ユウと棺
ミシマ・カナは、決して慌てて動かなかった。
彼女は建物から数メートル離れた場所に立ち、朝露で冷えたアスファルトに足をしっかりと踏みしめている。手にしているのは長い銃身を持つ火器――ただの銃ではない。レデンプション・オーダーの中でも、限られた者にしか与えられない聖遺物だった。
スナイパー。
エクソシズムの歴史において、浄化の方法は時代と共に変化してきた。祈り、聖水、封印、血――あらゆる手段が試されてきた。そして人類は、最も効率的な答えに辿り着いた。
――人を殺さず、悪魔だけを殺す方法。
カナはゆっくりと息を吐いた。
「この武器で、単独でエクソシズム……」
小さく呟く。
「……馬鹿げてる」
彼女の前には、背を丸めた“それ”が立っていた。
人間だったはずの皮膚は黒く変色し、乾いた大地の下で燃える溶岩のような赤い亀裂が走っている。頭部からは角が生え、背後では不自然に尾の影が揺れていた。
完全憑依。
もはや、救えるものは何もない。
カナはスナイパーを構え、頬をストックに当てた。照準は、迷いなく額の中心へ。
「神よ……」
かすれるほど小さな声で。
「貴方の子を終わらせる罪を……お許しください」
引き金は、短く引かれた。
――ドンッ。
銀の弾丸が朝の空気を切り裂き、正確に命中する。
頭部が、一瞬で砕け散った。
身体は後方へ吹き飛び、音もなく地面に叩きつけられる。
静寂。
カナは数秒間、照準を外さなかった。確信してから、ゆっくりと銃を下ろす。
――あまりにも、簡単すぎる。
その考えが浮かんだ瞬間、彼女の警戒心は逆に強まった。
カナは、先ほど窓から投げ出されたジャッジメンターの男へ近づき、膝をついて呼吸を確認する。
生きている。
その時――
背後で、何かが動いた。
空気が変わる。
思考よりも早く、彼女の本能が叫んだ。
振り向く。
首元のすぐ後ろで、低い唸り声が響く。
“それ”は、立っていた。
頭は破壊されているにもかかわらず、身体は意に介した様子もなく動いている。皮膚の赤い亀裂が、先ほどよりも強く光っていた。
黒い手が、カナの喉へ伸びる。
だが――
カナの方が速かった。
身体をひねり、全力で蹴りを叩き込む。
――ドンッ。
“それ”は吹き飛び、アスファルトを転がり、そして止まった。
意識を失ったままの、コウガサキ・ユウのすぐ隣で。
カナは顔を歪め、脚を下ろす。
「……硬っ」
脛に走る痛みに耐えながら呟く。
「皮膚が……」
顔を上げる。
そして、動きを止めた。
“それ”は、起き上がらない。
襲ってこない。
ただ――立ったまま、ユウを見つめている。
沈黙。
唸りも、殺意もない。
カナの背筋に、冷たいものが這い上がった。
「……あり得ない」
「完全に融合した悪魔は……もっと、獣みたいなはず」
だが、“それ”は一切視線を逸らさなかった。
まるで――
何かを、確かめているかのように。
カナは歯を食いしばる。
「……いい」
低く、冷たい声で。
「今がチャンス」
彼女は膝をつき、マガジンを開いて銀弾を三発装填した。
三発。
何を相手にしても、終わらせるには十分すぎる。
再び銃を構える。
照準を合わせる。
――
空。
“それ”は消えていた。
ユウも、いない。
「……え?」
カナは銃を下ろし、素早く周囲を見回す。
アスファルトは空白だった。足跡も、影もない。
残されていたのは――
道端に置かれた、黒い棺だけ。
「……嘘」
荒くなる息。
「悪魔が……ユウを連れて行った?」
彼女は棺を見つめる。
拘束具は、無傷のまま。
「……棺を、置いて……?」
胸が締め付けられる。
最悪だ。
カナは棺を背負い、先ほど通ってきた道を走り出した。
「ユウ……ユウ……」
焦燥に満ちた声で繰り返す。
「棺から……離れないで……」
だが、走れば走るほど――
棺から伝わる振動は、強くなっていく。
揺れているのではない。
内側から――
何かが、叩いている。
カナは、足を止めた。
振動は、はっきりと感じられる。
まるで――
何かが、目を覚まそうとしているかのように。
Please Don’t Open My Coffin ● 棺を背負う審問者 gabimaruuu @Gabimaruu_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Please Don’t Open My Coffin ● 棺を背負う審問者の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます