1-1 アルディニスの灰鍵
1-1-1 十の星来たれり
「ぐぅっ……屈辱だぜ……てめえなんかに……。」
暗い迷宮の通路。湿った岩肌を擦る音と共に、血まみれの男が毒づいた。 肩口から腰にかけて、巨大な鉤爪で引き裂かれたような深手。その傷口から滲む血に、男は顔を歪めた。
「無駄口を叩くな。傷が開くぞ。」
探索者の男を引きずりながら運ぶ青年――ルモアルは、表情一つ変えずに告げた。 その瞳には、男への同情も、浴びせられた罵倒への怒りもない。ただ、目の前の荷物を目的地まで運ぶという、事務的な無機質さだけが宿っている。
ルモアルは「回収人」だ。 迷宮の中で息絶えた者の遺体や、傷つき動けなくなった探索者を外へ運び出す、迷宮の清掃人。助かりそうな命には応急処置を施すなどし、人命救助の一翼を担う回収人は本来感謝されるべき存在だ。だが、現実は違う。
「……触るなと言いたいところだが、死ぬのは御免だ。さっさと歩け、無能。」
「……。」
助けた相手からかけられる言葉は、感謝とは全く違うものだった。ルモアルへの蔑みの理由は、彼が生まれながらに持つ特性にあった。 この世界のあらゆる生物は、自らの魔力を顕現させた『魔道具』を魂の形として携えて生まれる。竜の鱗さえ容易く斬り裂く剣、悪魔の呪いも跳ね返す盾、未来を見通す片眼鏡……魔道具は人によって様々で、固有の形をとる。だが、ルモアルにはそれがない。ルモアルは魔力を持たない体に生まれたからだ。前代未聞のその疾患によって魔道具を顕現できず、魔術の一つも行使できない彼は、知性のない獣以下、あるいは欠陥品として扱われてきた。
十二歳で回収人になり、今日でちょうど八年。二十歳になったルモアルは、自分が劣等であることを骨の髄まで理解していた。しかし、回収人という仕事は、彼が唯一その特性を活かすことができる仕事だった。魔力が無いことで、モンスターには気づかれにくい。いくつかの迷宮のトラップやギミックは素通りすることもできた。しかしそれは、他の人々にとってはどうでもいいことだった。
迷宮を出て、近くの探索者ギルドの医療窓口に男を放り捨てたルモアルは、礼の一言も、報酬の端金すら受け取ることなく、迷宮へと戻っていった。
日が沈み、夜が訪れる。ルモアルは迷宮からいくつかの遺体を運び出し、探索者ギルドへ運び込んだ。受付嬢のようなギルド職員から新人の探索者まで、ルモアルを見る目には一様に侮蔑と嘲笑が入り混じっていた。その視線にも慣れてしまったルモアルは、淡々と手続きを済ませる。遺体は三つ、救助は一人。その報酬は、小銀貨三枚と大銅貨五枚。人の命はかくも安いものか、とルモアルは日々考えては飲み込んだ。
突然、ギルドにざわめきが広がる。金髪の男が入ってきた。ルモアルと同じ回収人だ。彼は瀕死の女性探索者を抱きかかえて、医療窓口に走る。
「……ありがとう、本当にありがとうございます……。」
探索者は涙を浮かべ、掠れた声で感謝の言葉を紡ぎ続ける。周囲の人々は、揃って彼を讃えた。彼と自分の違いは何なのだろうとルモアルは考える。そんなもの、わかりきっている。魔力があるか、魔力が無いか。もしくは、魔道具を持つか、持たないかだ。ルモアルは金髪の回収人が受け取った金色の硬貨を見て、人の命はやはり重い、と探索者ギルドを後にした。
その夜は、予言の日だった。
「……また、来たか。」
迷宮を中心に広がるこの街だが、ルモアルはこの街に宿泊することを許されていなかった。回収人は渡り鳥のように迷宮を転々とする職業だ。野宿はもはや日常である。街の外れに張った小さなテントの外に出て、夜空を見上げるルモアルの瞳に、一筋の赤い光が反射した。
禍ツ星来たれり。
十度目の予言が示された今夜。これまでのように、幾つもの星が空を駆ける。彼方より飛来し、破滅をもたらす侵略者。しかし、ルモアルは少しの違和感を感じとった。幾つかの流星のうちの一つ。初めは小さく見えたその星は、しかし次第に大きくなって見えた。恐ろしい速度でこちらへ向かっているようだ。
ルモアルの胸に嫌なざわつきが走る。長年、迷宮で回収人をしてきた経験と直感が、彼の身体を動かした。一条の光は街の中心部、迷宮へ一直線に突き刺さる。
轟音が響き渡った。
悲鳴。溶けた地面。血と土の匂い。欠けた迷宮。それらの要素が、この地に侵略者が降り立ったという事実を物語る。周囲には探索者、市民問わず無数の死体が転がっていた。あの回収人の男も、男に救われた女探索者も、ルモアルを罵倒した男も、物言わぬ肉塊へと成り果てている。何も珍しいことではない。救助した探索者が次の日には遺体となっているような場面を、ルモアルは何度も経験していた。しかし今回は、今まで経験した何よりも酷い地獄だった。
