終着点、及びその条件。

ゆいつ

掌編「終着点、及びその条件。」

 爽汰は、人に触れることでしか人と繋がれない。

 癖というより生き方に近い。肩に手を置く。腕を引く。距離を測る前に体を寄せてしまう。拒まれなければ安心して、受け入れられると今度は試すみたいに突き放す。その繰り返しでいくつもの関係を壊してきた。

 トラブルも何度かあった。依存して、独占して、最後は自分から手を離す。甘えて甘えて甘えて甘えて甘えて、限界まで相手を使いきってから「もういい」と切る。先に捨てることしか、自分が捨てられない方法を知らない。


 僕のクラスは爽汰と同じ二年C組。しかも、同じ部活で、席も隣である。

 視線の先の爽汰はいつも皆の中心で笑っていて、けれども誰かの体温を借りなければ生きていけないみたいだった。勿論、爽汰の人間関係が長続きしないことも、情緒が乱れやすいことも周知の事実である。ただ、周りはそれを個性として扱った。献身的でユーモアに富む優等生を邪険に思う人間はいなかった。あるいは、問題を起こすときの爽汰がいつも被害者の顔をするせいで、誰も危険性に気がついていないのかもしれない。


 ――二日前に付けられた痣がまだ痛む。

 僕は爽汰に捨てられた人間の一人だ。分かってはいたけれど、追い縋っても爽汰は逃げていくばかりだった。一週間前までは逆だったのに、肩を寄せて甘えてくれたのに、突然の変化に耐えきれなかった。だから、少しだけしつこく連絡をしていれば、ついに暴力を振るわれた。同じくらいの体格だけれど、好きだからこそ抵抗できない僕に対して、既に熱のない爽汰の力は強かった。そして、今はもう学校でも爽汰と目が合わない。名前も呼ばれない。


 本気になってしまったのだと思う。

 爽汰の低めの体温が心地よくて、触れられることが嬉しくて、小さな子どものように泣く彼のことを守りたくなった。同級生であることも、同性であることもどうでもよくて、僕は彼のことばかりを考えていた。例えば、彼の変動する人間関係の記憶が、最後に僕に固定されたらいいのに。――そういうことまで、無遠慮に考えてしまった。

 甘やかな言葉だって囁いた。僕がついているから。君が大事だから。愛しているから。いつまでも、二人でいられますように。僕は恥ずかしげもなく口元に熱を込めた。


 爽汰はそのたびに頬を赤らめていた。

 照れたように笑って、指先で僕の袖を摘まんで、何も言わない。ただ、決して拒みはしない。その反応が、余計に僕を調子に乗らせたのだろう。


 だから――僕は捨てられた。

 僕と爽汰は近くなりすぎた。他のフラグを回収する前に突き進んで、一直線にゲームを進めたから、辿る結末がこうだった。爽汰に大事なことを教えるよりも前に、僕は、爽汰に諦めさせてしまった。


 勿体ないことだと思う。

 僕もそうだし、爽汰も選択を間違えた。不要になった男の負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、これは、どうしようもない事実だから。


 別に僕でなくたっていい。

 ただ、僕であれば――。


 爽汰は難しい子だけれど、欲しがっているものは存外シンプルだ。体温でも優しさでも執着でもない。もっと、決定的で不可逆で、残酷で温かいものだ。


 僕であれば――それを、爽汰にあげられる。

 僕は人殺しである。


***


 決して法律上の罪を犯したわけではない。

 逮捕もされていないし、誰にも責められていない。ただ、僕自身がそう思っている。ずっと、消えることのない自覚を抱えて生きている。


 小学六年生の冬だった。

 中学受験が終わって、少しだけ気が緩んだ頃。クラスの女子に呼び出されて、手作りのチョコレートを渡された。バレンタインの本命らしい。突然のことに驚いたけれど、ただ、僕はそのときから好意を向けられることに弱かった。


 素直に嬉しかったのだろう。

 耳が熱くなって、顔も上手く見られなくて、それでも、好きだと伝え返した。――今まで意識はしていなかっただけで、その瞬間、僕は初めて恋愛感情を自覚した。


 目の前の彼女が溶けていなくなる代わりに。


 幸せそうな顔が数秒で透明な水溜まりに変わって、この日のために用意したのであろう新しい洋服だけがそこに遺されていた。


***


 まだ、教科書に載るほど一般的な話ではないけれど、この世界には特異体質者がいるらしい。

 例えば他者より随分と体温が低い人。それでいて、健康でいられる不思議な存在がいる。僕が好きになったあの子も、その手が氷のような感触をしていたときがあった。


 そして、彼女のような人間とセットで語られる者もいる。――僕のことである。

 別に身体が特殊だというわけではない。周りより少し背は低いけれど、それは僕の成長期が一向に来ないからで、特別の問題ではない。体温や血液にも一切の異常はない。


 ただ、僕は先述した「体温の低い人」に作用して、物言わぬ水になるまで分解することができる。


 要は人殺しの遺伝子だ。

 しかも、発動条件が単純明快にして厄介で――「互いに抱いた恋愛感情が成就するとき」――と判明している。


 僕は愛する人を見つけて、想いが伝わったら自動的にその人を殺してしまうらしい。

 だから、告白してくれた彼女はいなくなった。自分の身体に特徴がない分、自覚症状もなくて「人殺し」だと気づいたのは、既に殺した後のことだった。


 以来、僕は誰にも触れないようにしてきた。

 誰かが近づいてきたら距離を取った。好意を向けられたら誤魔化した。かつては、自分が何者かを知らなかったけれど、今は人を溶かす怪物だと心得ているから。


***


 爽汰もまた、僕に命を奪われうる存在の一人だ。

 僕は初めて見たときからそれがわかった。彼の温度はあの子と同じだった。というより、あの子よりも更に低かった。


 少し疲れたときの吐息が、妙に冷えていた。

 運動後で汗をかいているはずなのに、腕に触れても熱を感じなかった。指先はいつもひんやりとしていて、まるで日陰に長いこと置かれていた石みたいだった。


 それなのに、爽汰はよく触れてきた。

 戯れ合いの延長で距離を詰めて、肩にもたれてくる。二人きりになれば腕を絡めて、冗談めかして体重を預ける。心を開いたフリをして反応を見る。嫌がられなければ更に踏み込む。優しく受け入れられれば、次は試すように涙を零し、上目遣いで愛の言葉を求める。


 ――どこまで、許される?

