第8章「窒素の代わりに」
資材の調達と職人の手配に、二週間を要した。
その間、透は離宮の改修計画を詳細に詰めていった。図面を描き直し、施工手順を組み立て、必要な道具を発注した。
そして、いよいよ施工が始まる日がやってきた。
「今日から、配管工事を開始します」
透は、集まった職人たちの前に立った。
十五名。王都で最も腕の良い金属加工職人を、シルヴィアの伝手で集めてもらった。年齢は二十代から五十代まで様々だが、全員がプロフェッショナルの目をしている。
「その前に、朝礼を行います」
職人たちが顔を見合わせた。
「朝礼?」
「毎朝、作業開始前に全員で集まり、その日の作業内容と注意事項を確認する時間です。これから毎日行います」
「そんなことをして、何の意味があるんだ?」
年配の職人が、不満そうに言った。
「意味は、安全の確保です」
透は答えた。
「この工事には、高所作業、火器使用、重量物運搬など、危険な作業が多く含まれています。事前に危険を予測し、対策を共有することで、事故を防ぎます」
「俺たちはプロだ。いちいち言われなくても——」
「プロだからこそ、やるんです」
透は言った。
「俺の経験では、事故は『慣れ』から生まれます。『いつもやっているから大丈夫』『今日くらいは手を抜いても』。そういう油断が、命取りになる」
職人たちは黙った。
「朝礼は、その油断を防ぐためのものです。毎日、意識をリセットして、今日の危険に集中する。それが、全員を無事に家に帰すための方法です」
透は職人たちを見回した。
「この工事で、一人の怪我人も出したくない。そのために、俺は全力を尽くします。皆さんにも、協力をお願いします」
長い沈黙の後、最初に不満を言った年配の職人が口を開いた。
「……分かった」
彼は頷いた。
「あんたの言うことには、筋が通ってる。やってみよう」
他の職人たちも、一人、また一人と頷いた。
透は安堵の息をついた。
「ありがとうございます。では、朝礼を始めます」
配管工事は、離宮の地下から始まった。
主要な冷媒配管を、地下の機械室から各階へと通していく。銅管を切断し、曲げ、接続する。
「師匠、ここの接続は、フレアですか? ロウ付けですか?」
ガルドが質問した。彼はこの数週間で、配管加工の基礎をほぼ習得していた。
「ここはロウ付けだ。圧力がかかる部分だからな」
「分かりました」
ガルドがガスバーナーを準備する。
だが、透は待ったをかけた。
「待て。そのままロウ付けしたら、配管の中が酸化する」
「酸化?」
「銅管の内壁が、高温で酸素と反応して、黒いススができる。それが剥がれて、魔石を詰まらせる原因になる」
透は説明した。
「俺の世界では、『窒素置換』という方法を使っていた。配管の中に窒素ガスを流して、酸素を追い出してからロウ付けする」
「窒素ガス……」
「この世界には、窒素ガスはない。だから、別の方法が必要だ」
透はリーナを振り返った。
「リーナさん。風魔法で、配管の中から酸素を追い出すことはできますか?」
リーナは目を瞬かせた。
「酸素を追い出す……」
「空気を構成する成分は、大部分が窒素で、残りが酸素です。酸素だけを選択的に排出することはできなくても、配管内の空気を全て押し出して、外気と遮断することはできませんか?」
リーナは考え込んだ。
「空気を押し出すだけなら……できると思います。風魔法で配管内に圧力をかけ、空気を一方向に流せば」
「それだ」
透は頷いた。
「ロウ付けの間、配管の一端から風魔法で空気を押し出し続ける。そうすれば、酸素が供給されず、酸化を防げる」
「やってみましょう」
リーナが配管の端に手をかざした。
淡い光と共に、配管内から空気が流れ出す。
「よし、ガルド。今だ。ロウ付け開始」
ガルドがバーナーの火を当てた。
銅管が赤く熱せられ、銀ロウが溶けて隙間に浸透していく。
数十秒後、ロウ付け完了。
「配管内を確認するぞ」
透は、接続部分を切り開いて、内壁を点検した。
「……きれいだ」
酸化被膜は、全く発生していなかった。銅の表面は、新品のままの輝きを保っている。
