前世では当たり前だった「安全書類(グリーンファイル)」の管理が、この世界では存在しない。作業員の名簿、資格証明、保険加入状況、緊急連絡先。そういった基本的な情報が、きちんと整理されていない。
「ガルド」
「はい」
「緊急で会議を開く。ギルドの全職長を集めろ」
その日の夕方、ギルドの事務所に全職長が集まった。
ガルドを含めて五名。それぞれが、現場を持っている。
「今日は、安全管理について話す」
透は切り出した。
「北地区の現場で事故があった。足場からの転落で、職人が骨折した」
職長たちの表情が曇った。
「原因は、確認不足だ。足場の固定が甘かったのを、誰も気づかなかった。もし運が悪ければ、死亡事故になっていた可能性もある」
沈黙が流れた。
「俺たちは、人の命を預かっている」
透は言った。
「建設工事は危険な仕事だ。高所作業、重量物運搬、火気使用。一瞬の油断が、死につながる。それを防ぐのが、俺たち管理者の責任だ」
透は一枚の紙を取り出した。
「今日から、新しい制度を導入する。『安全書類制度』だ」
「安全書類……?」
「作業員に関するすべての情報を、書類で管理する仕組みだ。以下の書類を、全ての現場で必ず作成・保管すること」
透は書類の内容を説明した。
作業員名簿:現場に入る全員の氏名、年齢、住所、緊急連絡先、血液型を記載。
資格証明書控:各作業員が持つ資格(高所作業許可、溶接技能など)の写しを保管。
保険加入証明:職人組合保証金への加入を証明する書類。
新規入場者教育記録:現場に初めて入る作業員に対して、現場ルールの説明を行った記録。
危険予知活動記録:毎日の朝礼で行うKY活動の内容を記録。
職長たちは、戸惑いの表情を浮かべていた。
「これを……毎日やるんですか?」
「やる」
透は断言した。
「面倒だと思うかもしれない。だが、これは命を守るための仕組みだ。書類があれば、誰がどんな資格を持っているか、すぐに分かる。事故が起きた時に、どこに連絡すればいいか、すぐに分かる」
透は職長たちを見回した。
「俺の世界では、この仕組みがあったおかげで、多くの命が救われた。この世界でも、同じことができるはずだ」
沈黙が続いた。
やがて、最年長の職長が口を開いた。
「……やってみよう」
彼は頷いた。
「確かに、今の管理は甘かった。誰が現場にいるかも、正確には把握できていなかった。それで事故が起きたんなら、変えなきゃいけない」
他の職長たちも、一人ずつ頷いていった。
「よし」
透は満足そうに言った。
「では、明日から導入を開始する。書類の様式は、俺が作成して配布する。分からないことがあれば、何でも聞いてくれ」
安全書類制度の導入は、予想以上にスムーズに進んだ。
最初は書類作成に戸惑っていた職長たちも、一週間もすれば慣れてきた。作業員名簿が整備されると、現場の管理が格段にやりやすくなった。
「師匠、これは便利ですね」
ガルドが感心したように言った。
「誰がどこにいるか、一目で分かる。資格も確認できるから、適切な人員配置ができる」
「そうだ。情報は、力になる。正確な情報があれば、正確な判断ができる」
透は技術ノートに新たな項目を書き加えた。
「安全書類制度(グリーンファイル):全現場で導入完了。事故防止と情報管理の基盤を確立」
三ヶ月後。
安全書類制度の効果が、数字で現れ始めた。
「事故発生件数、前期比で六十パーセント減少」
シルヴィアが報告した。
「軽微なものを含めても、大幅に減っています。特に、新規入場者の教育を徹底したことで、新人の事故がほぼゼロになりました」
「よし」
透は頷いた。
「だが、油断するな。ゼロを維持することが目標だ。事故が減ったからといって、管理を緩めれば、また増える」
「分かっています」
シルヴィアは微笑んだ。
「それにしても、この制度は他のギルドにも広まりつつあります」
「他のギルド?」
「はい。建築ギルドや土木ギルドから、『うちでも同じ仕組みを導入したい』という問い合わせが来ています」
透は少し驚いた。
「そうか……」
「トール殿の影響力は、確実に広がっていますよ」
シルヴィアは言った。
「この国の建設業界全体が、変わり始めている」
透は窓の外を見た。
前世では、安全管理の文化が定着するまでに、何十年もかかった。多くの犠牲を払って、ようやく今の水準に達した。
この世界では、最初から正しい形を作ることができる。
その機会を、無駄にしてはいけない。
「次は、品質管理だな」
透は呟いた。
「安全の次は、品質。その次は、効率。一つずつ、基盤を固めていく」
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