第10章「王の涼風」
試運転の日が来た。
離宮の大広間には、多くの人々が集まっていた。国王アルベルト、宮廷の重臣たち、そして——ヴァルモント公爵。
公爵は、不機嫌そうな表情で会場の隅に立っていた。侵入者たちは、証拠不十分で釈放されていた。彼らと公爵を結びつける直接的な証拠がなかったのだ。
だが、透は気にしなかった。
今日の成功が、すべてを証明する。
「準備はいいか」
透はリーナに確認した。
「はい。魔力供給システム、正常に作動しています」
「ガルド」
「吹出口、全て開放確認済みです」
「シルヴィア」
「立会人の配置、完了しています」
透は深呼吸をした。
「では、始める」
透は大広間の中央に立った。
「陛下、皆様。本日は、夏の離宮空調システムの試運転にお立ち会いいただき、ありがとうございます」
周囲がざわめく。大広間は、真夏の熱気で蒸し暑い。扇を使っている貴族もいる。
「これから、システムを起動します。数分後には、この部屋の温度が十度下がります」
「十度?」
ヴァルモント公爵が嘲笑するように言った。
「そんなことが、本当に可能なのかね? 魔道具をいくつか置いただけで」
「可能です」
透は公爵を見つめた。
「御覧になっていてください」
透はリーナに合図を送った。
「起動」
リーナが機械室の魔道具に魔力を込める。
数秒後——
天井の吹出口から、冷たい風が流れ始めた。
「おお……」
どよめきが起きた。
風は部屋全体に行き渡り、むせ返るような暑さが、みるみるうちに和らいでいく。
「こ、これは……」
公爵の表情が、嘲笑から驚愕へと変わった。
透は壁に設置した温度計を指差した。
「現在の室温、三十五度から二十八度に低下。さらに下がり続けています」
五分後。
温度計は、二十五度を示していた。
「二十五度」
透は宣言した。
「目標温度に到達しました」
大広間に、拍手が起きた。
国王が立ち上がり、透に歩み寄った。
「見事だ、トール殿」
「ありがとうございます、陛下」
「この涼しさ……まるで、秋のようだ。いや、秋よりも快適かもしれん」
国王は深く息を吸った。
「この離宮で、三十年以上の夏を過ごしてきたが、こんなに涼しい夏は初めてだ」
「恐れ入ります」
国王は透の肩に手を置いた。
「約束通り、報酬を与えよう。だが、その前に——」
国王は声を張り上げた。
「皆の者、聞け。本日より、トール・サエキに騎士爵位を授与する」
どよめきが起きた。
透自身も、驚きを隠せなかった。
「陛下、それは——」
「断るな」
国王は微笑んだ。
「君の功績は、爵位に値する。それに、爵位があれば、今後の活動がやりやすくなるだろう」
透は少し考えた。
確かに、爵位があれば、貴族社会での発言力が増す。工事を広げていく上で、有利に働くだろう。
「……謹んでお受けいたします」
透は片膝をついた。
「グランヴェルト王国の騎士として、この国の発展に尽くすことを誓います」
再び拍手が起きた。
ヴァルモント公爵だけが、苦虫を噛み潰したような顔で黙っていた。
試運転の成功を祝う宴が開かれた。
透は、あまり酒を飲まなかった。祝宴が苦手というわけではないが、まだ仕事が残っている気がしていた。
「騎士爵位、おめでとうございます」
シルヴィアが近づいてきた。
「これで、正式に『サー・トール』ですね」
「慣れないな、その呼び方は」
「すぐに慣れますよ。それより——」
シルヴィアは声を落とした。
「今後の計画について、お話ししたいことがあります」
「何だ?」
「この成功を受けて、他の貴族からも問い合わせが来ています。自分の屋敷にも同じシステムを導入したい、と」
透は眉を上げた。
「もう?」
「はい。今日の試運転に立ち会った貴族たちが、早速動き始めています。需要はかなりあります」
「だが、今の人員では対応しきれない」
「そこで、提案があります」
シルヴィアは透を窓際に連れ出した。
「『空調ギルド』を設立しませんか?」
「ギルド?」
「はい。トール殿の技術を継承し、空調設備の設計・施工を行う専門集団です。職人を育成し、各地からの依頼に対応できる体制を整える」
透は考え込んだ。
ギルドの設立。それは、個人の仕事から組織の仕事への移行を意味する。責任も、規模も、大きく変わる。
だが——
「必要だな」
透は呟いた。
「俺一人では、限界がある。技術を広めるためには、人を育て、組織を作るしかない」
「では——」
「やろう」
透は決断した。
「空調ギルドを設立する。ガルドを筆頭職人として、職人の育成を始める。シルヴィアさんには、ギルドの経営面を担当してもらいたい」
「喜んで」
シルヴィアは微笑んだ。
「良いパートナーシップになりそうですね」
宴が終わり、透は離宮の庭を歩いていた。
月明かりの下、静かな時間だった。
「トール殿」
