1-1-2 夜の淵

 十度目の凶星は世界に衝撃を与えた。過去九回の襲来とは異なり、一か所ではなく世界中に散らばるようにして降り注いだ侵略者は、合わせて七つの迷宮を侵略した。未だ交戦を続けている迷宮が二つ。そして、撃退に成功した迷宮が二つ。ルモアルのいた迷宮はどういうわけか侵略を免れたが、代わりに甚大な被害を被った。流星の落下地点は迷宮であり、近くに建てられていた探索者ギルドにその余波が及んだ。石造りの建物は一瞬にして瓦礫の山と化し、その場にいた探索者の多くが死亡、または重傷を負った。街の四割が機能を停止し、昨日までの賑わいが嘘のように消え失せていた。


 街はすぐに話題となり、探索者や学者など様々な人が押し寄せた。迷宮のモンスターのように、侵略者が戦利品を落とすと考えた者もいた。ルモアルは唯一生存した回収人として、最後の仕事を全うした。周囲の人間には、なぜこいつが生き残ったのかと不審がる者や、お前が死ねばよかったのにと暴言を吐く遺族もいた。


「……。」


 それらを無視して、ルモアルはただ、死者に黙祷を捧げた。その姿を見た者のうち幾人かは目を逸らし、幾人かは己を恥じるように俯きそれに続いた。


 もうこの街にいることはできないと悟ったルモアルは、別の街に移動をすることにした。さほど遠くない場所に、ちょうどよい迷宮街があった。アヴェンツィンドロの街だ。結晶の王国と呼ばれるモルトローム王国の南部に位置する街で、モルトロームの七迷宮と呼ばれる有名な迷宮のうちの一つがある。


「ここが、アヴェンツィンドロか。」


 街についた日、空は抜けるような快晴だった。強い陽光が降り注ぎ、海からの風が石造りの建物を撫でる。アヴェンツィンドロは一年を通して乾燥した気候だ。街を歩くと、熱を帯びた石畳の照り返しがルモアルの肌を焼いた。


「……おい、あれって……。」


「……ああ、忌まわしい……。」


 乾いた風は噂もこの街に運んだようで、ルモアルに向けられる視線は棘のように鋭いものだった。侵略者の襲撃を生き延びたことで、ルモアルは無能というよりも呪われた忌み子のような反応をされた。


「……。」


 それでも、ルモアルは無言で歩き続ける。手首の魔道具は、この熱の中では冷たく感じられた。


 ルモアルが真っ先に向かったのは、探索者ギルドだった。扉を開けると、一斉に視線が向けられる。酒を酌み交わしていた探索者たちが手を止め、値踏みするように、あるいは蔑むようにルモアルを見た。窓口に向かうと、受付嬢は露骨に嫌な表情を浮かべた。


「……本日は―――」


 数秒の沈黙の後、絞り出した受付嬢の言葉を遮るように、ルモアルは一枚の銅板を差し出す。


「回収人を辞める。」


 それは回収人であることの証明。ルモアルの名前が刻まれた銅板は、探索者ギルドが発行した身分証だ。


「や、辞める?辞めるって言ったって、あなたには―――」


「サリア。ちょっと、下がっててくれ。」


 ギルド中にちょっとしたざわつきが広がり始めた頃。騒ぎを聞きつけたギルド職員が、奥から顔を出した。髪が白くなり始めたくらいの、落ち着いた雰囲気の初老の男だった。受付嬢をバックヤードに追いやった後、ルモアルに向き直る。


「すまないな。」


「気にしていない。それより、探索者に登録を変更したいんだが……。」


 話の分かる男だな、とルモアルは内心で安堵した。そして、彼が相当目のいい男だということも理解した。ちらりと手首に視線が向いていたことを、ルモアルは見逃さなかった。彼の作業は素早かった。


「これが、探索証だ。回収人のものとあまり変わらないが、ここに探索者である記述が入っている。口座も紐づけたが、良いか?」


「ああ。感謝する。……回収人はもう辞めたが、もし冥府の淵で会うことがあったら、話を聞こう。」


 冥府の淵で、話を聞く。それは回収人特有の、挨拶のようなものだった。『死』は冥界の番人であり、誰とも話すことができなくなった魂を冥界へ連れ去るという伝承に基づいた、一種の決まり文句だった。迷宮で深い傷を負ったものは、回収人と会話をすることができたときに生きて帰ることができるとされる。もちろんすべての者がそうではない。しかし回収人は、生き残る者と死にゆく者の運命に想いを馳せ、皮肉と情愛を込めて言うのだ。冥府の淵で話を聞こう、と。ルモアルはめったにこの言葉を口にしないものの、今回は機嫌が良かったようだ。


「ああ……。私は迷宮に行くことはないだろうが、うん。そのときは、よろしく頼むよ。」


 ルモアルは何も言わずに背を向ける。ギルド職員の男は、その背中に、回収人として抱いていたであろう誇りと矜持を感じとった。そして、ルモアルが噂通りの男ではないことを思い知った。自分よりはるかに若いこの青年が、これほどまでに濁りきった憎悪を飲み込んで生きてきたであろうことに、深く衝撃を受けた。


