第2話 友人は最高だな!!

その日の夜。

部屋の明かりを落として、ベッドに仰向けになった。

天井の白い模様をぼんやりと見つめながら、誰に向けるでもなく息を吐く。


何度目かもわからないため息。

静かだ。

外では風が窓ガラスを撫でている。

時折、電車の音が遠くに響く。

それだけ。


いつもと同じ部屋、同じ机、同じカーテン。

でも、今日はまるで知らない部屋みたいだった。


「……許嫁、だった。俺たち」


声に出してみると、それが現実味を帯びて胸の奥に沈んだ。

許嫁。

その単語を、まさか自分の人生で使う日が来るとは思わなかった。



祭りの夜の光景が頭に浮かぶ。

甘いりんご飴の匂い。

揺れる提灯の灯り。


そして――赤い紐。


「約束、破ったら、許さないからね」


あの声が蘇るたび、胸の奥がざわめく。

紬が言った“けっこんしよう”なんて一言を、当時はただの遊び半分に受け取っていた。


だけど今、あの時の彼女の瞳の真剣さを思い出すたびに、何か喉の奥が詰まる。


ベッドの上で寝返りを打つ。

もう一度、今日の出来事が頭をよぎる。

紬の隣に座った料亭の個室。

両家の笑い声。


そして――母の軽い調子で放たれた「早く家を決めないとね」という台詞。

同居。

あの瞬間は本気で、自分の耳を疑った。


たぶん誰が見ても、俺は今日、人生で一番混乱してたと思う。


「……同居、か」


口にした瞬間、ため息が出た。

言葉自体が現実味を増して、自分の胸を締め付けてくる。


紬と一緒に暮らす――。

悪い気はしない。どころか、少し嬉しいと思ってしまう自分がいる。

でも、それって正しいのか?

