第101話



そのまま抱き着きそうになったところを、何とか踏みとどまる。


既に取り返しがつかないほどイチャイチャしていた気もするけど、ここは以前の“自分”のように、少しクールに振舞おう。一見爽やかな夫も、仕事帰りで疲れている。

鞄を受け取り、そつない仕草で手を差し出した。


「宗一さん。お風呂とご飯、どちらにします?」


一応ご飯は昼のうちに煮込んでいたものがあるし、お風呂もすぐに用意できる。休日を謳歌した妻としてはセーフのはずだが、宗一さんは綺麗な形の眉を下げ、首を傾げた。


「白希……それはなにか意図があって訊いてるのかな?」

「え。糸?」

「うん。天然の方みたいだね」


ひとりで納得し、彼は徐に俺の頬にキスをしてきた。

「わっ! ちょっと、宗一さん……!」

「ふふ。じゃあ、天然な白希にもうひとつ教えよう。お風呂でもご飯でもなく、旦那はいつだって愛する妻が欲しいんだよ」

「……!!」

……そういうことらしい。


やっぱり、クールに振る舞うなんて不可能だった。冷静に考えたら、俺がイチャイチャを控えたところで彼が許してくれないのだ。


愛され過ぎてしまっている。自惚れてしまうほどに。


「やっぱり、慌てる白希は可愛いね」


スーツのまま、宗一さんが上から覆いかぶさってくる。疲れてるはずなのに、一番にやることが自分とのスキンシップで良いんだろうか。

尋ねると、彼は当然のように頷いた。もはや愚問なのかもしれない。


「仕事仕事で熱冷ましは充分だよ。早く君の熱に触れたい」

「あ。はい……」


何とも気の抜けた返事になってしまったが、……気持ちは同じだ。離れていても、彼のことを想っている。

俺は彼の重い愛に潰されたくてしょうがない。



もつれ合うようにベッドになだれ込んだ。

全身の熱を放って、幸せの余韻に浸る頃には部屋が冷えていた。

暖房を入れ、シャツに袖を通す。白希は頬を紅潮させ、小さなため息をついた。


「ちょっと羽目を外し過ぎました」

「あはは、軽く一ヶ月ぶりだからね。白希が元の意識に戻った後は、私も忙しかったし」


宗一さんもベッドから起き上がり、部屋着に着替える。

しかしふと思い出したことがある。確かに抱き合うのは久しぶりだけど、十年前の俺に交代していた時はお風呂で何かしてたような……。


気になったけど、下手したら“自分”に嫉妬してしまいそうなのでやめた。そもそも、十年前の自分は子どもだからノーカウントにしよう。これは宗一さんの為でもある。


「……傷、だいぶ薄くなったね」

「んっ」


せっかく着たシャツの襟を後ろから引かれ、うなじにキスされる。鏡で見ると怪我の具合が分かるけど、普段は全然意識していない。

でも寝るときは嫌でも目に入るから、宗一さんはずっと気にしていたんだろう。


「本当にごめんなさい。心配ばかりかけて……」

「いや。……すまない」


腕や額、あらゆる場所を愛撫する。愛しい者にまじないをかけるように。

その心地良さに眠くなりそうになったが、何とか堪えた。


「でも、白希は本当に強いね」

「いえいえ」


強くないから、一度は人格が消えたんだ。

それでも彼は、顔を綻ばせて息をもらす。


「十年前の白希が、夜中に家を抜けて村の男達に襲われたんだ。その時は大我君を庇って、ひとりで対処しようとした」


手のひらが重なる。触れ合っているのは今はそこだけなのに、体全体が温かい。


「君のしたことは立派だった。でも私は、君の身を案じるあまり叱りつけてしまった」

「そ、宗一さんは何も悪くありませんよ。心配して怒るのも、当然だと思います」

「いいや。私が君をちゃんと見ていれば、そもそもあんなことは起きなかった」


彼の辛そうな顔を見るのは、辛い。胸が締め付けられてるみたいだ。


「俺は俺で、もう誰も傷ついてほしくなかったんだと思います。だからきっと、十年前の俺は満足してますよ」

「……“あの子”はそう思ってくれてるかな?」

「ええ、絶対。だって、その時その場にいたのが俺だとしても、同じことをしたはずだから」


重ねた年月なんて関係ない。

白希という人間は、ここにひとりしかいないのだ。最後は必ず同じ選択をしたと思う。


彼の手を強く握り返し、キスをした。


「だからむしろ、その時言えなかったことを言わせてください。……助けに来てくれてありがとうございます」



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