第3章「この世界に"設計図"を」
翌朝、透は子爵から一人の人物を紹介された。
「我が領の書記官、マルティナだ。魔法と魔道具については、彼女に聞けばよい」
マルティナは二十代後半の女性だった。眼鏡をかけ、髪をきっちりと束ねている。どこか学校の先生を思わせる雰囲気だ。
「よろしくお願いします、トール殿。魔道具の修理ができる方と聞いて、正直驚いています」
「俺も、この世界のことは何も知らない。教えてもらえると助かる」
「ええ、喜んで」
二人は館の書庫に移動した。埃っぽい部屋だが、壁一面に書棚が並んでいる。田舎の領主としては、かなりの蔵書量だ。
「まず、基本的なことから」
マルティナが一冊の本を取り出した。
「この世界には四つの基本属性があります。火、水、風、土。魔法使いは、自分の適性に合った属性の魔法を使います。魔道具は、これらの属性を持つ『魔石』を核として作られます」
「昨日見た氷魔石は、水属性か?」
「正確には、水属性の中の『氷』系統ですね。水魔石から派生した希少種です。冷気を発する性質があり、食料の保存や、夏場の冷房に使われます」
透は頷いた。氷魔石は、この世界における「冷媒」だ。電気の代わりに魔力を使って冷却サイクルを回している。
「魔力の伝達方法は?」
「銅や銀などの金属線を使います。魔力は金属を伝わりやすい性質がありますので」
つまり、電気回路と同じ原理だ。導電性の金属が、魔力の「導体」として機能している。
「酸化すると伝達効率が落ちる、ということは?」
マルティナは目を丸くした。
「……ええ、その通りです。なぜお分かりに?」
「昨日の魔道具が、まさにその状態だった」
透は昨日の修理について説明した。マルティナは興味深そうに聞いている。
「なるほど……酸化被膜を物理的に除去する、という発想はありませんでした。通常は、魔法で浄化するか、新しい部品に交換するかのどちらかですので」
「魔法で浄化?」
「水属性の『浄化』の魔法を使えば、金属表面の汚れを落とせます。ただ、魔法使いの手を借りる必要がありますし、費用もかかります」
透は考え込んだ。
この世界の魔道具は、故障したら「魔法使いに直してもらう」か「新品に買い替える」かの二択しかない。メンテナンスの概念が、ほとんど存在していないのだ。
前世の日本では、空調設備の定期点検は法律で義務付けられている。フィルターの清掃、冷媒の漏れチェック、電気系統の点検。これらを怠れば、効率が落ちるだけでなく、最悪の場合は火災や事故に繋がる。
だが、この世界にはそういう考え方がない。
「マルティナさん」
「はい」
「この館の魔道具は、全部で何台ある?」
「ええと……正確には把握していませんが、冷房用が三台、暖房用が五台ほどでしょうか」
「その全てを点検したい。図面はあるか?」
「図面?」
マルティナは首を傾げた。
「建物の設計図のことです。各部屋の配置、壁の厚さ、窓の位置、魔道具の設置場所などが書かれた——」
「ああ、そういったものは……おそらく、ないと思います」
「ない?」
「この館は三百年前に建てられたものですが、当時の記録はほとんど残っていません。増築や改修も、職人の経験と勘で行われてきましたから」
透は頭を抱えた。
図面がない。
現代の建設現場では考えられないことだ。図面がなければ、どこに何があるのか分からない。配管のルート、電気の経路、構造体の位置。すべてが手探りになる。
だが、同時に、透は一つの可能性に気づいた。
「なら、俺が作る」
「え?」
「この館の図面を、俺が作る。全ての部屋を測量して、現状の設備を記録して、改善案を書き込む」
マルティナは目を見開いた。
「そんなことが……できるのですか?」
「できる」
透は断言した。
「それが、俺の仕事だ」
測量を始めて、三日が経った。
透は館内の全ての部屋を歩き回り、寸法を測り、記録していった。メジャーの代わりに、鍛冶屋に作ってもらった目盛り付きの棒を使う。水平は、水を張った皿で確認する。原始的だが、精度は十分だ。
夜になると、客室に籠もって図面を描いた。羊皮紙に、炭で線を引く。最初は勝手が分からず何度も描き直したが、徐々にコツを掴んできた。
四日目の朝。
透は子爵とマルティナを呼び、完成した図面を広げた。
「これが、この館の『平面図』です」
二人は息を呑んだ。
一階と二階、それぞれの部屋の配置が、精密な線で描かれている。壁の厚さ、窓の位置、扉の向き。そして、現在設置されている魔道具の位置が、記号で示されている。
「こ、これは……」
マルティナが声を震わせた。
「建物が、紙の上に……」
「平面図だけじゃない」
透は次の紙を取り出した。
