第11章「病院という戦場」



空調ギルドが正式に発足してから、一ヶ月が経った。


最初の依頼は、意外な場所から来た。


「王都中央病院から、相談があります」


シルヴィアが報告書を持ってきた。


「病院?」


「はい。手術室の環境改善をしたいとのことです」


透は報告書を受け取った。


王都中央病院は、グランヴェルト王国最大の医療施設だ。王族から一般市民まで、あらゆる階層の患者を受け入れている。


「具体的には、どんな問題が?」


「手術中の感染症が多いらしいのです。原因不明で、医療ギルドでは対処できないと」


透は眉をひそめた。


感染症。それは、前世でも重要なテーマだった。病院の空調設備は、一般の建物とは異なる特別な配慮が必要になる。


「詳しい話を聞きに行こう」




王都中央病院は、王城から馬車で三十分ほどの場所にあった。


石造りの大きな建物で、入口には医療ギルドの紋章が掲げられている。中に入ると、薬品の匂いと、人々のざわめきが押し寄せてきた。


「お待ちしておりました」


出迎えてくれたのは、白髪の老人だった。医療ギルドの幹部、レオナルド・ヘルム。この病院の責任者だという。


「空調ギルドの方ですな。お噂はかねがね」


「よろしくお願いします。早速ですが、問題の手術室を見せていただけますか」


「もちろん」


レオナルドに案内されて、病院の奥へと進んだ。


手術室は、二階の一角にあった。重い扉を開けると、清潔な室内が目に入る。


中央には手術台があり、周囲には様々な医療器具が並んでいる。窓は小さく、採光は限られている。


透は室内を見回しながら、質問を始めた。


「手術中、どのような問題が起きていますか」


「術後の感染症です」


レオナルドは重い声で答えた。


「手術自体は成功しても、傷口から菌が入り、化膿することがあります。ひどい場合は、命に関わる」


「どのくらいの頻度で?」


「十人に一人程度。これは、他の病院に比べてかなり高い数字です」


透は天井を見上げた。


この世界には、細菌やウイルスの概念がまだ確立されていない。だが、経験的に「何かが傷口に入ると化膿する」ことは知られている。


「換気はどうしていますか」


「窓を開けて、自然換気をしています。ただ、手術中は窓を閉めることが多いです。外の埃が入るので」


透は頷いた。


問題が見えてきた。


「手術室に入る人は、どのような服装ですか」


「普段と同じ服です。清潔なものを選んではいますが……」


「履物は?」


「革靴ですな」


透は深いため息をついた。


この手術室は、感染症対策が全くできていない。


外部からの細菌の侵入を防ぐ仕組みがない。空気の清浄化もされていない。これでは、感染症が多発するのは当然だ。


「レオナルド殿。一つ提案があります」


「何でしょう」


「この手術室を、外部から隔離された『清潔区域』に改造します。空気を清浄化し、細菌の侵入を防ぐ仕組みを導入する」


「細菌?」


「目に見えない、小さな生き物です。これが傷口に入ると、化膿の原因になります」


レオナルドは懐疑的な表情を浮かべた。


「目に見えない生き物……? それは、本当なのですか?」


「俺の世界では、顕微鏡という道具で実際に観察されていました。この世界にも、同じものが存在するはずです」


透は説明を続けた。


「具体的には、以下の対策を行います。一、手術室に外部から清浄な空気を送り込む換気システムを設置する。二、手術室内の気圧を、廊下よりも高く保つ。これにより、ドアを開けても、外部の空気が入ってこなくなる」


