第2話 庶民ルル・モチネオカ

「おっ、あんたか。しばらく来てくれないから心配したぜ」


 薬屋のおじさんが喜んだ表情で出迎えてくれたので、私もぺこりと一礼して、ショルダーバッグ内の荷物を漁る。

 深いフードを被っているので視線が随分と遮られるが、大事な品物を落とさずにカウンター上に置くことができた。


「新しい回復薬を作って来ました。これは試作品ですので、30本ほど無料でお受け取り下さい。いつも通り、協力して下さる冒険者様などに分けていただければと思います」

「君の作るものなら試作品でなくても構わないと思うんだがね」

「そうは行きません」


 この薬屋さんには何度も新しい開発品を卸している。しかし、この世界で実際に回復薬を使う人たちのことを考えれば、まだ私の体でしか実験していないものでお金を取る訳には行かなかった。


「従来の回復薬から作り方を変えてみたんです。赤命草を70~80度に保った魔力水に浸し、低温で成分を抽出。その後、獣血樹脂を魔力水で溶かし、ゆっくりと液体同士を混ぜる。今まで使用していた砂糖は使用せず、蜂蜜に変更したため味わいが少し変わります」

「ふむ、大事な成分は変わっていないみたいだが、これでどうなるというのだね?」


 従来の回復薬と材料が変わったのは、味付け部分である砂糖と蜂蜜だけである。主な回復成分を持つ赤命草と獣血樹脂が変わっていないのなら効果は変わらないのでは? という疑問は当然だろう。


「従来の作り方では、赤命草の煮沸段階で有効成分が一部分解・変質して、刺激性の高い成分だけが残る状態でした。このときに残る成分だけで十分疲労を取る効果や気つけ効果はあったのですが、なにせ刺激が強く中毒性が高かったです」


 後日やって来る体への反動や、この回復薬への依存症状などの問題が起きており、万能な回復薬とは言い難いものだった。


 そこで低温で成分を抽出し、赤命草本来の成分を出来るだけ残してやることに尽力した。やはり自然は偉大だ。大昔から赤命草は回復効果のある薬草としてこの国では使用されていた。今ではその成分だけ取り出して使うのが当たり前になっている。しかし、有効成分だけ取り出すと、強い刺激や依存性が残った。葉本来にはそんな依存性は無いとなると、成分の抽出に問題があることは明白だろうと考えての改良だった。


「獣血樹脂は再生促進の強い成分なので、内臓への負担を和らげるため吸収を緩やかにする蜂蜜を味付けに使いました。従来の回復薬と回復効果は変わらないでしょう。けれど、怪我が治ったら全て良し、ではないでしょう? 回復薬を使った人たちにはその後の人生もあるのですから」

「なるほどなぁ。実際に使う人たちをよく考えている改良だ。良し来た。協力者を募って、後日効果をあんたに知らせるとしよう。といっても、毎度山のように応募があるし、あんたの言った通りにならなかったことなんてないんだがな」


 嬉しくて、また一礼しておいた。

 私はあまり必要以上のことをしゃべらない。


 おじさんから見えているのも、私の鼻から下だけだろう。

 訳あって正体を隠している。それを理解しておじさんも深くは詮索してこない。ありがたいことです。


「では、私はこれで」

「あっ、もう!? 少しゆっくりしていってくれてもいいのに」

 掌を向けて「ありがたいですが、ここまでで」と配慮に感謝しながら店を後にした。


 王都街の喧騒を感じながら、綺麗に敷き詰められた石畳を進む。

 視界が悪いため、たまに人にぶつかっては謝罪をし、目的地へと急ぐ。


 正体を隠し、今尚急ぎ足で進んでいるのには理由があった。

 私には別の顔がある。


 ……というより、今が別の顔タイムというのが正確だろう。


 あのモチネオカ伯爵家の長女ルル。それが私の正体だ。

 今は王都にある貴族と一部の優秀な平民だけが入学を許されるエリート学校への留学で、伯爵家別荘に滞在している。昨日の決戦もその学園内にて行われたものだった。


 自分で言っちゃうが、私はかなり立場のある人なので、こうして王都の街中を散策するなんてことは通常ではあり得ない。


 しかし、一週間に一日だけ完全に自由になれる時間が五時間ある。私はその時間を利用して、開発中の薬を薬屋さんに届け、その後に本命の目的である店へと早足で歩み寄っている。


