ep 暗い水


 からんからんと軽やかな鐘の音が鳴って、今日もお客様がふらりと訪れる。

 どうやら女性のようだ。

 さわやかなアイスブルーのサマ―ニットに白いロングスカート、手にした鍔の大きな麦わら帽子が夏をイメージさせる。


 夢の中ゆえ、あらゆる世界(ほし)と時間や日付を共有しないこの場所では季節感という物が欠落しがちだ。

 特に、お客様の心情によっては思い出深い時分の装いであることも多く、こうしてはっきりと季節を感じさせてくれるのは珍しい。


「いらっしゃいませ」

「あ、こんにちは…」


 控えめな会釈と共に挨拶を返してくれる女性に、そっと手で店内を示す。


「どうぞ。お好きな席へおかけください」

「はい、ありがとうございます。…えっと」

「よろしければ、こちらへどうぞ!お荷物お預かりします!」


 そっと店内を見回す女性にバイトくんがすかさず近寄って声をかけ、奥のソファ席へと案内する。そのまま流れるように麦わら帽子を預かり、コートハンガーにかける。


「お飲み物お持ちしますので、ゆっくりかけてお待ちください!」

「は、はい。ありがとう」

「いえ!」


 にこっと笑うバイトくんの明るさと元気さに少々圧倒されたような様子で、しかしすぐほんのりと笑って返す。


 穏やかな様子でテーブルに座る女性から目を離し、ドリンクの準備。


 夏、青、女性。とくれば、これがいいでしょうか。頭の中でいくつか思いつく中から一番良さそうなレシピを引っ張り出してくる。

 それにしても、


「これも成長ですねえ。はじめはあんなにガチガチだったのに」

「ふふん!わたしも日々マスターを見てますから!ちゃあんとネットで勉強してますしぃ!」


 なんて独り言ちていれば、戻ってきたバイトくんが得意げに胸を張る。

 ああまたネットの記事か、あるいはアニメや動画の知識を仕入れたのだろうな、と思うとなかなか熱心で微笑ましい。


「では、棚からグラスをひとつ取っていただけますか?そうですねえ、ドリンクの色が映えるようなものを」

「はあい!」


 これでいいです?と差し出されたのは、かわいらしい丸みのある形をした切子のグラス。もちろん注文通りに色の映える透明なものだ。


「ええ。ありがとうございます」


 右手で受け取り、一旦作業台に置く。

 そして冷蔵庫から水のボトル、棚から青い小瓶とシュガーソーダのガラス瓶。マドラーを取り出してドリンクを作っていく。


 まずグラスに水を注ぎ、永久氷柱のかけらを少し。ガラス瓶の中から真珠のようなとろりと艶のある飴玉をひとつ、仕上げに小瓶から数滴晴天の雫を垂らしてマドラーで軽くかき混ぜる。


「完成です」

「わあ、きれい…!美味しそうですぅ!」

「それは良かった。では、お客様へ提供まで任せても?」

「はいっ!あ、ちなみにドリンク名ってなんですかあ?」

「そうですね…、アクアマリンの瞳、でしょうか」

「わっかりました!行ってきますぅ!」


 元気いっぱい、トレイにコースターとグラスを置いて意気揚々と歩いて行く。


「お待たせいたしました!」

「わ、きれい」

「こちら、本日のドリンク。アクアマリンの瞳でございます!」


 ごゆっくりどうぞ!とにこやかに締めくくり、戻って来る。


「ありがとうございました、バイトくん」

「やればできる子なので!当然ですぅ!」

「ふふ」


 得意げなバイトくんを見てテーブルの方へと視線を送ると、どうやら鮮やかな見た目のドリンクに女性も喜んでいるようだ。

 グラスを持ち上げ、光に当て角度を変えてそのきらめきを目で楽しみ、そうしてゆっくりと口づける。


「ん、おいしい…!」


 口の中で弾ける炭酸の泡と広がるすがすがしさ、夏にぴったりなドリンクだとなかなか詳細かつ高い評価がこぼれた。


 楽し気な女性がある程度飲み進めるのを見計らって、そっと声をかける。もちろんドリンクを喜んでいただけるのはありがたいけれど、本題に入らなくては。ここへ導かれた以上、望みがあるということですし。


