第2話






朝、目を覚ます。

部屋の時計に目をやると、時刻は六時ちょうどだった。


カーテンを少し開けると、窓の外はまだ薄暗く、夜と朝の境目のような空が広がっている。

窓を開けると、二月の冷たい空気が一気に流れ込み、肺の奥まで染み渡った。


その冷たさで、昨日の出来事が否応なく蘇る。


――癌。

――余命、一年。


今日は学校へ行く日だ。

けれど、正直なところ、行く気はしなかった。


友人たちに、何をどう説明すればいいのかわからない。遭わなければ

何も知らない彼らに、いつも通り笑顔を向けられる自信もなかった。


不安ばかりが胸の中に溜まり、どう接すればいいのか、答えが出ないまま時間だけが過ぎていく。余命への不安と死への恐怖。なぜ、自分がこんな目に遭わなければ行けないのかという苛立ち。情緒が自分でもわかるほど、不安定になっていくのがわっかた。


やがて俺は部屋を出て、一階のリビングへ降りた。

そこにはすでに両親の姿があった。


母の目元は赤く腫れていて、昨夜遅くまで泣いていたのだと、すぐにわかった。


「……おはよう。父さん、母さん」


心配をかけまいと、無理に口角を上げて挨拶をする。


「あぁ……おはよう、紡」

「おはよう」


二人とも、どこかぎこちない声だった。


席に着き、母が用意してくれた朝食に手を伸ばす。

味はするはずなのに、何を食べているのかよくわからない。

テレビの音、食器の当たる音、いつもの日常の音が今は少し神経を駆り立てる。


しばらくして、父が静かに口を開いた。


「今日は……学校に行くのか?」


その問いに、少しだけ間を置いてから答える。


「うん。行くつもりだよ。

学校にも……病気のこと、説明しないといけないし」


父は俺をじっと見つめ、それから短く、


「……そうか」


とだけ言って、コーヒーを一口飲んだ。


その沈黙が、妙に重く感じられた。


部屋に戻り、制服に袖を通す。あと、何度自分はこの制服に袖を通せるのだろう。自分がまだ死ぬと決まっていないのに、そんなことばっかりを考えてしまう。





朝の準備を終えて家を出ると、朝の冷たい空気が頬を打った。

吐く息は白く、足元からじんと冷えが伝わってくる。


今まで当たり前だったはずの登校が、今日はやけに重く感じた。


住宅街を抜け、いつもの通学路を歩く。

ゴミ出しをする人、犬の散歩をする人、急ぎ足で駅へ向かう会社員。

どれも見慣れた光景なのに、どこか現実味がなかった。


――みんな、普通だ。


その「普通」が、今の俺にはひどく眩しく、何より羨ましかった。


俺だけが、昨日までとは違う世界に足を踏み入れてしまった。

そんな感覚が、胸の奥に重くのしかかる。


交差点で信号を待ちながら、ふと首元に手をやった。

そこにある、はっきりとした“異変”。

昨日までは気にも留めなかったその感触が、今は恐ろしく思える。


――本当に、俺は病気なんだ。


信号が青に変わり、人の流れに押されるように横断歩道を渡る。

周囲の足音や話し声が、やけに遠く感じられ、世界の色が灰色に見えた。



駅へ近づくにつれ、制服姿の学生が増えていく。

楽しそうに笑い合う声が耳に入るたび、胸がきゅっと締めつけられた。


あの輪の中に、俺は戻れるのだろうか。

何もなかった顔で、いつも通り振る舞えるのだろうか。


そんなことを考えながら改札を抜け、ホームに立つ。

電車を待つ時間さえ、今日は長く感じた。


――学校に着いたら、どうしよう。

――誰かに昨日のことを聞かれたら、どう答えよう。


そして、何より未来のある彼らが羨ましかったのだ。

考えれば考えるほど、足取りは重くなる。

それでも、立ち止まることはできなかった。


やがて電車が到着し、ドアが開く。

俺は一度、小さく息を吸い込んでから、その中へと足を踏み入れた。









駅から学校までの道を歩き、やがて長い長い、桜の木の並木道が見えてくる。

今は冬で桜が咲くにはまだ早いが満開のシーズンはとても美しい並木道となる。

、桜の並木道を過ぎると校門が見えてきた。


市立白神学園高等学校


見慣れたはずの風景なのに、今日はそれがやけに現実的で、逃げ場のない場所のように思えた。


校門の前には、すでに多くの生徒が集まっている。

制服姿の生徒たちは、それぞれ友人と話しながら、いつも通りの朝を過ごしていた。


笑い声。

軽い挨拶。

他愛もない会話。


昨日まで、俺もその輪の中にいたはずだ。

それなのに今は、校門の少し手前で足が止まってしまう。


(羨まし…)


そう思うと、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。


何もなかった顔で、いつも通りに振る舞えるだろうか。

昨日のことを、誰かに聞かれたら、ちゃんと答えられるだろうか。

考えただけで憂鬱になる。


そんな不安を抱えたまま、視線を校門へ戻す。


そのときだった。


人混みの向こうに、見慣れた後ろ姿が見えた。

肩までの黒髪。

少しだけ癖のある歩き方。


――いろは。


名前を心の中で呼んだだけで、胸がざわつく。

昨日までは、ただの「幼馴染」だったはずなのに、今はそれ以上に遠い存在のように感じられる。

これから未来のあるいろは、余命を突きつけられた自分。



来月の誕生日に、想いを伝えるつもりだった。

好きだと、ずっとそばにいてほしいと。

何度も頭の中で言葉を練習して、タイミングを考えていた。


けれど、今はそれをするべきなのかを考えてしまう。


(こんな状態の俺が、好きだなんて言っていいのか。1年後には、いないかもしれな自分が告白をすれば相手に負担になるのではないか?。)


そう考えた瞬間、気持ちがすくんだ。


いろはは、まだ俺に気づいていない。

友人と話しながら、校門の中へと入っていく。


その背中を見つめながら、俺はただ立ち尽くしていた。


声をかける勇気も、何も言わずに通り過ぎる覚悟も、どちらも持てずに。


やがて、登校を急かすようにチャイムが鳴った。

その音に背中を押されるように、俺はゆっくりと校門をくぐった

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