後ろから声がした。振り返ると、リーナが立っていた。
「祝宴に戻らないのですか?」
「少し、頭を冷やしたくてな」
「頭を冷やす……あなたが?」
リーナは少し驚いたような顔をした。
「いつも冷静なあなたが、頭を冷やす必要があるとは」
「冷静に見えるだけだ。内心では、いろいろ考えている」
透は夜空を見上げた。
「騎士爵位をもらった。ギルドを設立することになった。この世界での立場が、急速に変わっている。それに、少し戸惑っている」
「戸惑い……」
「俺は、ただの設備屋だ。現場で働いて、配管を通して、設備を動かす。それが俺の仕事だった。なのに、いつの間にか、貴族になって、組織を率いる立場になっている」
リーナは黙って聞いていた。
「これでいいのか、と思う時がある。俺は、こういう立場にふさわしい人間なのか」
「ふさわしい人間、ですか」
リーナは透の隣に立った。
「私は、ふさわしいと思いますよ」
「なぜ?」
「あなたは、人を大切にする。職人たちの安全を守り、彼らの生活を保障しようとする。そういう人が上に立てば、組織は良い方向に向かいます」
リーナは月を見上げた。
「私は宮廷で長く働いてきました。権力を持つ人間を、たくさん見てきました。多くの人は、権力を得ると変わります。傲慢になり、人を道具のように扱うようになる」
「……」
「でも、あなたは違う気がします。権力を持っても、現場を忘れない。人を大切にし続ける。そういう人が、この国には必要なのです」
透は、リーナの横顔を見つめた。
月明かりに照らされた彼女の表情は、穏やかで、どこか寂しそうだった。
「リーナさん」
「はい」
「ありがとう」
リーナは少し驚いたように透を見た。
「……何がですか?」
「この数ヶ月、ずっと助けてもらった。魔法置換の開発、資材調達の交渉、気密試験の夜の警備。あなたがいなければ、この工事は成功しなかった」
「私は、当然のことをしただけです」
「当然のこと、か」
透は微笑んだ。
「俺の世界では、『当然のこと』を当然にやれる人は少なかった。だから、ありがとうと言いたい」
リーナの頬が、わずかに赤くなった。
「……こちらこそ、感謝しています。あなたから学んだことは、たくさんありました」
「まだ、一緒に働いてもらうぞ」
「え?」
「空調ギルドの顧問として、リーナさんの力を借りたい。魔法と技術の融合は、あなたなしでは成り立たない」
リーナは目を丸くした。
「私が……ギルドの顧問に?」
「嫌か?」
「いいえ」
リーナは微笑んだ。
「喜んで、お受けします」
二人は、月明かりの下で握手を交わした。
数日後。
透は国王に謁見を求め、空調ギルドの設立を正式に報告した。
「ギルドか。面白い」
国王は興味深そうに言った。
「設備を専門に扱うギルドは、この国には存在しない。新しい試みだな」
「はい。設備工事を専門とする職人を育成し、各地からの依頼に対応できる体制を整えます」
「資金は?」
「今回の工事報酬と、シルヴィア・ダクトン殿の出資で賄います」
「シルヴィアか。あの女は商才がある。良いパートナーを見つけたな」
国王は頷いた。
「よかろう。ギルドの設立を認可する。だが——」
国王の目が鋭くなった。
「ヴァルモント公爵の動きに気をつけろ。奴は、お前の成功を快く思っていない。今後も妨害を続けるだろう」
「承知しています」
「もし危険を感じたら、遠慮なく報告せよ。王家として、対応を考える」
「ありがとうございます、陛下」
透は深く頭を下げた。
空調ギルド設立の宣言は、その日のうちに王都中に広まった。
反応は様々だった。
多くの商人や職人は、新しいビジネスチャンスとして歓迎した。だが、既存の魔道具商からは、反発の声も上がった。
「よそ者が、我々の商売を奪おうとしている」
「王家に取り入って、不当な優遇を受けている」
そういった噂が、水面下で広がっていった。
だが、透は気にしなかった。
「批判は、成功の証だ」
透はガルドに言った。
「何か新しいことを始めれば、必ず反対する人がいる。それは、俺たちが正しい方向に進んでいる証拠だ」
「でも、妨害が激しくなるかもしれません」
「だから、備える。技術を磨き、品質を上げ、実績を積む。文句のつけようがない仕事をすれば、批判は自然と消える」
ガルドは頷いた。
「分かりました。俺も、もっと腕を磨きます」
「頼んだぞ」
透は技術ノートを開いた。
次のページには、こう書かれていた。
「空調ギルド設立。目標:この国の建設業界に、安全・品質・効率の新基準を確立する」
その下に、新たな一行を書き加えた。
「第一期生募集:配管工見習い、十名」
新しい時代が、始まろうとしていた。
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