「ご満足いただけた様で何よりでございます」


 カウンター越しの柔らかな声に、女性の視線がこちらへと向けられる。


「あ、はい!とっても美味しかったです。見た目もきれいで」

「ありがとうございます。勝手ながら、お客様の装いから夏の日差しや海の青をイメージしたドリンクにしてみました」

「海…、そ、そうですよね。でもこれは怖くなくてきれいで、甘いのにすっきりしていて本当に美味しかったです」


 笑ってそう話す女性に、すこし違和感を感じた。

 海、という単語にどうやらなにかあるようだ。


「お客様、もしよろしければ少しお話を伺っても?」

「え?ええ、もちろん」


 不思議そうな目がまあるく見ている。


「当店は少し特殊なお店ではございますが、入口の案内はご覧になられましたか?」


 第一の問いかけに、女性は軽くうなずく。


「はい。記憶を買い取ってくれるお店、なんですよね…?」

「ええ。ここ、まほろば異境喫茶店は通常の喫茶店と違い、金銭を対価にドリンクを提供する場所ではありません。訪れたお客様の記憶を対価に相応の金銭を支払う店」


 一旦切って、畳みかけるようにつづける。


「ですので、なにか無くしたい記憶や、あるいはお金のために記憶を差し出すといった、望みがあってこそ導かれるのです」

「望んで、導かれる…」


 そっと漏れる言葉に、頷きで返す。


「お客様にはなにか、望みがあるのではございませんか?たとえば普段強く意識することがなくとも、どうしても忘れたい過去はありませんか?」


 第二の、そして本題となる問いに女性は少し躊躇うように視線を泳がせて、そして目を閉じて言った。


「はい、あります。どうしても忘れたい過去の記憶」


 そう言って、でも、と重ねるようにつぶやいた。


「でも、本当に幼いころの記憶です。トラウマ、とも言いますけれど…。覚えているのは大体どんなことがあったかっていうことと漠然とした恐怖だけで、詳しいことは何も…。そんなもので、いいんでしょうか」


 ややあって開かれた目は不安げに揺れ、表情も少し暗い。

 自分でもどうしたらいいのかわからない幼少期の出来事とあって、これが本当にどうにかできるのかと感じてしまっているようだった。

 その様子に安心させる言葉をかけようとしたとき、横から力強い声が響いた。


「大丈夫ですっ!」


 ぱたぱたと小走りに女性に近づいたバイトくんが、そっと足元に屈みこんで見上げるように言い放つ。


「ぜ~んぜん大丈夫ですよう!任せてください!普通じゃできないかもですけど、ここはまほろば異境喫茶店ですから!」


 その鮮烈な赤に、ぱちぱちと目を瞬かせる。そしてぷっと思わず吹き出して笑った。


「じゃあ、お願いします」

「はい!おまかせくださいっ!」


 やれやれ。

 ぜんぶバイトくんに言われてしまいましたが、まさしくその通り。


 ここで対価として頂く記憶、というものは完璧に思い出せるものに限らない。

 なぜなら、普段はなんとなくぼんやりとしか思い出せなくとも、その記憶が確実に存在するから。

 そんな記憶は嘘ででっち上げだというのならもちろん不可能だけれど、思い出せないだけ、引き出しを開けられないだけなら構わない。認知症や記憶障害というものもそのうちの一つ。

 そもそも、古い記憶。それこそ乳児期の記憶なんて覚えている人も少ないし、幼少期のことすら鮮明に思い出せるのは部分的な、特に思い出深いものだけというのがざらなので。


「では、覚えている範囲のことで大丈夫です。お聞かせ願えますか?」


 そうあらためて言えば、女性は静かに話し始めた。

 思い出せない過去のトラウマ、そしてなぜ、それを今忘れてしまいたいと願っているのかを。


「…私の出身は海が近くて、よく両親に浜辺に連れて行ってもらって遊んでいました」


 海。先ほど様子がおかしくなった際のワード。


「両親は海が好きで海で出会ったそうです。父はサーフィンやフライングボードのインストラクターのようなことをしていて、母がそこへ遊びに行って。みたいな。だから家を建てる時も海沿いにしたんだって言っていました」