 たったか、たったか。

 あっ、「ごめんなさい」また待ち行く人とぶつかってしまった。

 フードを確かめ、再度深く被りなおす。正体がバレる訳には行かない。


 どこで私のことを知っている人がいるか分かったものじゃない。

 バレてしまったら間違いなく大騒ぎになるし、今後の外出にも制限がかかることだろう。そうなってはまずい。


 私の最大の楽しみが!


 急ぎ足で向かった先は、薬屋さんのある大通りから逸れた場所にある、小さな坂道沿いにある料理屋さん。街がきれいなおかげで、こうした裏通りでも雰囲気が暗くなく、女性でも入りやすいのがありがたかった。


 昼間は定食を提供しており、夜はお酒を提供する飲み屋さんになるらしい。人気のお店で、既に店内の席は9割も埋まっているように見えた。


 でも入れそう。

 ふう。よかったぁ!

 週に一度の楽しみ。絶対に入りたいと思っていたから、今日も待たずに店内に案内されたことにホッとする。


 前に一度待たされて帰りが遅くなり、執事である爺やに、何をしていたのですか? どこへ行っていたのですか? 誰と会っていましたか? 私を死なせたいのですか? と早口でガン詰めされたことを思い出す。


 そうならない未来に安堵し、着席する。

 木の梁や壁床も同じ色の木材で統一されたカフェの店内のような内装は自然と心を落ち着かせる。


 テーブルごとの間に仕切りがあり、視線を遮ってくれるのも嬉しい配慮だ。

 私と同じ心地よさを味わっている人が多いからこそ、ここは人気店なのだろう。


 今日のおすすめは何かなぁ、とわくわくしながらメニュー表を覗き込む。

 なぜモチネオカ伯爵家長女の私がこんな庶民的な店に来ているのか。


 別に実家で迫害されているとか、暗殺の恐怖におびえて外でご飯を食べているなんてことは……一切ない。

 とても大事にされているし、どちらかというと甘やかされている。毒殺や暗殺の恐怖なんてこれまで一度も味わったことが無いし、我がモチネオカ伯爵家に逆らおうものなら命だけでなく、その一家丸ごと潰されかねない。私の暗殺未遂でも発覚しようなら……もうね。先は言わないでおこう。


 それだけ我が家は強い影響力を持ち、絶大な権力をほしいままにしている。

 王家にも多額のお金を貸し付けていると知った日には、流石に背筋が凍ったものだ。


 つまり、私は普段ご飯が食べられない身ではない。決してない。

 けれどそれは逆にこういう意味を持つ。……庶民的な食事が摂れない!


