第100話
世界は変わらない。
変わるのはいつだって人の方だ。そして考え方次第で日常は取り戻せる。
「もしもし。あ、雅冬さん! ……はい、ありがとうございます。あはは、おかげさまで元気ですよ」
日が沈む前に家に帰り、洗濯物を畳んだ。その最中電話がかかってきた為、手を止めて耳を傾ける。
『あ~、このゆるい感じこそ白希だ。良かった……本当に良かった』
雅冬さんと話すのも久しぶりだ。今の白希にホッとしていることが、電話越しでも伝わってくる。
でも、こちらも密かに安心していることがある。十年前の自分は、不器用なりに現実を受け入れ、前を向いていたようだ。周りの人達の話から察するに、一番孤独に苛まれていた時期の自分なのだろう。
そんな自分が十年後の世界で目覚め、周りから優しくされたら……戸惑うに決まっている。むしろ少し不憫に思えた。
「雅冬さん。ちょっと前の私は、失礼なことをしませんでしたか?」
『ん? 宗一はヤンチャだって言ってたけど、俺は特になかったよ。安心しな』
彼のことだから、気を遣ってる可能性もある。どう甘やろうか悩んだ末、お詫びではなくお礼を告げた。
床に腰を下ろして、自分の膝に手を乗せる。
「……実は、断片的な記憶はあります。ぼやけたフィルター越しに、雅冬さんや宗一さんを見ていた気がする」
そして、大切に隠しておいた、祖母への想いも一緒に溢れた。
『なるほど。人間の脳? メンタル? って不思議だなぁ』
雅冬さんはうんうんと唸っていたけど、急に声のトーンを変えて尋ねてきた。
『そうだ、手紙書けたの? ……十年前の白希は』
指先がわずかに跳ねる。数拍置き、白希はゆっくり肯う。
「ええ。書けて、ちゃんと渡せたみたいですよ。すごいです」
『ははっ。自分を褒めることになっちゃうのが面白いけど……本当だな』
二人で笑い合う。けど実際、十年前の自分は見習いたいほどの行動力を持っていた。
村人達に襲われ、宗一さんや大我さん、道源さんに助けられた日。十年前の俺は疲れきって、泥のように眠ったらしい。まる一日寝ているものだから宗一さんが病院に連絡すべきか迷ったらしいけど、夜中にひょっこり起きてきた為安心したという。
その時はまだ十年前の“俺”のままで、特に何も言わずに宗一さんの膝枕で寝たみたいだ。
そして朝には、元の人格である白希が目覚めた。
戻って安心したはずなのに、どこか寂しい気もする。
少しの間とはいえ、十年前の自分は間違いなく今の世界を生きた。彼がいた証が褪せないよう、胸の中に大切に仕舞っておくつもりだ。
それに、雅冬に伝えた通り彼が残してくれたものもちゃんとある。
かつて、白希が宗一に宛てた手紙の数々。もう更新されることはないと思ったのに……新たに追加された一通の手紙は、文通を始める前の自分が書いたものとなった。
『本当に、不思議な夫婦だな』
照れくさいし、周りの人達にたくさん迷惑をかけてしまったけど、俺は十年前の自分を誇らしく思う。
「ありがとうございます、雅冬さん。……あ、多分宗一さんが帰ってきたので……。ええ、切りますね。また改めて」
玄関の方で音がした為、通話を切り、素早く立ち上がる。
それまで落とされていた照明が点いたように、突然視界が開ける。彼がいると思うだけで何故こんなにも景色が変わるんだろう。
人を好きになるということは、未知の力を秘めている。
廊下まで駆け、ドアが開いたと同時に声を掛けた。
「宗一さん、おかえりなさい!」
「ただいま、白希」
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