「わあ!すてきな出会いですねえ!」

「ええ、なんだか漫画みたいですよね」


 ふふふ、と小さく笑う。


「だから私にとって海はとても身近で、水に触れるのは大好きでした。でも、ある日、母と浜辺で遊んでいたらものすごく大きな波が来て…私を飲み込んだ、らしいです」

「ああ、なるほど。その時の記憶というのが…」

「はい。私も幼かったし、急なことでパニックになって暴れて、そのまま溺れてしまったらしいんです」


 幼少期のトラウマ。

 身近で、大好きで、安全だったはずの海。


「すぐに母が助けに来て、水を飲んで意識を失ってた私は病院に運ばれて。もちろん、何とかなったんですけど。当然目が覚めたらパニックです」

「そ、そうですよね…!」

「大人でも溺れたらパニックになります。幼い子供はなおさらでしょう」

「それから、もちろん海に入れなくなりました。海を見ると息が苦しくなって、最初は水を飲んだり体にかかるのすら泣いて嫌がったそうです」


 しっかりトラウマですよね、覚えてないけど。そういって苦笑した女性の手をバイトくんがぎゅっと握って、まるで自分のことのように必死な表情で励ますように声をかける。


「たとえ頭で覚えてなくってもそうやって体が嫌だって言ってるんです…!それは本当に怖くて仕方ないことなんですよう!そうやって笑わなくったって、全然いいんです!」


 女性は握られていない左手でバイトくんの手を包むように重ねて、小さくありがとうとつぶやいた。


「それでええと、この記憶をなくしたい理由、でしたっけ」

「差し支えなければ、と」

「そうですね。ふふふ、これはちょっと、照れくさい話なんですけど」


 一転して明るく、少し頬を赤らめる。

 いまもフラッシュバックして辛いから、というだけの暗い理由ではない、ポジティブな理由があるようだ。


「私、気になる人がいまして。その方に、その、デートに誘われたんです」


 そういって幸せそうに笑った。


「なんと!とっても素敵ですう!じゃあじゃあ、そのために!?」

「はい!うふふ、もうだいぶ症状も良くなって、海に入るとか全身が浸かるような大きな水の中にいないなら、写真や動画なんかは大丈夫なんですけど。ただ…」

「ただ?」


 言いにくそうに口ごもって、そして続きを期待するバイトくんの目に負けたのか、やけくそ気味に言い放つ。


「水族館なんです!」


 …。


「ああ、それは…」

「えっと、場所を変えてもらうとか…!」

「いえ。もういい機会だし、克服したいんです。もともと海も好きだったし、その水族館のウリだっていう巨大なチューブ状のアクアリウムにも興味があって!」


 焦るバイトくんに、どんどん女性の方が熱が入ってくる。


「まるで大きな水槽の中みたいとか、海の中みたいだってSNSでも評判で!写真も動画もきれいで楽しそうだし!その人もそういうのが好きなので!」

「な、なるほどお…!」

「いいことですね。そんなポジティブな理由なら、克服も早いのでは?」

「そう思って私もいろいろ試してみたりしたんですけど…。もうデートの日も近いので、ここはぜひ!トラウマの原因の記憶を買い取っていただきたいんです!」


 はじめのころとは打って変わって、爛々と生気に満ちた表情の女性。

 もちろん、お望みとあればいうまでもなく。


「かしこまりました。では、その望みを叶えることといたしましょう。バイトくん」

「あ、はいっ!」


 ソファの足元に屈んでいたバイトくんを下がらせ、女性に本を手渡す。

 ぶ厚い革の装丁本。


「その本を落とさないようにしっかりと両手に持って、願い、開いてください」

「はい…!」


 ぎゅっと目をつぶったまま、えいやと本が開かれる。


『Anoixis』



「今日、本当に楽しかったです」


 にっこりと笑った女性の耳元で、青い雫型のピアスが夕日を反射して輝く。


「良かった。…誘った時、少し表情が暗かったみたいに見えて、もしかして苦手なのかなって思って誘う場所間違えたかなって焦っちゃったけど…」


 あはは、と頭を掻くように照れ笑いする男性に女性もつられて笑う。


「ふふ。ううん、とっても大好き」

「だっ!…え、と、よかった…。ほんとに」


 夕日に照らされて赤く色づいた頬が、風になびいた髪で隠れる。

 また一際強い風が吹いて、


「また、誘って下さいね。すっごく楽しみ!」


 はい…。と呆けたような男性の声に、ころころと笑った。



「うまくいったみたいですねえ」

「?なにがですかあ?」

「いえ、なんでも」


 どこかの星で一組のカップルが成立しそうな気配を感じて、ひとりごちる。

 バイトくんが一瞬不思議そうな顔をして、またすぐテーブルの片づけに戻る。テーブルを消毒しては拭きあげる。

 同じように洗ったグラスを拭きあげて棚へ戻し、作業場の水滴を拭い、器具の電源を落とす。


「さて、時間ですし今日はもう上がっちゃってください」

「はあい!」


 元気な声が上がり、手早く布巾をあらって干すとバックヤードへ引っ込む。

 軽く着替えて荷物を持ち、またひょっこり顔を出す。


「じゃあお先でーすぅ!お疲れ様です!」

「お疲れ様です」


 元気な声が遠ざかって裏口のドアが閉まったら、自分も帰るかと支度を済ませる。

 戸締りの確認をし、店の電気を消す。


「では、また明日」


 扉が閉まり、静かな店内に声が消えた。


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2026年1月14日 07:15
2026年1月15日 07:15

まほろば異境喫茶店 みよし たもつ @tamotsuM001

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