 伯爵家の恵まれた環境に育った私がなぜこういう庶民的な店の味を好むのか。

 それは私が転生者だからだ。


 どこか知っている世界に転生した訳じゃない。

 馴染のある人たちもいなかった。


 この世界には魔法も魔物も貴族もいるから、ある意味小説やゲームなどで馴染はあったのだが……。

 前の人生がどんなだかったか、おぼろげにしか覚えていない。確か来る日も来る日も働いてたなぁ。そして、かなりの庶民だったことは覚えている。


 ある日、天……だと思われる場所に連れていかれて、そこには河童みたいな人がいた。

 ほんと、ほんと。めっちゃ緑だった。神は河童みたいな見た目なのだ。


 私はあの方のことを『河童先輩』と呼んでいる。たまに辛いことがあったら、脳内に河童先輩を作り上げて励まして貰ったりする。河童先輩には不思議な包容力があるのだ。


「ちょ、君転生する?」

「え? 転生ですか?」

「面白い世界だよーん。良い身分を与えてあげる」

「そんな厚遇で良いんですか?」

「いいよーいいよー、君ずっと頑張ってたからさっ。でも、あんま悪さしないでね? 悪さしてたら、俺の拳が飛んでくぜ?」


 覚えている感じでは、こんな会話だった。

 河童先輩は終始おっさんみたいに寝そべってお尻をポリポリと搔いていたが、不良だった一面も垣間見える奥深いお方だ。


 河童先輩の言葉に嘘偽りはなく、私は大貴族モチネオカ伯爵家の長女として転生し、何不自由なく過ごしてきた。

 けれど、私は知らなかったのだ。


 持つ者だけに与えられた人生の苦しみというやつを……。

 その一つが、自由。


 これがもう……ほとんどない!

 実家にいた時もそうだったが、私のスケジュールは分単位で決まっており、好き勝手に動ける時間はずっと限られたものだった。


 王都に留学に来た今、ようやく一週間に一度だけ五時間の完全な自由時間を貰えた。15年かけてコツコツと積み重ねた信頼のおかげだ。ううっ。自分のことながら涙ぐましい努力である。


 私はその時間を利用して、好きな薬物研究の成果を薬屋さんに提出したり、他にも世界の発展に役立つ本を書いたり、この世界に貢献している。


 世界の役に立っている、自分が社会の一部として機能している、という実感はとても気持ちの良いものだ。

 同時に、河童先輩の言葉もある。悪いことをしたら緑のお方の拳が飛んでくるので、慎ましく生きることにしている。


 そもそも私には分不相応な立場なのだ。

 モチネオカ家はあまりにも大貴族過ぎた。国一番の資金力を持ち、王家や、同国の貴族、他国の貴族にまでお金を貸しつけて恩を売っている。


 当然、そんな大物の一族には、同じ大きさの責任が伴う。


 貴族というものは、何よりも威厳を重視する。

 舐められることは、家の権力の失墜に繋がるため、何があっても舐められてはならない。一人で二十人の平民を制圧できるようになりなさいと五歳の時に大真面目な顔で父に言われた。スパルタかよ。


 我がモチネオカ家の庇護下に入るために少し損してでも我が家との商売を優先する貴族もいたりする。

 大物の傘下に入ることは、長い目で見れば生き残る賢い方法であったりもする。

 昨日の決戦にて、私がクレアさんを叩きのめそうと決心したのも実家の関係性があったからだ。


 いじめられていた娘のことはなんとかしてあげたいと思っていた。けれど、もしも彼女が私の実家の庇護下に入っていなければ……多分、私も見て見ぬふりをしていた気がする。

 残念だが、私は正義の人じゃない。教室の端っこで本を読むのが好きな小心者、それが本来の姿だ。


 我が家の庇護下に入っている娘が虐められている。これを守り、敵を排除しなければ、いずれはモチネオカ家に悪い評判が立ってしまうという訳なのだ。


「我が家はモチネオカ家を優先して商売しているのに、モチネオカ家のルル様は我が娘を守ってくれなかった! これは由々しき事ですぞ!?」

 と騒がれた時に、父上や母上にどう言い訳すれば良いものか。


 一週間、悩みに悩んで、入学以来続いていた派閥争いにもうんざりしていたこともあり、私はとうとう決戦の場を設けクレアさんを叩きのめすことにしたのだ。


 誰にも相談できないし、誰にも弱みを見せることができない。

 そんな時、私の傍にはいつだって緑の方がいた。


 河童先輩、私はどうしたらよいでしょうか?

「ちょ、持ってる権力で相手の頬をぶったらいいんじゃね?」

 でも、それって卑怯じゃないですか?

「ちょ、それが役割ならしかたないんじゃね?」

 流石、河童先輩。私、やります! やってみます!


 こんな感じで河童先輩はいつも私の味方をしてくれるありがたい存在だ。

 とても励まされる。やりましたよ! 河童先輩! 私、ようやく不毛な争いにピリオドを打ったんです!


