第4章「氷魔石との出会い」
ガルドを弟子にして一週間が経った。
透は毎朝、日の出と共に起床する習慣をつけていた。前世の現場仕事で染みついた生活リズムは、異世界に来ても変わらない。
「おはようございます、師匠」
ガルドは透よりも早く起きていた。すでに作業着に着替え、工房の前で待機している。その目には、学ぶ者特有の熱意が宿っていた。
「よし。今日の作業内容を確認するぞ」
透は壁に貼った図面の前に立った。館の改修計画は、三段階に分かれている。
第一段階:既存魔道具の点検と修理。 第二段階:ダクト(風道)の設計と製作。 第三段階:全館への設置と試運転。
現在は第一段階の途中だ。八台ある魔道具のうち、四台の点検を終えた。すべてに酸化被膜の問題があり、透の手で修理を施した。
「今日は五台目の点検だ。場所は、二階の大広間」
「了解です」
「その前に、KYをやる」
「ケーワイ、ですか?」
「危険予知だ。今日の作業で、どんな危険があるか考えろ」
ガルドは少し戸惑った顔をした。この世界には「危険予知活動」という概念がない。作業前に危険を洗い出すという発想自体が、新しいものだった。
「えーと……魔道具を分解するので、指を挟む危険がありますか?」
「いい視点だ。他には?」
「……高い場所に登るかもしれないので、落下の危険?」
「そうだ。対策は?」
「指を挟まないように、工具を正しく使う。高所では、しっかり足場を確認する」
透は頷いた。
「よし。それを意識して作業しろ。俺は常に見ているが、最終的に自分の身を守るのは自分だ」
ガルドの表情が引き締まった。
「分かりました」
二階の大広間は、館で最も広い部屋だった。天井が高く、壁には大きな窓が並んでいる。冬場の社交パーティーなどに使われるらしいが、夏は暑すぎて誰も近づかない。
「これが五台目の魔道具です」
マルティナが指差したのは、部屋の隅に置かれた大型の箱だった。他の魔道具よりも一回り大きい。
「大広間用の大型冷房装置ですね。設置されたのは五十年ほど前だと聞いています」
「五十年……」
透は魔道具に近づき、外観を観察した。木製の外装は経年劣化で黒ずんでいる。ルーバーからは、かすかに風が出ているが、冷気はほとんど感じられない。
「開けるぞ」
背面パネルを外す。予想通り、内部には酸化被膜が蓄積していた。だが、それ以上に透の目を引いたものがあった。
「この石……」
氷魔石だ。だが、他の魔道具に入っていたものとは明らかに様子が違う。
他の氷魔石は、うっすらと青白い光を帯びていた。魔力を込めれば、その光が強まり、冷気を発する。
だが、この氷魔石は——灰色だった。
光を失い、まるで普通の石のように見える。
「マルティナさん、この石は?」
「えっ……ああ、氷魔石ですね。どうかしましたか?」
「光っていない。他のものとは状態が違う」
マルティナは眉をひそめた。
「確かに……色が違いますね。五十年も経てば、劣化するのでしょうか」
透は考え込んだ。
氷魔石は、魔力を込めると冷気を発する。だが、その「発する」という動作を繰り返すうちに、石自体が消耗するのかもしれない。電池のように。
「交換が必要だな。新しい氷魔石は、どこで手に入る?」
「王都の魔道具商で扱っています。ただ、氷魔石は希少な鉱物ですので、かなり高価です」
「いくらぐらいだ?」
「この大きさのものなら……金貨二十枚は下らないかと」
ガルドが小さく息を呑んだ。金貨二十枚は、一般的な農民の年収に相当するらしい。
「高いな……」
透は腕を組んだ。
氷魔石は冷媒だ。そして、冷媒には寿命がある。前世のエアコンでも、冷媒ガスは十年、二十年と使い続けるうちに少しずつ漏れ、性能が低下していく。
だが、前世のシステムは「循環型」だった。冷媒は室外機と室内機の間をぐるぐると回り続け、基本的には減らない。漏れさえなければ、半永久的に使える。