 この人々の反応では、買い物もままならないだろうと考えたルモアルは、携帯していた干し肉を朝食代わりに嚙みちぎって、迷宮へ向かった。




 アヴェンツィンドロの東部に位置する小型迷宮。モルトロームの七迷宮がひとつ。その名も『アヴェンツィンドロの廃聖堂』。かつて栄えた聖教会の残滓。九年前に侵略者の侵攻を受けたものの、多くを犠牲にそれを撃退した名誉ある迷宮。侵略者の魔道具によって地中に埋め込まれた聖堂だが、迷宮としての機能は失っていない。今もまた、数人の探索者がこの迷宮に足を踏み入れる。ルモアルはそれに続くように、その一歩を踏み出した。


「……早速か。」


 廃聖堂は暗かった。光魔術を使うことができず、光源を持っていないルモアルは、天井に開いた大きな穴から差し込む月光を頼りに探索を進める。廃聖堂に入ってすぐに、モンスターと接敵した。アヴェンツィンドロの廃聖堂、その一階層に出現するモンスターはただ一種類のみ。この迷宮の代名詞とも呼べるそのモンスターは、暗闇から這い出すように現れた。古びた人形、スクラペットである。


「……。」


 継ぎ接ぎだらけの布の身体で、ぼろぼろになった熊のぬいぐるみを引きずりながら、ルモアルに襲い掛かる。


「試してみるか。」


 かつてない高揚感を抑え込みながら、ルモアルは『ペクーロの銀鍵』を顕現させる。腕輪のように手首にあったそれは、光と共に形状を変化させる。ギィン、と金属が軋むような音を立てて伸び、瞬く間にルモアルの背丈ほどもある、洗練された銀色の棍へと姿を変えた。『ペクーロの銀鍵』の能力は三つ。その一つ目は、武器化であった。


「キ、キキキ。」


 スクラペットは、構えられた棒状の銀鍵に怯むことなく、奇声を上げてルモアルに跳ねる。 だが、ルモアルの目は、もはやモンスターに怯え息をひそめていた過去の回収人のものではない。熊のぬいぐるみを叩きつけるようなスクラペットの一撃を、銀の棍で受け止める。


「ふっ!」


 その衝撃は、今のルモアルにとっては脅威ではない。力任せに振り払うと、そのまま追撃を加える。スクラペットの頭部へ銀の棍を振り下ろした。


 ボフッと中の綿が噴き出し、スクラペットは魔力の粒子となって消えた。討伐完了だ。迷宮では、モンスターの死体は残らない。粒子となって消えた後、戦利品だけがその場に残る。今回の戦利品は『廃人形の布片』と、『廃人形の霊綿』だった。


「ふう……悪くない。」


 モンスターとの初戦闘は、案外呆気ないものだった。戦利品を拾い背嚢にしまう。


「話に聞いた通りだな。スクラペットは強くない。問題は、二階層からか……。」


 アヴェンツィンドロの廃聖堂は、下の階層に進む度に広くなり、モンスターが強化される。


「とりあえず、今日は一階層で様子見だな。夜まで潜って、戦闘慣れしなければ……。」


 ルモアルは銀の棍を構える。暗闇には、まだ数体の人形の気配がする。かつては背を向け逃げるしかなかった怪物は、今やただの訓練用人形に見えた。







「キ、キ……。」


 何体のスクラペットを屠ったであろうか。昨日までは救う立場だったが、今日からは殺す側に立っている自分に、ルモアルは自嘲気味な笑みを浮かべた。慣れた手つきで戦利品を回収する。


「スクラペットの戦利品は、全部で三種類か。」


『廃人形の布片』と、『廃人形の霊綿』、『廃人形の眼飾り』が、スクラペットの戦利品だった。それぞれぼろ布と綿、ボタンである。果たして買取価格はいくらなのか。あまり期待はできなさそうだとルモアルはパンパンになった背嚢を見て思った。


「そろそろ戻るか。」


 ルモアルは『ペクーロの銀鍵』をリングに戻して、手首に付ける。大きさの割には軽い背嚢を背負いなおして、廃聖堂を出た。外は夜だ。満月まであともう少しの月が堂々と浮かんでいる。




 探索者ギルドは、夜になると姿を変える。迷宮から帰還した探索者たちが飲み食いをする酒場としての一面を強くするのだ。ルモアルは扉を開ける。朝と同じく、多くの探索者の視線が向けられた。それを意に介さず、ルモアルは歩く。目的地は買取窓口だ。受付はあの受付嬢だ。引き攣った笑みを浮かべている。