許嫁だったという曖昧な約束の線引き。


今の自分の気持ちと、昔の“約束”の境目がごっちゃになって、何が本当かわからなくなっていた。

流されてるだけなのか。

ちゃんと好きなのか。

目を閉じても考えが止まらなかった。


ベッド脇の机に置いたスマホが目に入る。

画面は真っ暗。

手を伸ばす。

指先にひんやりとした感覚。

その冷たさが、今の自分の迷いそのもののように感じた。


「連絡、どうしようかな……」


メッセージの履歴を見ても、話したいことがありすぎて、どこから切り出せばいいのかも分からない。


遼――黒崎遼。


ずっと昔からの悪友で、何でもない顔して何でも見抜くやつ。

紬のこともそれとなく知っている。


いつだったか、部活帰りに俺と紬を見かけて、「お前ら、夫婦みたいだな」って笑ってた。


あの時、本気に取らなかったのは俺だけだったのかもしれない。


「……まあ、遼なら」


そう呟いて、通話ボタンを押した。

数コールもしないうちに、軽い声が聞こえる。


『……おう、大和か』


「遼、起きてた?」


『起きてるっつーか、起こされた。で? なんか声のトーンが重いな』


苦笑した。


「うん、まあ。今日さ、いろいろ話があって」


『“いろいろ”ってのが一番面倒な前置きだな。そうだな………紬の話か?』


「……そう」


『ついに進展?』


「進展っていうか……いや、なったというより、許嫁だったらしくて」


「で、そのうえ……同居することになった」


さすがに、電話口が静まり返る。




………………



『…………は?』



静寂のあと、遼の息を呑む音。


『お前……いや、待て。許嫁で、同居で、高校生? どこの令和ロマンスだよ』


「俺も信じたくないけど」


『……同居、って“あの紬ちゃんと”だよな?』


「うん」


『……いや、マジかよ』


「俺も、マジかよって思ってる」


『お前んとこの親、ほんと勢いすげぇな。あ、で、ちなみに紬ちゃん、どんな反応だった?』


「落ち着いてた。……多分、知ってた」


『なるほどな。』


『で。お前は、どうしたいわけ?』


「……正直、わかんない」


天井を見たまま言うと、遼が短く息を吐いた。


『ほう』


「嫌じゃないんだ。むしろ……変な話だけど、すげー安心するというか」


『いや、好きな子と一緒に暮らすって聞いたら、フツーそうだろ』


「だまれ」


絶妙なタイミングで突っ込まれて、思わず苦笑が漏れる。

遼はその笑いを逃さず、わざと軽い声で言った。


『まあ、よかったじゃん。好きな人と同棲できて。』


『……こっちは知ってるぞ? 両思いって』


『俺、こう見えて結構安心してたんだぜ? あーこれは相思相愛コースだなって。』


「……バカ言うな」


『言われなくてもわかってんだろ。』


言葉に詰まる。

遼の声が、からかい半分で、それでも妙に真面目な響きを持って続いた。


『けどさ、大和。冗談抜きで、こういう関係って一番危険なんだよ。』


『“昔からの約束”とか“家の事情”に頼ると、自分の気持ちを見失う。』


その言葉に、息が止まった気がした。


『だから、ちゃんと区切れ。なあなあにしないで。』


『お前がどう思ってるか、言葉でちゃんと伝えろ。告白でも、プロポーズでも。』


「……いや、それはそうなんだけどさ」


目を閉じながら呟いた。


「……告白か、プロポーズか。どっちなんだよ、これは」


遼が笑った。


『重いなぁ。どっちでもいいよ。要は逃げないことだろ?』


「……あぁ」


『じゃあ』


「?」


『覚悟決めろ。どう転んでも、逃げ道はねぇぞ、大和』


通話が切れたあともしばらく、その言葉が耳に残っていた。

スマホの画面が暗くなるまで、何度も指先でなぞる。

息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「……逃げんな、か」


誰に聞かせるでもなく、呟いた。

それでも心の奥が、ほんの少し軽くなっていた。

カーテンの隙間から、街の灯が揺れる。


その光の向こうに、紬の姿がふと浮かんだ。

“許嫁だった”――。

けど、これからは“好きな人”として、きちんと向き合いたい。


目を閉じたまま、小さく笑う。


「……まいったな」


その笑いが、ようやく本音に近づいた気がした。





一方その頃。

遠坂紬もまた、自分の部屋でスマホを両手に持ち、画面をじっと見つめていた。


『……つまりさ』


スピーカー越しに響くのは、白石恵麻の声。

紬の親友で、クラスでも数少ない“何でも話せる存在”。


「……はい。そういう流れで、同居することに」


『え、いや、ちょっと待って。高校生でしょ?』


「……はい」


『どういう世界線?』


「……私にも、よくわかりません」


恵麻のため息がスピーカーから漏れる。


『まあ、想定内っちゃ想定内だけどさ。大和くん家、ご両親勢いあるからね』


「勢いというより……ノリ、です」


二人で同時に苦笑がもれた。

笑ってみても、紬の胸の奥は少しだけ重い。


『で、大和くん、どんな反応だったの?』


「驚いてました。そりゃそうだと思います」


『で、嬉しそうだった? それとも困ってた?』


「……少し、困ってたかも」


『“少し”ねぇ。』


恵麻はやや含み笑いをしながら続けた。


『でもさ、紬。あんた、待ちすぎだよ』


「……え?」


『今日みたいに急に動いて驚かせるくらい、もっと早くてもよかったと思う』


「……待っていたつもりは、ないです」


『でも“我慢”はしてたでしょ?』


紬の肩がわずかに震えた。

リボンに触れる指が小さく揺れる。


「……約束、でしたから」


『それ、恋の理由としては弱いって。』


「……わかってます」


言葉がほとんど息になる。


『ねえ紬。あんた、今の大和くんが好きなんでしょ?』


『昔の約束に縛られてるんじゃなくて、ちゃんと今の彼を見て。』



「……はい」


『ならさ、ちゃんと告白しなよ。“許嫁だから”じゃなくて、“好きだから”って』


紬は目を伏せ、唇を噛んだ。

部屋の中の空気が、急に濃く感じる。

胸の奥が、じんと熱くなっていた。


「……それは」


『怖い?』


「……はい」


『そりゃそうだよ。でもね、怖いからこそ伝わることもある』


「大好きなら、しっかり言葉にしないと」


ほんの数秒の沈黙。


その静けさの中で、紬は自分の心の音を聞いた。



「……う、うるさいです……」


思わず口にした声が、少し震えていた。

その向こうで、恵麻が笑う。


『はいはい、照れてる紬ちゃんかわいい。』


「照れてません」


『はいはい。』


紬は枕を抱えて、顔を埋めた。

耳の横で、赤いリボンがほんの少し揺れた。


『でもさ、本当に思ってるなら、行動あるのみだよ』


『このまま“約束の中”の恋じゃ、もったいないじゃん』


「……恵麻」


『ん?』


「その、ありがとうございます」


その一言に、恵麻は照れ隠しのように明るく答えた。


『お礼は、春休みのデート成功させてからにして』


「……はい」


通話が切れたあと。

部屋は静まり返った。

紬は窓のカーテンを少しだけ開ける。


夜の街の灯りが遠くで瞬いていた。

春の気配が、ほんの少し風の中に混じっている。

手のひらでマフラーの端を握り、赤いリボンにふと触れる。


光の反射で、ほんの少し金色に見えた。


「……春休み」


小さく呟いてから、スマホを胸の前で握りしめた。


「デートを、しましょう」


それは、昔の約束をなぞるためじゃない。

自分の気持ちを確かめるために。


同じ夜。


別々の部屋で。

遠坂紬と桜庭大和は、同じ想いを抱いていた。

ちゃんと、言葉にしよう。


そのための、春が――静かに、始まろうとしていた。









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