この世界の魔道具は、おそらく「消費型」なのだろう。氷魔石の魔力を一方的に消費して冷気に変換し、消費し尽くしたら交換する。燃料を燃やし続けるストーブのようなものだ。
非効率だ。
「マルティナさん、氷魔石の仕組みについてもっと詳しく教えてくれないか? 魔力を込めると冷気を発する、というのは分かった。だが、なぜ冷気が発生するのか。そのメカニズムは?」
マルティナは困惑した表情を浮かべた。
「なぜ、と言われましても……氷魔石は冷気を発する性質を持つ鉱物、としか」
「魔力を込める前と後で、石の状態に変化はあるか?」
「……温度は下がります。それ以外は、特に」
「温度が下がる。つまり、石自体が冷えるということか?」
「はい。魔力を込めると、石の表面が霜で覆われるほど冷たくなります」
透の脳内で、いくつかの歯車が噛み合い始めた。
氷魔石に魔力を込めると、石自体が冷える。その冷えた石を空気にさらすと、周囲の空気が冷やされる。
これは——ヒートポンプの原理だ。
ヒートポンプとは、熱を「くみ上げる」技術である。低い温度の場所から熱を吸収し、高い温度の場所に移動させる。冷蔵庫もエアコンも、この原理で動いている。
つまり、氷魔石は「熱を吸収する」性質を持っているのではないか。
魔力を込めると、石が周囲から熱を吸収する。その結果、石自体は冷たくなり、周囲は涼しくなる。
だが、吸収した熱はどこへ行く?
「この魔道具、背面に排熱口のようなものはあるか?」
透は魔道具の周囲を調べた。だが、それらしい構造は見当たらない。
「ない、か……」
問題が見えてきた。
この魔道具は、熱を吸収するだけで、排出する仕組みがない。吸収された熱は、おそらく魔道具の内部——木の筐体や金属部品に蓄積されている。
だから、長時間運転すると効率が落ちるのだ。魔道具自体が熱くなり、せっかく作った冷気を相殺してしまう。
「排熱が必要だ」
透は呟いた。
「師匠?」
ガルドが不思議そうな顔をする。
「いや、まだ仮説の段階だ。確かめるために、少し実験がしたい」
透はマルティナを振り返った。
「新品の氷魔石を一つ、手に入れることはできるか? 小さいもので構わない」
「小さいものなら……村の雑貨屋に、食料保存用のものがあるかもしれません」
「買ってきてくれ。実験に使いたい」
マルティナは頷いた。
「分かりました。ですが、何を実験するおつもりですか?」
透は少し考えてから答えた。
「冷房の効率を上げる方法を、探す」
村の市場は、思っていたよりも活気があった。
透は一人で市場を歩いていた。マルティナは氷魔石を探しに雑貨屋へ向かい、ガルドは館で魔道具の清掃作業を続けている。
透が市場に来たのは、この世界の「相場」を知るためだった。見積もりを作るには、材料費の情報が必要だ。銅線、金属板、木材、布。そういった基本的な資材が、この世界でいくらで取引されているのか。
「おや、見かけない顔だね」
露店の一つで、老婆が声をかけてきた。彼女の店には、様々な金属製品が並んでいる。鍋、フライパン、包丁、蝶番。
「銅線を探している。細いやつだ」
「銅線かい。どのくらいの太さだい?」
透は親指と人差し指で、直径二ミリほどの輪を作った。
「このくらい。長さは、三十メートルほど欲しい」
老婆は目を丸くした。
「そんな長いのは、うちには在庫がないね。鍛冶屋に注文するしかないよ」
「この村の鍛冶屋は?」
「ガルドの親父さんところさ。村で唯一の鍛冶屋だよ」
透は少し驚いた。ガルドの実家が鍛冶屋だということは知っていたが、村で唯一だったとは。
「ありがとう。行ってみる」
透は露店を後にし、村の外れにある鍛冶屋へ向かった。
鍛冶屋は、遠くから見てもすぐに分かった。煙突から黒い煙が上がり、金属を叩く音が響いている。
