雪国哀歌

紫陽_凛

天気:横殴りの雪

 ほとけ様がポケットティッシュを間違って大量に洗濯したかのような雪が降ると、我が家のひとびとは一様に渋い顔になる。

 雪が世間一般に美しく儚く、それでいて風物詩的な意味合いと匂いを持っていることは重々承知の上であるが、こと雪国と呼ばれる場所に住んでいると、積雪はひとえに「労役」の意味を持ち始める。

 あんまり雪がひどいと車はタイヤを空回りさせるし、踏み固められた圧雪はかたい雪の塊になってつるつるに凍る。そもそも道路は快適に走るために「除雪車」なる雪用ブルトーザーのようなものが走り抜け、彼らが通った後は道の両脇にかちこちの雪塊がどかんと列をなしていて、まあ、通行止めである(膝の高さまである雪の塊が道路脇に並んでいるのを想像してほしい。なお、車も人も通れない)。我が家では「除雪」とよばれるその雪の塊は、蛇蝎か親のかたきのごとく憎まれていた。

 

 我々が課せられた労役は、それら「雪」を寄せたり用水路に放り込んだりして、なんとかして嵩を小さくすることに始まる。

 雪にも寄せやすさがある。重たい雪は「ぬれ雪」と呼ばれる。これは雪が降る温度だけれど比較的暖かい時に降る雪だ。水をたっぷり含んでいるのでびっくりするほど重い。まさに水。踏むと水がぐしゃぐしゃとしみ出して、「私雪じゃないです」とささやきかけてくる。うるさい。

 粉雪ならまだいい。キンキンに寒い日に降る粉雪はさらさらして粘り気がない。軽い。つかみどころがないという一点をのぞき、だいぶ寄せやすい。ただ、冷凍庫の中でもこんなに寒くなかろうて、というくらいに凍える。寒いゆえの粉雪だからそれはそうなのだけれど。

 これが、ちょうどよい粘り気の雪だったりすると、職場の世間話の時などに「今日の雪は寄せやすくてよかったね」みたいな話が成立する。まるで天気の話でもするかのようだ。「今日はとりわけ寒いですね」の隣に、「今日の雪は丁度良くて」みたいな話が平然と並ぶ。


 朝、車で町へと出かけると、あちこちで雪寄せという名の労役にいそしんでいる町の人たちを見かける。皆一様に派手な色のダンプを掲げ、きっちり着込み、まるで何か大事なところをすっかり諦めてしまったような面持ちで雪に挑みかかっている。そう、諦めである。

 私もおっとと雪を寄せるときは「これやらないと生きていけないもんな」と言い聞かせている。かなりの重労働を毎晩毎朝課せられる(かもしれない)ことへの諦め。ここに住むために必要な物の一つである。


 注意深く週間天気予報を見ていた義母ははが、「今週末の三連休はドカ雪らしい」と沈痛な面持ちで告げた。マジかよふざけんな、と思いながらも、どうせ降ったら降ったで寄せなきゃならんのだから諦めて何も考えずに寄せりゃいいんだよな、とも思う。怒るだけ無駄だ。

 

 川端の名文に「トンネルを抜けると雪国だった」というのがある。また有名なネットミームに「恋人といる時の雪って特別な気分に浸れて僕は好きです」というのもある。雪国はそうでない地域の人びとにとっては神秘的で慎ましやかな場所なのかもしれないし、雪は非日常の象徴なのかもしれない。しかしながらおっとと雪寄せをしている私の頭の中はうんざりするほど虚無が詰まっていて、ただひたすらに労役を早く終わらせたいという気持ちしかなく、特別でもなんでもないのだった。


 窓の外では相変わらず、斜めに雪が降っている。






 

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