「これは『断面図』。建物を縦に切った時に見える構造を描いたものだ。一階の天井裏がどうなっているか、二階の床下に空間があるかどうかが分かる」
子爵が身を乗り出した。
「これを見れば、壁を壊さなくても内部の構造が分かるのか?」
「ある程度は。もちろん、実際に見てみないと分からないこともあるが、事前に予測ができる。それが図面の強みだ」
透は最後の紙を広げた。
「そしてこれが、『改善提案図』だ」
図面には、赤い線で「空気の流れ」が描かれていた。
「この館の問題は、換気が不十分なことだ。魔道具で冷気を作っても、その冷気が部屋の中を循環していない。結果として、魔道具の近くだけが冷えて、部屋全体は暑いままになっている」
透は指で図面をなぞった。
「ここと、ここに『風道(ダクト)』を通す。魔道具から出た冷気を、ダクトを通じて各部屋に送り込む。同時に、ここに『排気口』を設けて、暖まった空気を外に逃がす。これで、館全体の空気が循環するようになる」
子爵は黙って図面を見つめていた。
やがて、彼は顔を上げた。
「トール殿」
「はい」
「君は、本当に『設備屋』なのか? これほどの知識を持つ者を、私は見たことがない」
透は少し迷ってから、正直に答えることにした。
「俺は、この世界の人間ではありません」
子爵の目が細められた。
「別の世界から来ました。そこでは、建物の中を快適にするための技術が、高度に発達していた。俺は、その技術を学び、十五年間実践してきた人間です」
沈黙が流れた。
マルティナが不安そうに子爵を見る。
やがて、子爵は静かに言った。
「信じがたい話だ」
「はい」
「だが、この図面は本物だ。この知識が本物であることは、昨日の魔道具修理が証明している」
子爵は透の目を真っ直ぐに見た。
「出自はどうでもいい。君の技術は本物だ。それだけで十分だ」
透は、思わず頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だ。だが、一つ問題がある」
子爵は図面に目を落とした。
「この『風道』を作るには、職人が必要だろう。だが、この領には、君の設計を理解できる職人がいない」
「分かっています」
透は頷いた。
「だから、俺が教えます」
「教える?」
「職人たちに、図面の読み方を教える。そして、一緒に作る。最初の一台は俺が手本を見せて、二台目からは職人たちが自分で作れるようにする」
それが、技術の伝承というものだ。
前世でも、透は何人もの若手を育ててきた。最初は何も分からなかった彼らが、数年後には一人前の職人になっていく。その過程を見るのが、透にとって最大の喜びだった。
「面白い」
子爵は微笑んだ。
「君は、ただの技術者ではないな。教育者でもある」
「現場監督は、そういうものです」
透も、わずかに笑みを浮かべた。
「さて、最初の弟子を探さないといけないな。誰か、手先が器用で、学ぶ意欲のある若者はいませんか?」
子爵はマルティナと目配せをした。
「心当たりがある」
翌日、透の前に一人の若者が現れた。
「ガルド・アイゼンと申します。鍛冶屋の倅ですが、よろしくお願いします」
がっしりとした体格に、日焼けした肌。手には無数の火傷の跡がある。二十歳前後だろうか。目には、強い光が宿っていた。
「鍛冶屋か。金属加工の経験はあるな」
「はい。親父の下で十年、鉄を打ってきました」
「なぜ、俺の下で学びたい?」
ガルドは少し言葉を選んでから答えた。
「……正直に言うと、鍛冶の仕事に限界を感じていました。剣を打つ、鍬を打つ、蹄鉄を打つ。それは大事な仕事ですが、もっと……何か、新しいことをやりたいと思っていたんです」
彼の目が、透の後ろに広げられた図面を見た。
「あなたの描いた図面を見て、衝撃を受けました。建物を紙の上に再現する技術。空気を操る発想。俺には、到底思いつかない」
ガルドは頭を下げた。
「教えてください。あなたの技術を、俺に」
透は、かつての自分を見るような気がした。
入社したばかりの頃、先輩の職人に同じようなことを言った覚えがある。教えてください。俺に、あなたの技術を。
「一つ、条件がある」
「何でしょう」
「朝は早い。毎朝、作業開始前に『朝礼』をやる。その日の作業内容と、危険なポイントを確認する。面倒くさがらずに、必ず参加しろ」
ガルドは不思議そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「分かりました」
「よし」
透は手を差し出した。
「よろしく、ガルド」
「こちらこそ、よろしくお願いします、師匠」
二人の手が、固く握られた。
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