第2話 怠け者、高校に入学する。
壇上に立つ老人の声を、右から左へと流していく。
少しばかり丈の合っていない、真新しい制服に身を包んだ少年少女諸君が、揃いも揃ってパイプ椅子に着席し、真剣だがどこか緊張した面持ちで、同じ方向を向いている。
沙樹はこの状況だけで、辟易した。これから、監獄のような生活が始まるかと思うと、叫びたくもなった。無論、声を出す行為が面倒なので、叫んだことは、人生でただの一度も無い。
猫背な上に、眠気を漂わせているという、おおよそ式の主役とは思えない様子の沙樹は、入学式の終わりを今か今かと待ちわびた。
途中、県知事からのビデオレターがスクリーン上に流れる。動画は好むが、こういったものが含まれるはずもない。
そうしているうちに、入学式が終わった。
拍手に囲まれながら体育館を後にし、誘導に従って自教室へ戻る。
一年三組の教室。この先一年間、沙樹が学校生活を送ることになる場所だ。
沙樹は教室に入ると、黒板側から見て、後方右端の席に着席する。いわゆる、主人公席という奴だった。とはいえ、沙樹は男ではない。隣席の美少女が声を都合よく声を掛けてきて、ラブコメが始まるわけでもない。百合モノであれば、その限りではないが、そもそも沙樹は、恋愛に興味が無い。むしろ、入口からは最も遠い上に、教壇からも離れた位置にある席のため、怠け者の沙樹にとっては、最悪の位置と言える。
遅れて教室に入ってきた女教師が、自己紹介を始める。
廊下では、保護者がその様子を見守っている。沙樹の母親はいない。仕事があったからだ。
どの教科の担当だとか、趣味は何だとか、高校生としての心構えだとか。とにかく、たくさん話していたが、沙樹の耳には入ってこない。
いつの間にか、話し手が、教師から生徒へと変わっていた。
沙樹の列の一番前から順番に、その場で席を立って、発言している。耳を傾けると、どうやら自己紹介をしているらしかった。名前に加え、一言という流れだった。
考える間も無く、沙樹に番が回ってくる。
取り敢えず、重い腰を上げ、ゆっくりとした動作で立ち上がる。ロクに準備もせず、くつろいでいた喉を叩き起こし、口を開く。
「えーっと…………鉤花沙樹です………………よろしく、お願いします……」
そう言い終えると、重力に逆らうことなく、ポスっと椅子に落下する。
遅れて、拍手がやってくる。おそらく、沙樹の声が小さかったからだろう。離れた席にいた生徒は、沙樹が座るまで、発言が終わったのかどうか、判断がつかなかったのかもしれなかった。
ただ、沙樹は気にしない。
その後も、次々と自己紹介がなされていく。沙樹のように、名前と挨拶のみで済ませる者もいれば、趣味を宣言したり、ちょっとした冗談を口にしたりした者もいた。
沙樹が気の利いた言葉でも言っておけば、友達の一人くらいはできるかもしれない。
だが、能力のことは口が裂けても言えない。
きっかけは単純だった。
学校に行くのが億劫だった。
目を覚まして、体を起こして、制服に着替えて、朝食を摂って、家を出て、道を歩いて、信号を待って、横断歩道を渡って、歩いて歩いて歩いて歩いて………………学校に着く。
沙樹には工程が多すぎた。無理して乗り越えなければならないハードルが、山積みだった。
だから、願った。
『家から出たら、学校に着く』
そのくらいシンプルでいい、と。
そして。
現実になった。
母に急かされながらも、何とか重い腰を上げ、自宅の扉を開き、一歩踏み出したそのときだった。
いつの間にか、校門に到着していた。
制服を着た生徒達がまばらに学校へ向かっていっている。
呼吸もできた。ありきたりだが、頬っぺたもつねってみた。夢から醒めることは無かった。
つまり、紛れも無い現実だった。
とはいえ、そこは沙樹だ。
意識が切れていて、いつの間にか学校に着いていたとか。本当はずっと前から到着していて、過去の映像を振り返っていただけとか。
とにかく適当に理由をつけて、深く考察することはしなかった。
だが、これで終わりでは無かった。
その後も、物を投げたら宙に浮けばいいと考えたら、実際にそうなったし、ご飯を食べたらお腹が満たされると考えたら、少しの食事で満腹感を得られることもあった。
物事をシンプルにしてしまう能力。
沙樹は、自身の能力を、そう定義づけた。
それは、世界のルールに干渉する行為に等しい。物理法則をも凌駕した、異常な能力。まるで、フィクション。
とはいうものの、そこも沙樹だ。
この能力を使って、誰かを助けるということも世界征服を企てるということも、無かった。能力の用途といえば、自分が楽になるために使うだけ。便利雑貨としか考えていない。
だが、この能力が露見されれば、面倒なことになるのは目に見えた。誰かに悪用されたり、秘密組織に追われたり。そんなことは御免だった。よって、この事実は母親しか知らない。
すると、自己紹介の時間が終了した。放課後となり、いまだ人間関係を築けているはずもない生徒たちは、保護者と合流して、続々と帰宅していく。
沙樹も例に漏れず、教室を出た。
気づけば、自宅にいた。
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