助けられる者を探していたルモアルは、黒い煙が立ち上る迷宮に何かの影を見た。それは一歩、また一歩とルモアルに近づいてくる。
「……侵略者……。」
ルモアルはかつて、一度だけその姿を見たことがあった。いくつもの探索者の遺体が転がる迷宮の最奥部で、迷宮の主と熾烈な戦闘を繰り広げる侵略者は、恐ろしいほどの強さを持っていた。それでいて、数多の侵略者のうちの一人にすぎないというのだから、末恐ろしい。精鋭の侵略者は、また次元の違う強さを持つという事実も、当時のルモアルを震え上がらせた。
ルモアルの目の前にいる侵略者は、人間に近い背格好だった。全身を漆黒の甲殻に包み、棘と触手のある異形。その侵略者の目が、ルモアルを捉える。
瞬きをする間もなかった。
「あ……が……。」
ドシュッ、と肉を貫く音が鳴る。侵略者の腕が鞭のようにしなり、ルモアルの胸を深々と貫いていた。心臓はひしゃげ、熱い血液が逆流する。口からは言葉にならない声と、血が零れる。ルモアルの視界は急速に暗転した。
やっと、終わりか。
ルモアルは心のどこかで、終わりを望んでいた。回収人として過ごした八年、そして生まれてからの二十年という歳月は、ルモアルの心を壊すに十分だった。
「……。」
ルモアルが目を開ける。そこは暗闇だった。松明の光が届かない迷宮の暗がりとは違う。いままで見たこともないような、真の暗闇だった。光を求めるように辺りを見回していたルモアルは、ふと気配を感じて自分の正面に目を向けた。
「鍵守よ。」
響く声。囁くような、無数の地鳴りを重ねたような、不思議な音。しかし、そこには何も見えない。
「……迷宮を巡れ……。」
次第に大きくなり、頭痛のように頭の中で響く声に顔を顰める。その声は鋭い痛みとなって脳を抉った。
「……鍵を集めよ……。」
そして光が現れる。一つ、二つ……。ルモアルを取り囲むように、それらは漂っている。十、いや、それより多いだろうか。それは意志を持つかのようにルモアルへ近づく。
「……門を開け……。」
脳内で響く言葉はやがて心臓にまで痛みをもたらした。ルモアルが呻く。地面の間隔がなくなり、奈落へ落ちるような感覚に襲われる。
「……それによって……。」
ズキン、と一際大きく突き抜けるような痛みが走る。まるで魂を貫くような衝撃が、ルモアルの意識を薄れさせていく。
「……『■■』は完成する……!」
最後の声が響く。そうして―――。
「!」
ルモアルが目を開ける。ばっと起き上がり、反射的に自分の胸に手を当てた。ぼろぼろの衣服には、あれが事実であったと物語る穴が開いているが、その下の体には傷一つない。
そしてルモアルは、それに気が付く。胸部と左手の間に何かがある。ゆっくりと、内側から湧き上がるような歓喜の震えを押さえながら、手を離す。強大な魔力。自分にはないはずのそれが、姿を現す。
「……はっ……。」
浅く息を吸う。無意識のうちに止まっていた呼吸を再開する。銀色の鍵。紛れもない『魔道具』に目を見開く。
「は。」
その能力が、使い方が、名前が、頭の中に流れ込む。それでルモアルは理解した。この魔道具は、俺のものだ、と。未だ自分の身体には魔力が無い。魔力が無ければ、魔道具は顕現することはできない。これは自分の魂から生まれた正当な魔道具ではないことはわかっている。
しかし、この鍵は、確かに俺の物なのだ、と。
「……い!おい!回収人!生きているのか。侵略者はどうなったんだ、おい!」
肩を乱暴に揺さぶられて、はっと正気を取り戻す。辺りを見回す。侵略者はいない。そこには、この災害ともいえる侵略者の襲来に救援として駆け付けた数名の探索者だけがいた。困惑と疑念の入り混じった表情で、座り込むルモアルを見下ろしている。探索者はこの街の近くで活動している者達で、この夜は偶然出払っていたようだ。飛来する流星と衝突音を聞きつけて、馬を走らせ戻ってきたようだった。もちろん、
「お前……その魔道具は……。」
ルモアルはゆっくり立ち上がる。手の中の鍵を強く握りしめると、それは銀のリングへと姿を変えて、ルモアルの左手首に巻き付いた。
「……これは、俺の魔道具だ。」
ルモアルは迷いなく答える。手首のリング――『ペクーロの銀鍵』が、彼の意思に応えるように鼓動した。
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