第5章「宮廷魔導師の興味」
村の雑貨屋の冷蔵庫を直したのは、その翌日のことだった。
「これは……すごい。まるで新品のようだ」
店主は、冷蔵庫の扉を開け閉めしながら、何度も感嘆の声を上げた。
中に入れた肉が、みるみるうちに冷えていく。昨日までは、なかなか冷えなくて困っていたのに。
「酸化被膜を除去して、魔力回路を清掃しただけです。大きな修理ではありません」
「それでも、ありがたい。この冷蔵庫が壊れたら、商売あがったりだったからな」
店主は財布から銀貨を取り出した。
「これで足りるか?」
「十分です」
透は銀貨を受け取った。
これで、修理の実績が一つ増えた。館の魔道具だけでなく、村の一般家庭の魔道具も直せることが証明された。
店を出ると、ガルドが待っていた。
「師匠、次はどこへ?」
「館に戻る。今日は、昨日買った氷魔石で実験をする」
二人は村のメインストリートを歩いた。道の両側には、様々な店が並んでいる。パン屋、肉屋、布屋、雑貨屋。小さいながらも、活気のある村だ。
「師匠」
ガルドが何かに気づいたように足を止めた。
「どうした?」
「あれ……」
ガルドが指差した先には、一台の馬車が停まっていた。
馬車自体は珍しくない。だが、その馬車は、明らかに他のものとは格が違った。漆黒の車体に金の装飾。御者は正装をしており、馬もよく手入れされている。
「あの紋章は……」
ガルドの声が、緊張で震えた。
「王家の紋章だ」
透は馬車を見つめた。確かに、車体の側面には、剣と冠を組み合わせた紋章が刻まれている。
「王家の人間が、こんな田舎に?」
「分かりません。でも、あの馬車が向かっている先は——」
「館だな」
透とガルドは、足を速めた。
館に着くと、玄関前は騒然としていた。
使用人たちが慌ただしく動き回り、子爵自身も正装に着替えて外に出ている。
「トール殿!」
マルティナが駆け寄ってきた。
「大変です。王都から、宮廷魔導師様がお見えになりました」
「宮廷魔導師?」
「王家に仕える魔法使いの最高位です。この国で最も優れた魔法使いの一人が、わざわざこの田舎に——」
「私の噂を聞いたので、確かめに来たのです」
涼やかな声が響いた。
振り返ると、若い女性が立っていた。
銀色の長い髪が風になびいている。瞳は氷のような青色。白と青を基調とした、優雅なローブを身にまとっている。年齢は二十代半ばだろうか。美しいが、どこか近寄りがたい雰囲気がある。
「リーナ・フロスティア。宮廷魔導師を務めています」
彼女は透を真っ直ぐに見つめた。
「あなたが、魔道具を直した人ですね」
「……ええ」
透は警戒を緩めなかった。王家の人間が、わざわざ田舎まで来る。その意図が分からない。
「失礼ですが、何の用件でしょうか」
「見たいのです」
リーナは言った。
「あなたの技術を。噂では、魔法を使わずに魔道具を修理したとか」
「魔法は使えません。代わりに、別の知識を使いました」
「その知識とは?」
「物理法則です。熱の移動、空気の流れ、金属の性質。魔法とは違う方法で、同じ結果を得ることができる」
リーナの目が、わずかに見開かれた。
「興味深い。見せていただけますか」
透は、リーナを工房に案内した。
工房には、昨日の実験の準備が整っていた。小さな氷魔石、銅線、そして手製の温度計(水銀の代わりに、着色した水を使った簡易的なもの)。
「これから、氷魔石の性質を調べる実験をします」
透は氷魔石を台の上に置いた。
「まず、魔力を込める前の温度を測ります」
水温計を氷魔石に当てる。目盛りは、室温と同じ位置を示している。
「では、魔力を込めてください」
リーナは頷き、氷魔石に手をかざした。
淡い青色の光が、彼女の手から石へと流れ込む。
数秒後、氷魔石の表面に霜が浮かび始めた。
「温度が下がっています。今、氷点下近くまで下がりました」
透は温度計の目盛りを読み上げた。
「魔力を込めることで、石自体の温度が下がる。これは、熱が『どこかへ移動した』ことを意味します」
「どこかへ?」
「そうです。熱は消滅しません。必ずどこかへ行く。氷魔石が冷えたということは、石の中の熱が、別の場所に移動したということです」
透は銅線を手に取った。
「次に、この銅線を氷魔石に巻き付けます。そして、銅線のもう一方の端を、室外に出します」
ガルドが手伝って、銅線を窓の外に垂らした。
「もう一度、魔力を込めてください」
リーナが再び魔力を込める。
氷魔石が冷え始める。同時に、透は窓の外に出した銅線の先端を確認した。
「……やはり」
透は呟いた。
「銅線の先端が、わずかに温かくなっています」
リーナの目が大きく見開かれた。
「熱が、銅線を通じて移動した……?」
「仮説ですが、氷魔石は熱を『吸収』する性質を持っているようです。そして、吸収した熱は、接触している物質を通じて外部に逃げる」
透は図を描いた。
「これを応用すれば、より効率的な冷房システムが作れます。氷魔石で室内の熱を吸収し、銅線やパイプを通じて室外に排出する。室外に火魔石を置けば、排熱をさらに効率よく行える」
「それは……」
リーナは絶句した。
「私たちは、魔道具の原理を理解していなかった。ただ、氷魔石を箱に入れて、魔力を込めれば冷えると思っていた。でも、本当は——」
「熱の移動です。魔法であっても、物理法則は覆らない」
透は言った。
「俺の世界では、この原理を『熱力学』と呼んでいました。魔法がなくても、この原理を使って冷暖房を行っている。エネルギーは形を変えるだけで、消滅しない。それが、自然の法則です」
リーナは長い間、黙って透を見つめていた。
やがて、彼女は口を開いた。
「トール殿」
「はい」
「あなたを、王都にお招きしたい」
透は眉をひそめた。
「王都に?」
「はい。王城の夏の離宮が、暑すぎて使い物にならないのです。毎年、夏になると王族は避暑地に逃げるしかない。それを解決できるなら、王家は相応の報酬を用意します」
透は考え込んだ。
王都への招聘。それは、この世界での足場を固める絶好の機会だ。王家の仕事を成功させれば、信用と資金の両方が手に入る。
だが、同時にリスクもある。宮廷は権力闘争の場だ。無名の「設備屋」が、いきなり王家の仕事をすれば、反感を買う者も出てくるだろう。
「条件があります」
透は言った。
「この館の仕事を完了させてから、王都に向かわせてください。途中で投げ出すことはできません」
リーナは微笑んだ。
「誠実な方ですね。よろしい。館の仕事が終わるまで待ちます。その間、私もここに滞在させていただきます」
「ここに?」
「はい。あなたの技術を、もっと学びたいのです」
透は内心で複雑な思いを抱えながらも、頷いた。
「分かりました。では、明日から、一緒に作業してください」
「喜んで」
リーナの目が、珍しく輝いた。
その夜、透は技術ノートに新たな項目を書き加えた。
「協力者:リーナ・フロスティア(宮廷魔導師)」
氷属性の魔法使い。魔力制御に優れ、氷魔石との相性が良い。
透の理論を理解する知性がある。
この協力者は、透の計画において重要な役割を果たすことになるだろう。
透はペンを置き、窓の外を見た。
月明かりが、静かな村を照らしている。
「王都、か……」
新たな挑戦が、始まろうとしていた。
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