「失礼する」
透が声をかけると、作業の音が止んだ。
「誰だ?」
奥から出てきたのは、五十代と思われる大柄な男だった。ガルドと同じ日焼けした肌と、鍛冶仕事で鍛えられた腕。間違いなく、ガルドの父親だろう。
「冴木透といいます。ガルドの——」
「ああ、あんたか」
男の目が細められた。友好的な表情ではない。
「息子を誑かした男だな」
「誑かした、とは?」
「ガルドは鍛冶屋を継ぐはずだった。それが、あんたの弟子になるとか言い出して、家を飛び出した」
透は内心で舌打ちした。ガルドから、そういう事情は聞いていなかった。
「申し訳ない。事情を知らなかった」
「知らなかった、で済むか。あいつは——」
「父さん」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、ガルドが立っていた。息を切らしている。走ってきたのだろう。
「師匠がここに来たと聞いて——」
「ガルド」
父親の声が、低く響いた。
「お前、まだそんな馬鹿なことを言ってるのか」
「馬鹿なことじゃない」
ガルドの声には、かつてないほどの力がこもっていた。
「師匠の技術を見れば分かる。図面一つで建物の構造を把握し、空気の流れを計算し、魔道具を直す。こんな技術、この世界にはなかった」
「だからなんだ。鍛冶屋の技術も、百年、二百年と受け継がれてきたものだ」
「それは分かってる。でも、俺は——」
「お前が継がなければ、この鍛冶屋は終わりだ」
沈黙が流れた。
透は、二人のやり取りを黙って聞いていた。これは家族の問題だ。部外者が口を挟むべきではない。
だが、同時に、透には言うべきことがあった。
「一つ、聞いてもいいですか」
透は静かに言った。
父親が、険しい目で透を見る。
「何だ」
「あなたの鍛冶屋は、銅線を作れますか? 細くて、長い銅線を」
「……銅線?」
「ええ。直径二ミリ、長さ三十メートルほど」
父親は眉をひそめた。
「作れるが……そんな長い銅線を何に使う」
「魔道具の改良に使います。この領の館に、新しい空調システムを作ろうとしている。そのためには、大量の銅線が必要になる」
「空調システム?」
「部屋を涼しくしたり、暖かくしたりする仕組みです。今、館にある魔道具は古くて効率が悪い。俺の技術で改良すれば、もっと快適な環境を作れる」
透は一歩前に出た。
「ガルドは、その技術を学んでいます。配管の加工、図面の読み方、危険の予知。鍛冶屋の技術とは違いますが、どちらも『ものづくり』という点では同じです」
父親は黙って透の話を聞いていた。
「俺は、ガルドに鍛冶屋を辞めろとは言っていない。鍛冶の技術と、俺の技術は、矛盾しない。むしろ、両方を身につければ、この世界で誰にもできない仕事ができるようになる」
透はガルドを見た。
「そうだろう、ガルド?」
ガルドは少し驚いた顔をした。だが、すぐに頷いた。
「……はい。俺は、鍛冶屋の倅であることを捨てるつもりはありません。父さんから学んだ技術は、俺の中に生きています。その上に、師匠の技術を積み上げたいんです」
父親は長い間、息子の顔を見つめていた。
やがて、彼は深いため息をついた。
「……銅線、三十メートルだったな」
「はい」
「明日までに作ってやる。代金は——」
「見積もりを出してくれ」
透は言った。
「俺は、正当な対価を払う。値切りはしない。良い仕事には、良い報酬が必要だ」
父親は、少しだけ目を見開いた。
そして、初めて、わずかに口元を緩めた。
「……変わった男だな、あんた」
「よく言われます」
鍛冶屋を後にして、透とガルドは館への道を歩いていた。
「師匠」
「なんだ」
「ありがとうございました」
透は首を横に振った。
「俺は何もしていない。お前が自分で言葉を選んで、自分で父親に伝えた。俺はきっかけを作っただけだ」
ガルドは少し黙ってから、言った。
