第12章「鍛冶工房の換気問題」
病院の工事が終わって間もなく、新たな依頼が舞い込んだ。
「王国鍛冶組合からの相談です」
シルヴィアが報告した。
「王都最大の鍛冶工房で、職人が次々と倒れているそうです」
「倒れている?」
「はい。めまいや吐き気、意識を失うこともあるとか。暑さのせいだと思われていますが、対策をしても改善しないらしく……」
透は眉をひそめた。
鍛冶工房。高温環境と、金属加工に伴う粉塵や煙。
ある可能性が頭をよぎった。
「現場を見に行こう」
王都最大の鍛冶工房は、城壁の近くにあった。
巨大な建物から、黒い煙がもうもうと上がっている。近づくにつれて、金属を叩く音と、炉の熱気が押し寄せてきた。
「お越しいただきありがとうございます」
出迎えたのは、組合の代表を務める年配の男だった。名前はヴォルフ・ハンマー。がっしりとした体格で、腕には無数の火傷の跡がある。
「状況を教えてください」
「この工房では、五十人の職人が働いています。ここ数ヶ月で、そのうち十人以上が体調を崩しました。めまい、吐き気、頭痛。ひどい者は、作業中に倒れることもあります」
「暑さが原因だと思いますか?」
「最初はそう思いました。窓を増やし、水をこまめに飲ませるようにしましたが……改善しません」
透は工房の中に入った。
最初に気づいたのは、空気の重さだった。
煙と熱気が充満し、視界がかすんでいる。呼吸をするたびに、喉がいがらっぽくなる。
そして——匂い。
金属の焦げる匂いに混じって、何か別の刺激臭がする。
透の脳裏に、前世の知識が蘇った。
「この工房で、何を作っていますか?」
「主に武器と農具です。剣、槍、鋤、鍬。あとは、馬具や建築金物も」
「金属の加熱に、何を使っていますか?」
「石炭です。木炭よりも高温が出せるので」
透の表情が険しくなった。
「石炭を燃やすと、何が出るか分かりますか?」
「煙ですな」
「煙だけではありません」
透は工房の天井を見上げた。
「一酸化炭素という、目に見えない有毒な気体が発生します。これを吸い続けると、頭痛、めまい、吐き気が起きる。ひどい場合は、意識を失ったり、死に至ることもある」
ヴォルフの顔色が変わった。
「死……?」
「この工房には、換気設備がほとんどない。煙と一緒に一酸化炭素が充満している。職人たちは、毎日それを吸い続けている」
透は断言した。
「これは、暑さの問題ではありません。換気の問題です」
透は工房内を詳しく調査した。
問題は明らかだった。
石炭を燃やす炉が十基。そこから発生する煙と有害ガスが、天井に溜まっている。換気口はあるが、数が少なく、配置も悪い。煙を効率的に排出できていない。
「改修計画を立てます」
透は図面を広げた。
「各炉の上に、集煙フードを設置します。煙を発生源で捕捉し、ダクトを通じて屋外に排出する」
「集煙フード……?」
「煙を集める傘のようなものです。こうすることで、煙が工房全体に広がる前に、外に出すことができます」
透は図面に書き込んでいく。
「さらに、工房の両端に給気口を設け、新鮮な空気を取り込みます。排気と給気を組み合わせることで、工房全体の空気が入れ替わる仕組みを作ります」
ヴォルフは図面を見つめていた。
「これで……職人たちは、救われるのですか?」
「救われます」
透は言い切った。
「俺の世界では、この技術で多くの工場労働者の健康が守られてきました。この世界でも、同じことができるはずです」
工事には、二ヶ月を要した。
炉の上に巨大なフードを設置し、そこからダクトを屋根まで引き上げる。大がかりな工事だった。
ガルドが中心となって職人チームを指揮し、透は設計と監督を担当した。
「師匠、このダクトの接続、これでいいですか?」
「ああ、いい。フランジの締め付けを確認しろ」
「了解です」
ガルドの技術は、確実に向上していた。もはや透がつきっきりで見なくても、大抵の作業をこなせるようになっている。
「ガルド」
「はい」
「この工事が終わったら、お前に職長を任せる」
ガルドの目が見開かれた。
「職長……俺が?」
「ああ。お前なら、できる」
透は言った。
「俺一人では、ギルドの仕事を全部こなすことはできない。お前が独り立ちしてくれれば、もっと多くの依頼を受けられるようになる」
「でも、俺なんかが……」
「謙遜するな」
透はガルドの肩を叩いた。
「お前は、この数ヶ月で驚くほど成長した。技術も、判断力も、リーダーシップも。自信を持て」
ガルドは少し黙ってから、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。期待に応えられるよう、頑張ります」
工事が完了した日、試運転が行われた。
炉に火が入れられ、煙が発生する。その煙は、フードに吸い込まれ、ダクトを通じて屋外へと排出された。
「おお……」
工房内にいた職人たちから、歓声が上がった。
「煙が……消えていく」
「息がしやすい!」
「こんなに違うのか!」
ヴォルフは、感動に震える声で言った。
「信じられない。この工房で三十年働いてきたが、こんなに空気が澄んでいるのは初めてだ」
「これが、適切な換気というものです」
透は言った。
「職人たちの健康を守るためには、作業環境の改善が不可欠です。これからは、定期的にフィルターを清掃し、ダクトの点検を行ってください」
「必ず、そうします」
ヴォルフは透の手を握った。
「あなたは、我々の命を救ってくれた。この恩は、一生忘れない」
その夜、透は一人で工房の近くを歩いていた。
「見事な仕事でしたね」
背後から声がした。振り返ると、老人が立っていた。
白いローブに、長い髭。杖をついた姿は、いかにも魔法使いという風情だった。
「失礼ですが、どなたですか?」
「マグナスと申します。王国魔導院の長老を務めております」
透は目を見開いた。
マグナス。リーナから聞いたことがある。三百年以上生きる伝説的な魔導師だ。
「長老様が、なぜこのような場所に?」
「あなたの噂を聞いて、興味を持ったのです」
マグナスは透を見つめた。
「別の世界から来た技術者。魔法を使わずに、魔道具を改良する。設計図という概念で、建物を分析する。……実に興味深い」
「お恥ずかしい限りです」
「いいえ、謙遜することはありません」
マグナスは工房を見上げた。
「今日の換気システムを見て、確信しました。あなたの技術は、我々魔導師にも学ぶところがある」
「魔導師に……?」
「ええ」
マグナスは透に向き直った。
「特に、『設計図』という概念に興味があります。我々は魔法陣を使いますが、それは経験と直感に基づいて描かれることが多い。あなたのような体系的なアプローチは、魔法陣の設計にも応用できるのではないか、と」
透は少し考えてから答えた。
「魔法陣も、一種の『回路』ですよね。エネルギー(魔力)を流して、特定の効果を得る。だとすれば、設計図のアプローチは有効かもしれません」
「そうですな」
マグナスは微笑んだ。
「一度、魔導院を訪ねていただけませんか。あなたの知識を、我々と共有していただきたい」
「……光栄です」
透は頭を下げた。
「喜んで、お伺いします」
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