 ――どこまで、彼は無事でいられる?


 僕は爽汰が恐ろしくて堪らなかった。

 それもそのはずだ。人と違う体温を持っているなら、自分が特異体質であることを自覚していないはずがない。知らないふりをしていられる温度ではない。毎日、自分の身体で感じるはずだ。


 危険があるのに、何も考えていないみたいに人と繋がろうとする。

 彼の軽率さが僕には理解できなかった。無知なのだろうか。無謀なのだろうか。しかし、普段の授業や部活での様子を見てみれば、彼は聡明な中学生でしかない。精神的に幼く見えるのは、人と関わるときだけだ。


***


 しばらくして、爽汰の家族のことを知った。

 僕が進学したこの中学校は、外から見れば誰もが羨む名門校である。校舎は綺麗で、教師も熱心で、生徒の雰囲気も穏やかながら、部活数は多くて活発だ。第一志望で滑り込んだ僕にとっては居心地のいい場所だったし、今でも誇りに思っている。


 ところが、全員にとってそうとは限らない。

 最上位校の一歩手前。立地が近く、入試日程が被らない。――つまり、第一志望に届かなかった生徒が、大量に流入する学校という側面もある。


 気持ちを切り替えられる生徒なら問題はない。

 ただ、強迫観念を抱えている子や、親からの要求が重すぎる子にとっては、この学校も「敗者の園」にしか見えないのだろう。


 そして、爽汰は後者だった。

 三者面談のある週に、彼が冗談みたいに語ったことがある。


 「どうせ、僕なんて――価値ないからさ。」


 笑いながら呟いていた。

 恐らく誰かに言わされたものだった。当然のこととして受け取っているようだった。


 両親は爽汰を見ていない。

 期待も失望も通り越して、最初から評価の対象に入っていないとでも言いたげの振る舞いをとる。どうやら、爽汰は親族の多くが通っていた小学校に落ちて、中学受験に関しても、彼の主観においては失敗という結果だったらしい。


 そのとき、分かったことが一つだけある。

 爽汰は単に消えたいのだ。


 認められない寂しさと、厳しい世界からいなくなりたい願望が、悪い形で結びついてしまった。その結果が今の爽汰の衝動だ。


 軽率に誰かに触れる。誘惑的な態度をとる。

 自分が特異体質であることを知っているから。溶かしてくれる誰かを探しているから。――そうして、恋が成就したように見えたとき、自分が消えられなければ次の人間を探す。爽汰の生き方は、酷く論理的な感情をもって形成されていた。


***


 僕の胸は、ずっと高鳴っていた。

 爽汰の奥に沈んだ悲しみを見つけてしまったとき、頭の奥――倫理を司るはずの場所が強く疼いた。止めるための痛みではなかった。踏み越えるための合図みたいな、不快で甘酸っぱい刺激だった。


 爽汰は可愛い。

 賢くて、綺麗で、幼くて、そして惨めだ。


 自分に価値がないと思い込みながら、人に触れずにはいられない。その矛盾を誰にも正してもらえなかった子だ。色々なところを旅して、色々な人に縋って、それでも、どこにも辿り着けなかった可哀想な子だ。


 その終着点が僕であればいいと思った。


 僕は彼の最後になれる。

 僕は彼を救うことができる。

 ――僕は、彼を心の底から愛して、殺してやることができるかもしれない。


 付き合い始めたのは自然な流れだった。

 僕は何度も爽汰に好きだと言った。嘘ではなかった。実際、僕はどこまでも夢中だった。爽汰が他の子に甘えるのが嫌で、一緒にいる条件みたいに厳しい束縛もした。


 意外なことに、爽汰はそれを嫌がらなかった。

 独占されることに安心しているようだった。僕が溺愛するたびに、試すような行為は減っていき、触れ方も視線も、少しずつ従順になっていった。


 それなのに、爽汰は溶けなかった。


 「互いに抱いた恋愛感情が成就するとき。」

 条件は揃っているはずだった。僕と爽汰は付き合っている。僕は爽汰を愛している。

 ――だとすれば、躓いているのは「互いに」の部分だろうか。


 爽汰は安心したような素振りを見せていた。

 頬を赤らめて、手を握り返して、僕の名前を何度も呼んでくれた。けれど、どこかで線を引いて、心の全部を預けることだけは最後までしなかったのかもしれない。


 彼は人を愛することを知らなかった。

 愛されたいと願いながら、愛するという営みを信じきれない。溶けたいと望みながら、その条件を自分で破壊してしまう。


 そうして、ついにタイムリミットが来た。


 僕は爽汰を殺せなかった。

 殺せなかったから、爽汰は今もどこかで誰かに触れている。軽率に、必死に、消えたいまま世界を歩み続けている。


 腕の大きな痣に、涙がこぼれた日のことだった。

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