閑話 回想


 エプロンを外しただけの普段の仕事服。シャツにスラックスを合わせた上から派手な海嘯の羽織を一枚。飛沫を上げ荒れ狂う海に金の稲妻が走る。

 まるで嵐の中を切り取ったような絵柄が激しく動き、1秒たりともとどまることはない。


 下賜された暴れる羽織を着こなして向かうのは夢の奥。

 入り組んだ路地をぬけ、隠された扉を開いたその先に「檻」がある。


 組み木の格子戸、八重籠目の檻。

 御簾のようにいくつもの絢爛豪華な帯が垂れ下がり、薄暗い空間を丸型行燈がほのかに照らしている。

 部屋中を泳ぎ回る星呑金魚(ほしのみきんぎょ)の輝きがちらちらと瞬く。


 チリリリン、と備え置かれた鈴を鳴らせば、絢爛たる帯の海の奥、闇に紛れた人影がひとつ。

 スッとその場に膝をつく。


「お待たせいたしました、宵の方」


 そう声をかければ、奥で動く気配がする。


「よい。こちらへ」


 夜の声が降って、吸い寄せられるように一歩前へ。いくつもの帯にさえぎられて姿の見えぬ御前の元へ近づく。

 そうして、持参した蒔絵の施された箱を捧げるように掲げ持つ。


 しゃらり。

 ふと軽くなった手を戻し顔を上げれば、闇の奥にはっきりと姿が見える。


「おお。待っておった。さあて、今回の程はどうじゃ?」


 わくわくと楽しげな雰囲気を隠しもせず、明るい声が響く。

 先ほどまでの厳かな雰囲気は一体どこへ消えたのか、心なしか空間全体が明るくなったようだ。


「おお~。なかなか、なかなかじゃ」


 墨のように黒く、絹のように滑らかな髪がさらさらと流れる。

 かかる帯の絢爛さとは裏腹に、真っ白で飾り気のない装い。白装束。

 反転して豪奢な髪飾りが、それでも浮いたように感じないのは御方様の特別さ故だろうか。


「くふふ、これなど特によいのう!このしょーもなさ、たまらん!ああでもこちらの重苦しいのもよい!最高じゃ!」

「それはようございました」


 御方様。

 この夢の区画の支配者であり、封印されて動けなくされている。正体不明の見た目少女。


「うんうん。今回も良い刺激じゃ。お前に記憶を対価にする喫茶店を開きたい、なんぞ言われた時は頭でも狂ったのかと思っておったが…。あの放蕩者がのう。良く変わったものじゃ。あのバイトっ子は手元に囲っておるのじゃろ?」

「ふふ、御方様に言われると格別の趣がありますねえ」

「なんじゃと~?」


 ぷりぷりと怒ってみせる少女に軽やかに笑い返して告げる。


「あの子は変わらず、ですよ。とても元気で、わたくしを分けた甲斐もあるというものです」

「ふん。せいぜい壊さぬようにするのじゃな」

「ええ。もちろん」


 あの子は特別ですから。そう笑って、はじめてであったころを思い返す。


 そう、あれはまだまほろば異境喫茶店なんて影も形もなかった頃。

 わたくしがまだ御方様の言う、放蕩者であった時分の話。



 言うに言えぬ己が内をさらけ出さんと、さびれた夢の狭間、裏の通りにやってくる。通りの奥、指一本分に開けられた戸から妙なにおいが漏れ出ている。ふらふらと誘い込まれた獲物がまた1人(いっぴき)。

