Please Don’t Open My Coffin ● 棺を背負う審問者

gabimaruuu

ジャッジメンター

この世界には、人間だけが生きているわけじゃない。


動物がいて、植物がいて、

そして――

その隙間を歩く“何か”がいる。


教科書には載らない。

法律にも認められない。

それでも、時折、確かに姿を現す存在。


――悪魔。


人間は、よく忘れている。

悪魔は“外”から来た存在じゃない。


それは、人間から生まれた。


すべての悪魔が人間より邪悪とは限らない。

だが人間は――

どんな悪魔よりも、残酷になれる。


人類の歴史の中で、エクソシズムは長く続いてきた。

祈り、儀式、聖具、武器、そして血。


目的はひとつ。

人に害をなす霊や悪魔を、追い払うこと。


だが、ひとつだけ。

ほとんど誰も考えない問いがある。


――彼らは、本当に“理由もなく”人に干渉しているのか?


―――


これは、

悪魔に抗おうとする、

ひとりの少年の物語だ。


―――


「俺の名前は、神ヶ崎ユウ。二十歳。独り身だ」


感情の起伏のない声が、録音機に落ちる。


「親は知らない。会ったこともない。探したこともない」


一拍、沈黙。


「……でも、祖父が誰かは知ってる」


カチッ。


ユウは小さなボイスレコーダーを下ろした。


「今の俺は、教会所属のジャッジメンターだ」

独り言のように呟く。

「まあ、ほとんどの人は知らないだろ。そんな役職」


薄汚れた壁の狭い部屋。

小さな窓から朝の光が差し込み、

部屋の隅に置かれた“それ”を照らしていた。


黒い棺。


部屋の空気は重く、

古い金属と湿った木の匂いが混じっている。


ユウはもう慣れていた。

教会の香より、よっぽど正直な匂いだ。


「教会には“リデンプション・オーダー”って組織がある」

レコーダーが止まっているのに、ユウは続ける。

「エクソシズム専門の部隊だ」


コートを手に取る。


「時代が進んでも、仕事は変わらない。

信じなくていいが――悪魔は、ちゃんと人に憑く」


小さく舌打ち。


「……ま、こんなもんか」


ユウは拳銃を取り上げた。

金属の側面には、ラテン語が刻まれている。


AD HEBRAEOS IX:XXVII


腰に差し、

部屋の隅にあった棺を背負う。


「よし」

軽く言った。

「行くか」


―――


エクソシズムの仕事は、毎日あるわけじゃない。

人が憑かれるのは、そう頻繁じゃない。


だが、ここ数年で状況は変わった。


件数は激増。

助かる者もいれば、命を落とす者もいる。


悪魔は、隠れるのをやめた。

存在を、主張し始めたのだ。


ユウは朝の街を、気だるげに歩く。

煙草に火をつけ、白い煙を吐いた。


通りはまだ静かだ。

すれ違う人々の視線は、ユウではなく――

背中の棺に向けられる。


誰も、何も聞かない。

この街では、余計な詮索は無作法だ。


「ユウ。煙草、やめられない?」


女の声が、背後から飛んできた。


「よー、カナ」

ユウは笑う。


「教会は禁煙よ。魂が汚れるんですって」


「誰が気にする」

ユウは煙を吐き、肩をすくめた。

「俺、魂なんて持ってないし」


彼女の足が止まる。


振り返ったその表情は――

怒りでも、呆れでもない。


恐怖。


三島カナ。

神ヶ崎ユウのパートナー。


そして、

ユウを“監視”する役目を負った人間。


自由すぎる男。

自分を神のように扱う男。


カナの仕事は、それだけじゃない。


――ユウの“力”を管理すること。


「これ」

カナは棺のベルトを掴んだ。

「私が持つ」


違う。


これは、ただの棺じゃない。


初めて触れた瞬間から、

カナは理解していた。


これは“死”を納めるものじゃない。

ここにあってはいけない“何か”を、閉じ込めている。


一瞬。

ベルトが、きつく締まった気がした。


錯覚かもしれない。

それとも――訓練された警戒心のせいか。


ユウは、何も言わず棺を渡す。


「……大丈夫?」

カナはユウの顔を見る。


「何が?」

ユウは平然と答えた。

「問題ないけど」


「もうすぐ朝の祈りよ。教会に行くわ」


「やだ」

即答だった。

「見えもしないものに、なんで祈らなきゃいけない?」


「……口を慎みなさい」


ユウはそういう男だ。

縛られない。

道徳にも、信仰にも。


カナは、いつもより長く彼を見つめた。


その言葉は――

オーダーの人間が言っていいものじゃない。


ドンッ。


カナの拳が、ユウの腹に突き刺さる。


ユウの体は折れ、

そのまま意識を失って倒れた。


カナは深く息を吐く。


コートの襟を掴み、

ずるずると引きずる。


女性とは思えない怪力。

間違いなく、強い。


――ゴリラ並みに。


―――


教会へ向かう途中。


突然――


バァン!


朝の静けさを引き裂く轟音。


鳥が飛び立ち、

遠くで悲鳴が上がり――

すぐに止んだ。


建物の窓が砕け散り、

破片が宙を舞う。


ひとつの人影が、

カナの目の前に叩きつけられた。


「……は、は……」


口から血を流す男。

ジャッジメンターの制服は裂け、赤く染まっている。


カナは、割れた窓を見上げた。


その奥で――

“何か”が動いている。


完全に乗っ取られた人間。

生半可な憑依じゃない。


悪魔が、体を支配している。


「……カ、カナさん……」

男はかすれた声で言った。

「逃げて……知らせを……

この悪魔……危険、だ……」


「おい」

カナは膝をつく。

「まだ死ぬな。状況を――」


男の目が、白く濁る。


力が抜けた。


気絶。


カナは、ゆっくり立ち上がった。


背後では、

ユウがまだ意識を失っている。


一人だ。


「……仕方ない」


カナは武器ケースを開く。


「私の実力、試させてもらうわ」


自分の心臓の音が、やけに大きい。


理想的な状況じゃない。

でも、エクソシズムに選択肢はない。


彼女が取り出したのは――


スナイパーライフル。


どう考えても、

近接戦闘向きじゃない武器だった。

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