「成功だ」
ガルドが歓声を上げた。
「すごい! 本当に酸化してない!」
「風魔法による酸素排除。これを『魔法置換』と呼ぼう」
透は技術ノートに書き込んだ。
「窒素置換の代替技術として、今後の標準工法にする」
リーナは自分の手を見つめていた。
「私の魔法が、こんな使い方ができるとは……」
「魔法も、道具だ。使い方次第で、無限の可能性がある」
透は言った。
「あなたの力が、この工事を成功に導く鍵になる。頼りにしています」
リーナの頬が、わずかに赤くなった。
「……ええ、任せてください」
配管工事は、順調に進んだ。
魔法置換の技術を全工程に適用し、酸化のない高品質な配管システムが構築されていく。
だが、問題は別のところから発生した。
「トール殿」
工事開始から一週間後、シルヴィアが険しい顔で透のもとに来た。
「何かあったか?」
「資材の調達に、妨害が入っています」
「妨害?」
「ええ。発注していた氷魔石が、急にキャンセルされました。理由は『他の注文が優先』とのことですが……」
透は眉をひそめた。
「他の注文?」
「調べたところ、ヴァルモント公爵の関係者が、大量の氷魔石を買い占めているようです」
「ヴァルモント公爵……」
リーナが横から口を挟んだ。
「宮廷の守旧派貴族です。魔道具商売を牛耳っている一族で、新しい技術の普及を快く思っていません」
「つまり、俺たちの邪魔をしている、と」
「可能性は高いです」
透は腕を組んだ。
予想はしていた。既存の利権を脅かす者は、必ず抵抗に遭う。それは、どの世界でも同じだ。
「シルヴィアさん、代替の調達ルートは?」
「探していますが、短期間で必要量を確保するのは難しいです」
「……分かった」
透は考え込んだ。
氷魔石がなければ、冷房システムは動かない。だが、工期を遅らせるわけにはいかない。国王との約束がある。
「リーナさん」
「はい」
「氷魔石の産地は、どこですか?」
「北方の山岳地帯です。王都から馬車で十日ほどの場所に、主要な鉱山があります」
「そこに、直接買い付けに行くことはできますか?」
リーナは目を見開いた。
「産地直接……? 確かに、商人を通さずに買えば、公爵の妨害を避けられますが——」
「行きましょう」
透は言った。
「俺とリーナさんで、産地に行く。シルヴィアさんは、王都で別のルートを探し続けてください。二正面作戦だ」
シルヴィアは頷いた。
「分かりました。現場は誰が?」
「ガルドに任せる」
透はガルドを見た。
「お前、やれるか?」
ガルドは緊張した面持ちで、しかし力強く頷いた。
「やります。師匠が帰ってくるまで、現場を守ります」
「よし」
透は全員を見回した。
「では、作戦開始だ。各自、持ち場について」
その夜、透は出発の準備をしていた。
「師匠」
ガルドが訪ねてきた。
「どうした?」
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
ガルドは少し躊躇ってから、言った。
「怖くないですか?」
「怖い?」
「公爵に目をつけられて、妨害を受けて。それでも、立ち向かおうとしている。俺だったら、怖くて——」
「怖いさ」
透は正直に答えた。
「権力を持った人間に睨まれるのは、怖い。下手をすれば、この計画が潰されるかもしれない」
「それなのに、なぜ——」
「怖いからといって、逃げたら終わりだからだ」
透は言った。
「俺は、この工事を成功させたい。そのためには、妨害を排除しなければならない。怖いからといって手を引けば、公爵の思うつぼだ」
透はガルドの目を見た。
「怖いのは当然だ。大事なのは、怖くても前に進むことだ。それが、仕事というものだ」
ガルドは黙って聞いていた。
やがて、彼は深く頭を下げた。
「分かりました。師匠が戻ってくるまで、必ず現場を守ります」
「頼んだぞ」
透は微笑んだ。
「お前なら、できる」
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