「師匠は……前の世界でも、こういうことがあったんですか?」
「こういうこと?」
「弟子と、その家族との間に入って、話をまとめるような」
透は苦笑した。
「何度もあった。建設業界は、家族経営の会社が多いからな。親父が社長で、息子が跡継ぎ。でも、息子は別の道に行きたくて……なんて話は、珍しくない」
「どうするんですか、そういう時」
「話を聞く。両方の話を聞いて、共通点を探す。大抵の場合、根っこでは同じことを望んでいる。表現が違うだけで」
ガルドは何か言いたそうにしていたが、結局、黙って歩き続けた。
館に戻ると、マルティナが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「トール殿! 大変です!」
「どうした?」
「氷魔石を買いに行ったら、雑貨屋の店主がこんなことを言うんです。『うちの冷蔵庫も調子が悪いんだが、直してもらえないか』と」
透は目を瞬かせた。
「冷蔵庫?」
「食料を保存するための箱です。中に小さな氷魔石が入っていて、冷気で食料を冷やすのですが、最近効きが悪くなったと」
「……なるほど」
透の脳内で、いくつかの可能性が浮かんだ。
館の魔道具を直したという噂が、村に広まっている。そして、同じような問題を抱えている人がいる。
「その店主に伝えてくれ。明日、見に行くと」
「分かりました。でも、なぜ急に——」
「サンプルが増えるからだ」
透は言った。
「俺はまだ、この世界の魔道具について分からないことが多い。館の魔道具だけでなく、村の魔道具も見れば、共通の問題点が分かる。共通の問題点が分かれば、共通の解決策を作れる」
マルティナは目を丸くした。
「それは……たった一つの解決策で、多くの魔道具を直せるということですか?」
「そうだ。それが、『標準化』というものだ」
透は窓の外を見た。夕日が沈み始めている。
「さて、今日はここまでにしよう。明日も早い」
その夜、透は与えられた部屋で、図面を広げていた。
館の平面図、断面図、そして改善提案図。それに加えて、今日の発見を書き加えた「技術ノート」。
氷魔石の性質について。 排熱の問題について。 循環システムの可能性について。
前世の知識と、この世界の魔法技術。この二つを組み合わせれば、何か新しいものが生まれるかもしれない。
透は羽ペンを置き、天井を見上げた。
「冷媒の循環か……」
前世のエアコンは、冷媒が閉じた回路の中を循環することで、熱を移動させていた。室内機で熱を吸収し、室外機で熱を放出する。その繰り返し。
この世界の魔道具は、氷魔石が熱を吸収するが、放出する仕組みがない。だから効率が悪い。
もし、氷魔石に吸収させた熱を、どこかに逃がすことができれば——
「火魔石」
透は呟いた。
マルティナが言っていた。氷魔石の対になる石として、火魔石というものがある。魔力を込めると熱を発する鉱物。
氷魔石が熱を吸収し、火魔石が熱を放出する。
この二つを組み合わせれば——
「ヒートポンプだ」
透の目が輝いた。
氷魔石で室内の熱を吸収し、その熱を何らかの方法で火魔石に転送する。火魔石は室外に設置し、熱を外気に放出する。
これなら、氷魔石が過熱することなく、継続的に冷房を行える。
だが、問題がある。
熱を「転送」する方法だ。
氷魔石と火魔石の間を、何かで繋がなければならない。熱を運ぶ媒体——つまり、冷媒が必要だ。
前世のエアコンでは、フロンガスやHFCといった特殊な冷媒が使われていた。この世界に同じものがあるとは思えない。
「代替品を探すか、作るか……」
透は技術ノートに、新たなページを開いた。
「課題:熱媒体の開発」
そう書いて、ペンを置いた。
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