「買取を頼む。」


「あ、え……え!?こ、こんなに……。」


 ルモアルは背嚢から戦利品を取り出す。あまりの量に受付嬢は声を上げた。またお前かと眉をひそめて顔を出した初老のギルド職員が、その顔を驚愕に染める。


「これは……おい、ちょっとお前も手伝え。」


 もう一人若い男の職員を引っ張ってきた初老の男は、三人で戦利品をカウントしだした。


「『廃人形の布片』が57、『廃人形の霊綿』が6、『廃人形の眼飾り』が38。合計で大銀貨一枚、小銀貨一枚、大銅貨八枚、小銅貨九枚です。」


「はぁ!?」


 酒を飲んでいた探索者の男が一人、大声を上げて立ち上がる。ギルド内全員の視線が男に向いた。


「あ、ありえないだろ!そいつは欠陥品だぞ!?大銀貨一枚も稼げるはずがないだろ!」


 同じテーブルで飲んでいた仲間が、彼をなだめている。しかし、興奮に加えてアルコールが入っている彼の耳には届いていないようだ。さらにボルテージを上げた彼の怒声は、踏み入ってはいけない領域にまで及んだ。


「そうだ!そいつは回収人だろ?きっと死体から戦利品を盗んだんだ!そうに違いな―――」


「おい。」


 男を無視してギルドを出ようとしたルモアルが振り向く。眉をひそめて彼を睨みつける。ついに口を開こうとしたその時。ルモアルよりも早く、それを咎めた男がいた。椅子を蹴り上げ立ち上がると、その巨体がはっきりとなる。ルモアルを紛糾した男のもとまで歩くと、その胸倉を乱暴に掴みぐいと引っ張る。男の身体が宙に浮いた。


「貴様。」


「な、なんだよ……。」


 もはや男に先ほどまでの威勢はない。鬼の形相で睨む大男は、顔を近づけて言った。


「回収人を侮辱するな。彼らが我々探索者を支えている。違うか。」

「ぐ……。」


 その威圧感はギルド内の人々を震え上がらせた。同業である探索者でさえ、酔いを醒ますほどだった。


「彼らが死にゆく命を拾い上げている。違うか。」


「……お、俺が悪かったよ。だから、お、下ろしてくれ……。」


 大男は掴んでいた服を離した。顔を真っ赤にした男が地面に尻もちをつく。


「敬意を忘れた探索者に、大成は無いと知れ。」


 大男はそれ以上言葉を重ねることなく、座っていた席に戻った。一瞬、ルモアルに鋭い目を向ける。目が合ったルモアルは小さく会釈してギルドを出た。


 探索者ギルドに珍しく重苦しい静寂が訪れる。周りの探索者たちは、ルモアルを侮辱した男に多少の同情は抱けど、擁護する者は一人もいなかった。回収人を疑うことは、探索者の中ではタブーだった。ルモアルは魔力を持たないゆえに幾度となく暴言を吐き捨てられていたが、普通の回収人であればそのような扱いは万に一つもあり得ない。迷宮という死地において、彼らは死者の尊厳を守り、遺族に遺品を届け、時には生還の望みを繋ぐ。回収人は、感謝と称賛を受けるに値する聖人的な職業であるのだ。


 しかし、ルモアル自身はこの一連の出来事に対して、もう興味を失っていた。扉を閉め、夜風に吹かれた彼の意識は、すでに手の中にある大銀貨の重みに向けられていた。回収人をやっていたときには拝むことさえできなかった大金。汚泥を啜り、死体を背負い、どれだけ罵倒されても手に入らなかった力の結晶が、今、手のひらで冷たく光っている。


「飯でも食べに行くか。」


 冷たい夜は、ルモアルの高揚を落ち着けるように風を吹き付ける。月の光が、新たなる旅路を祝う様にルモアルを照らした。







「……あれって……。」


 その後ろ姿を見る、人影が一つ。白い短髪、その先端が火が爆ぜたように鮮やかな赤に染まっている。瞳も同じく、炎のようだ。身なりのいいその少女は、早足でルモアルを追いかけた。腰に帯びた細身の剣が彼女の歩調に合わせて忙しなく揺れる。角を曲がったルモアルに悟られないよう、細心の注意を払って距離を詰める。曲がり角で一度足を止め、壁に背を預けて鼓動を整えてから、そっと顔を覗かせた。


「あれ?」


 そこは賑わう夜の街路。酒場が多く面しており、迷宮から戻った探索者たちが肩を組んで歩く、人通りの多い通りだ。だが、つい数秒前にそこを曲がったはずのルモアルの姿は、どこにもなかった。


「うそ……。」


 きょろきょろと首を振り、慌てて彼を探す少女に、すれ違う人々が好奇の視線を向ける。立ち尽くす少女。結局諦めた様子で、とぼとぼと来た道を戻った。






 ルモアルは、曲がってすぐにある宿の食堂に入っていた。彼女の気配に気づいた彼は、息を潜め、食堂の利用者の中に紛れていた。その挙動不審な様子を観察していたルモアルは、彼女が去ったのを確認して、ようやく一つ注文をした。


「ステーキを一つ。」


「かしこまりました!」


 元気に注文を取った宿の娘は、ルモアルが例の魔力無しむのうだと気付かない。『ペクーロの銀鍵』の魔力が、徐々に彼の身体に馴染み始めていたからだ。


 提供された肉の塊を頬張ると、はじけるような肉汁が口いっぱいに広がる。ああ、自分は生きているのだ、とルモアルは実感した。


 店を出る。木製の看板には『ソリスの宿』と書かれていた。




 また来よう。冥府の淵で、語り部になることがないよう祈って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る