 がらがらと戸の開く音がして、今日も誰ぞが迷い込む。


「っこほ、ごほごほ」

「おや、すみませんねえ」


 口先だけで軽く謝罪し、寝台に寝そべったまま煙管を吹く。充満した煙と過剰に焚かれた香のにおいに来訪者がむせる。

 獲物を寄せる香と思考を乱す香、そして感情を高ぶらせる煙が来訪者の鼻腔、口腔、果ては肌からもしみ込んでいく。


「…ここは、…ぼくは…」

「やあようこそ。ここは掃きだめ。アンタもどうしようもない毒を吐きに来たんだろう?さあさ、吐いて行けよ。俺はただ聞き流すだけさ」


 くくとのどの奥で笑いながら、また煙を吐き出しては吸う。

 寝台に散らばる長い白髪がまるで蜘蛛の糸のように、意思のとろけた獲物を捕らえ離さない。


「あ、わたし、ぼく、は、…」

「さあ」


 追い立てるように力強く。嬲るように愉しく。

 細められた目が爛々と輝く。


「ぼく、…あいつらを、あいつら…」

「うんうん」

「わたしをひていして、あいつらは、ぼくをころすから…。ぼくが、わたしを…」

「それでえ?」


 うつろな目をした少女とも少年とも見える人間が震える。目の覚めるような赤い髪がざんばらに顔を隠す。


「ううん?どうしたんだあ?さあ、言えよ。さあ、さあ!」


 獲物の震えがぴたりと止まり、一転して鋭く光を宿してこちらを睨む。


「、わたしは…!」


 その時浴びせられた毒に、呆気に取られて。そうして…。



 思い返してみても大した話でもなかった。よくある展開、見飽きたテンプレート。

 けれどあの赤が、鋭い目が貫いたから。


「っふふ」

「なあにをにやにやと。キモイわ」

「ひどいです。あの子との出会いを思い返していたんですよ」


 嫌そうな顔の御方様に


「人間なんて感情という刺激を漏らすだけのナマモノと思っていた俺を変えた。その輝きを見せ、あの子好みの展開(ハッピーエンド)を作るように、楽しい遊び場(みせ)の構想を与え、わたくしという存在を生み出してくれた」


 すうっと指先を滑らせて胸から腹へと撫でおろす。

 気になって、焦がれて。数年ほど手元に置いて可愛がった記憶。今の彼女にはない、あの濃密な日々を胎に飲み込んで大事に大事にしまっている。


「はっ。可愛がって愉しんで。死者でない以上夢から帰さねばならぬとなれば記憶を抜いて我が物にしようとは。まったくお前は欲深い」

「御方様ほどでもありませんが。あまたの夢に揺蕩うあなたも、同じようなものでしょう」

「一緒にするな。お前のように、結局手放し切れずに店で囲うなんぞせん。あるがままにあってもらい、脇でまどろむだけじゃ。全然違う」

「なんて言っても、こうしてわたくしに集めた記憶の一部を献上させているんですから、同じです」

「ふ~んじゃ」


 そう。あの子の意志の激しさを手元でじっくり味わっていたところに突然邪魔を入れてきて、手放すように仕向けたのが御方様と出会い。

 手放したくないが逆らえぬために、その際の記憶を呑みこむことでため息を下げたものの、物足りなさから策を講じまほろば異境喫茶店を開くことにした。そうしてわたくしなりのハッピーエンドを作っては新しい記憶(しげき)で誤魔化していたところ、またあの子が迷い込んできたのだった。

 今度は客として。


「あの子の強欲さには驚きました。だって、お金は欲しいが記憶は渡せない。だからここで働かせてほしい、それを対価にしてくれ。なんて」


 以前と違い、整えられた赤は背を覆うほどに長く、けれど目の輝きはずっと強くなっていた。


 自分をお人形にしようと伸ばされる魔の手に抗い家を出た。自分の為にお金がいるが、自分のものは何一つとしてあげられない。


 なんて強欲。

 なんて強烈。


「最高です。あの子を超える輝きはきっとない」

「はあ~。あわれじゃ。バイトっ子も」

「ふふふ」


 うっとりと浸っていれば、うっとうしそうに手を振られる。


「もう済んだ。また溜まったら献上しに来い。それじゃあの」


 吐き捨てるような声と共に闇がどんどん深くなる。

 行燈の光が頼りなく霞み、かわりに星の瞬きが激しさを増す。


 ちかちか。

 目を眩ませる光の点滅に、顔ごと瞼を伏せる。


「…、……」


 遠ざかる声がなにかを伝えるように耳を打つが、何もわからないまま、闇に呑まれた。



 顔を上げると、扉があった。

 どうやら店の前まで飛ばされたらしい。服装も、着物からいつものエプロン姿に変わっている。

 足元には手拭いが敷かれ、たたまれた羽織と空っぽの箱がきれいに置かれている。


 立ち上がり、箱を片手におさめながら扉を開く。

 からんからんとすぐそばで軽やかな音が鳴る。


「いらっしゃいませ、っておかえりなさいマスター!」


 そっちから帰ってくるんですねえ、お客様かと思いました!と元気なバイトくんの声が耳を通り、数回瞬きをしたのちこちらへと近づいてくる。


「それ、預かりましょうか」


 差し出される手を軽く断って、店の中へと足を進める。


「いえ。片付けまでがこのお仕事ですから」

「ふうん?」


 10年ぶりに声を出したような、発声の仕方を忘れてしまっていたような間を空けて返す。

 どうにも、あの空間にはなれない。思い出してしまうし、つい余計なことまで話してしまう。


 ああ、まだ帯の海を泳ぐ瞬きが目に焼き付いている。


「今日はマスターの言っていた通りにご来店がなかったので、いくつか新しいハーブティーを試作してみましたよう!飲んで感想教えてください!」

「おや、それは素晴らしい。ではこれを片づけたらすぐに行きます」

「はーい。じゃあ淹れちゃいますね~!」

「おねがいします」


 カウンターの上に広げられたスパイスや茶葉の瓶をちらりと横目に流しながら奥へ。

 バイトくんがさっそくハーブティーを淹れようとお湯を沸かそうとしている後ろを抜けていく。


「…ふふ」


 胎の中を想い、慈しむように撫で上げる。


「さて、お仕事頑張りましょうか」


 机に置いた蒔絵の箱を背に、店へと戻った。


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