 大きな責務を果たした私には、休暇が必要だった。

 時間と責務から解き放たれ、庶民の心を開放し、大好きなこの『ジークとハナのお店』に来ている。


 ここ、料理が凄く美味しい。

 そもそも、この世界は料理がとても発展している。


 食材が前の世界とは比べ物にならない程豊富なのだ。

 魔物とか魔力で動き回る植物など、この世界の生物は種類が豊富で、サイズも大きい。


 前世で牧場に行ったとき、初めて生で見た豚と牛の大きさに度肝を抜かされたことがある。家畜ってこんなに大きいんだ、と受けた衝撃をまだ覚えているが、なんとなんと……。


 こっちの世界の家畜はその比じゃない。豚や牛に似た品種がいるのだが、サイズが10メートルを超えていた。

 ……誇張じゃないですよ。本当に大型トレーラーサイズの生物が牧場でのっしのっし動いていたのだ。


 我がモチネオカ家は当然と言うべきか、生産業も営んでいるため、実家を知るための勉強会で始めてこの世界の家畜を見た。あの時は二日くらい衝撃で眠れなかった。工業化が前世と比べてあまり発達していないこの世界にて、我が領地だけで数千万を超える領民を養う食糧事情を考えると、家畜のあの姿は自然な形なのかもしれない。


 酪農の発展に感謝しながら、今日のおすすめであるグラタン定食を注文し、まだかまだかと首を長くして待つ。

 しばらく待つと、いつも家のお店を手伝っている女の子が私の元に料理を運んでくれる。


 この家の娘、ハナちゃん。私の三歳下の12歳。2か月ここに通っていることもあり、私たちは少し仲良くなっていた。


「お姉ちゃん、お待たせ。グラタン定食です。いつも来てくれてありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。ハナちゃん、こっちおいで」


 ポケットから丁寧にラッピングした手作りのクッキーを取り出し、ハナちゃんに手渡す。

「これ、上手に作れたから食べてみて。きっとおいしいわ」

「ありがとう! お姉ちゃんのお菓子すっごく美味しくて好き! いつも来てくれるし、お菓子もくれるし、聖女様みたい」

「ふふっ、喜んで貰えて何よりよ」

 聖女様だなんて。なんてかわいい子。


 喜ぶハナちゃんを撫でて、再度ありがとうを告げる。

 この子は私の自由時間の貴重な癒しだ。まだクッキーで手名付けられる可愛らしい年齢。もう少し大きくなるとクッキーだけでは怪しくなるのだが、可愛いうちに可愛がっておく!


 それにしても聖女様かぁ。残念。私は、それとは程遠い悪女ですよ。とほほ。


 提供されたグラタン定食は、見た目普通のグラタンに野菜スープ、サラダ、甘いプリンのセットだ。

 けれど……この普通さが良い!


 グラタンをスプーン掬い、口に運ぶと脳と胃にガツンと来る強烈な味わい。

 モチネオカ家の料理には無い、強い塩分、たっぷりと使用したチーズとバターの香りが口いっぱいに広がる。うっひょー、これこれ!

 実家の料理は素材こそ最高峰のものだが、健康のことを考えすぎていて味が薄い! チーズもバターも適量!


 けれど、『ジークとハナのお店』は美味しさを優先しており、しかも生産量の多い乳製品は安く手に入ることもあり、チーズとバターをふんだんに使用していた。


 家畜の大きさが規格外だからだろうか。こっちの乳製品は濃厚さが際立っており、一口一口の満足度も大きい。あんまり食べすぎると少し気分悪くなっちゃうかも。


 提供されたグラタンもスープもサラダも、プリンだって全て綺麗に平らげて、私は裏の顔であり、本来の顔である庶民ルル・モチネオカの時間を楽しんだのだった。


 あー、美味しい。美味しすぎる。

 来週も来ようっと。


 大きく伸びをして、体で喜びを感じた。

 厨房の方から少し視線を感じた気がしたが……多分気のせいだろう。

 爺やに怒られる前に、そろそろ家に戻らないと。

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