「気圧を高く……?」


「陽圧管理と言います。清潔な空気を常に送り込むことで、室内の圧力を高め、外部からの汚染を防ぐ方法です」


レオナルドは目を見開いた。


「そんなことが……可能なのですか?」


「可能です。離宮の空調システムと同じ原理を使います」


透は懐から図面を取り出した。


「これが、改修計画の概要です」


レオナルドは図面を食い入るように見つめた。


やがて、彼は顔を上げた。


「やってください」


その声には、切迫した思いが込められていた。


「患者を救うためなら、何でもやります」




工事は、三週間で完了した。


手術室には、新たに換気システムが設置された。清浄な空気が常に送り込まれ、室内は陽圧に保たれている。


さらに、透はいくつかの追加対策を提案した。


「手術室に入る前に、この部屋で服を着替えてください」


透は、新設された「更衣室」を指差した。


「専用の手術着と、清潔な履物に履き替える。外部からの汚染物質を、ここで遮断します」


「服を着替える……」


レオナルドは半信半疑だった。


だが、透の指示に従うことにした。




新しい手術室での最初の手術が行われた。


執刀医は、透の指示通りに更衣を行い、清浄な空気が流れる手術室で手術を実施した。


結果は——


「感染症が、起きなかった」


一週間後、レオナルドは興奮した様子で透のもとを訪れた。


「いや、一件だけではない。この一週間で五件の手術を行ったが、一人も感染症になっていない!」


「予想通りです」


透は静かに言った。


「陽圧管理と、入室時の汚染防止対策。この二つで、外部からの細菌侵入を大幅に減らせます」


「素晴らしい……」


レオナルドは透の手を握った。


「あなたの技術は、人の命を救う。医療の革命だ」


「大げさですよ」


「いいえ、大げさではない」


レオナルドの目には、涙が浮かんでいた。


「私は、長年この病院で働いてきた。何人もの患者が、手術は成功したのに感染症で亡くなるのを見てきた。それが、防げるかもしれない。どれほど多くの命が救われることか……」


透は何も言わなかった。


ただ、レオナルドの手を握り返した。




だが、成功には必ず反発がつきものだった。


「異端だ」


医療ギルドの一部から、激しい批判が起きた。


「目に見えない生き物が病気の原因だと? そんな馬鹿げた話があるか!」


「よそ者が、我々の流儀に口を出すな!」


「手術前に服を着替えるなど、手間がかかりすぎる!」


批判の先頭に立っていたのは、ベテランの外科医たちだった。長年のやり方を否定されることへの反発が、強かった。


「トール殿」


レオナルドが困り果てた顔で報告に来た。


「一部の医師たちが、新しい手順を拒否しています。どうすれば……」


「強制しないでください」


透は言った。


「何?」


「新しい方法を、無理やり押し付けても、反発が強まるだけです。データで示しましょう」


透は提案した。


「新しい手順を採用した手術と、従来の手順を採用した手術。両方の感染症発生率を記録して、比較する。結果が出れば、どちらが正しいか、誰の目にも明らかになります」


レオナルドは少し考えてから、頷いた。


「……分かりました。その方法でいきましょう」




三ヶ月後。


データが揃った。


「新手順採用:手術五十件中、感染症発生三件。発生率六パーセント」


「従来手順採用:手術五十件中、感染症発生十二件。発生率二十四パーセント」


透は医療ギルドの全体会議で、このデータを発表した。


「四倍の差です」


透は言った。


「新しい手順を採用することで、感染症の発生率を四分の一に減らすことができます」


会議室に沈黙が流れた。


批判的だった医師たちも、データを前にしては何も言えなかった。


「……認めよう」


最も声高に批判していた老医師が、渋々と言った。


「データは嘘をつかない。新しい方法の方が、優れている」


「では——」


レオナルドが立ち上がった。


「本日より、王都中央病院の全手術室で、新手順を標準とすることを決定します」


拍手が起きた。


透は静かに頭を下げた。




その夜、透はギルドの事務所で報告書を書いていた。


「病院の空調改修、完了。感染症発生率の大幅な低減を確認」


そこに、ガルドがやってきた。


「師匠、お疲れ様です」


「ああ」


「病院の工事、大変だったでしょう。医者たちからの反発も」


「反発は、想定内だ。新しいことを始めれば、必ず起きる」


透はペンを置いた。


「大事なのは、データで示すことだ。感情論ではなく、事実で説得する。それが、技術者のやり方だ」


「技術者のやり方……」


ガルドは何か考え込むような表情を浮かべた。


「師匠は、いつもデータを大切にしますね」


「ああ。データは嘘をつかない。人は嘘をつくことがあっても、数字は嘘をつかない」


透は窓の外を見た。


「この世界には、まだ『データで判断する』という文化が根付いていない。経験と勘と権威で物事が決まる。それを、少しずつ変えていきたい」


「変える……」


「ああ。時間はかかるだろう。だが、一歩ずつ進んでいけば、必ず変わる」


ガルドは頷いた。


「俺も、師匠のやり方を学びます。データで考える技術者に、なれるように」


「期待してるぞ」


透は微笑んだ。

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