ep 炎
ある日のこと。今日は本格的なお茶にしようと思い立った。
お湯を沸かしている間に、棚の奥にしまい込んだ箱を取り出す。中には一つの急須と2つの湯呑。ひとつずつ出して箱を閉め、カウンターの端に寄せておく。
まず出した茶器をすすぎ、先にお湯で温める。小ぶりながら美しい照りの急須をそっと撫でる。
温まったらお湯を捨てて茶筒から匙で茶葉を入れ、新しいお湯を注ぐ。
じっくり蒸らして1煎目。
薄い湯呑にお茶をそっと注いでいく。
「…ふう」
うん。いい香りですね。
そんな風に自画自賛していると、からんからんと澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
どうやら本日のお客様は高貴な方のよう。
あえて簡素なデザインの着物に身を包んでいても、その生地の張りや艶、そして佇まいからその位の高さが読み取れる。
カウンターを出て、席へとご案内。
「どうぞ、こちらのお席へ」
「ありがとうございます」
すっと一本芯が入ったような美しい姿勢で席へ着く。
箱からもう一つの湯吞を取り、すすいでは温める。そうしてちょうど淹れたての美しい黄の水色をたたえた湯吞を運び、テーブルに置く。
「本日のお茶、金蘭烏龍でございます」
「まあ、ありがとうございます。…とてもいい香り」
そっと目を伏せ、たおやかな仕草でお茶を含む。
行動の一つ一つが絵になるような美しさだ。
「…とても良いお味でした」
そおと湯呑がテーブルに戻される。
まだ少し、その唇を湿らせるには足りないか。
「ありがとうございます。…ああ、よろしければ2煎目もお召し上がりください。先ほどとはまた少し違った味わいをお楽しみいただけます」
「では、よろしいかしら」
「ご用意いたします」
そっとカウンターへ戻り、急須のふたを開けて新しいお湯を注ぐ。
そして先ほどよりもずっと短い蒸らし時間で、湯呑に注いでいく。
お茶の作法は数あれど、これまで試した中ではベストと言える時間だ。
「おまたせいたしました」
2煎目の少し濃い味わいを楽しんでいる中、さみしそうな名残惜しそうな表情を見つける。
さて、高貴な方の事情とは一体どのようなものでしょう。
ややあって、ことりと湯呑がテーブルへ戻される。
満足げなため息がひとつ。
「店主さん。お尋ねしてもよろしいかしら」
「ええ、なんなりと」
たっぷりと美味しいお茶を飲んで、話をするという段階にまで至れたのか。少しの間をおいて重い口が開かれた。
「こちら、記憶を買い取って下さるというのは、つまり、その記憶がなくなってしまうという認識で良いのかしら」
「はい。対価として頂いた記憶は、お客様の中から失われてしまう。二度と思い出せなくなります」
「そう…」
憂鬱げなまなざし。
しっとりとまつ毛の影が落ちる。
「わたくしの、とある方との一夜(ひとよ)の思い出を、買い取っていただきたいの」
「一夜の思い出、でございますか」
「ええ。わたくしが娘だったころ、ある方と過ごした一夜。もちろん、肉体的な接触はありませんでしたけれど」
ころころと笑う女性にひやりとする。
あけすけな物言いだけれどそこに悪意はなく、すこしのからかいの意図が含まれているだけなのはわかった。
娘だったころ、とは。
年齢的な意味もあるのだろうけれど、経験、という意味も多分に含まれているのだろうとなんとなく思った。
「お互いに思いあっていたのだけれど、立場のこともあるし、何よりわたくしには決められた相手がおりましたから。…あの日はすこし、ほんのすこし熱いまなざしと声なき対話があっただけ。それだけなの」
「けれど、とても大切な記憶…なのでしょう?」
「ええ。とっても」
あどけない少女のような笑顔。
深くは語らない中に、言葉以上の熱を感じる。
「でも、もう忘れなくては。わたくしはあの人と婚姻を結び、あの方も外の世界へ羽ばたいていくの。新しい門出は軽やかでないと」
「…そうですね、きっと」
「うふふ。このまま美しい思い出として抱きかかえていることも考えていたのだけれど、あの人ったらやきもち焼きなんだもの。それにわたくしも、これからはあの人を生涯の伴侶として慈しんでいきたいの。燃え上がるような情熱がなくても、まどろむように愛し合えるわ」
艶(あで)やかな大輪の花のごとく。
装いをどんなに地味にしてもごまかせない、美しい女(ひと)がそこにはいた。
「では、僭越ながら」
しっかりとした革張りの大きな装丁本。
それを女性に恭しく差し出す。
「こちらが…?」
「はい。この本を両の手でしっかりと持って、思うままに開いてください。それがお客様の望む記憶を示しましょう。それを対価にいただきます」
「…ええ。承りました」
そっと白い手が本を握る。
惜しむように別れを告げるひと撫で。照明の光がほのかに装丁を光らせる。数瞬のち、厚みのある本がしっかりとした手つきで開かれていく。
まばゆい光がドンドンと溢れて、
『Anoixis』
目を焼く光の中、身を焦がすような炎の熱さを感じたような気がした。
◇
女性が一人。広い部屋の中、窓際に寄りかかって壁にかかった時計を見つめている。
時計の針がかちりと動き、タイムオーバーを告げる。
「さようなら」
今日は少女だったころのわたしが死んで、わたくしに生まれ変わる日。
幼いころの想い人がとうとう海の向こうへ発つ時間が来て、小さなお別れの言葉を人知れず捧げた。
「紅華さま。ご用意はいかがでしょうか」
ノックの音、そしてひそめられた伺いの声。
「…ええ、もう出来たわ」
「失礼いたします。旦那様がお待ちでございます」
「わかったわ」
そっと窓から体を離し、かるく髪と服の乱れを直して扉へ向かう。
ちょうどメイドが扉を開き、放たれた扉から堂々と歩いて行く。足さばき、視線の一筋すら凛と見えるように。
愛おしい、あの人の待つ場所へ。
それまでの感傷などみじんも感じさせない美しい微笑みと、温かく満ちる心のままに。
「お待たせいたしました。あなた」
「紅華。いや、君を待つ時間も僕には楽しいさ」
「まあ」
「さあ、行こう」
スッと差し出された手を取って、にっこりと微笑む。
「ええ。行きましょう」
わたくしは、この方と生きていくのだから。
◇
燃え上がるような熱いまなざし、を体現するようなアンティーク調の美しいオイルランプがカウンターをちろちろと照らしている。
薔薇の彫刻がきらめいている。
「綺麗なランプですねえ!新調したんですかあ?」
炎の揺らめきをじっと見つめていたバイトくんがふと尋ねる。
「いいえ。これも対価ですよ。いつものように」
さらりと答える。
バイトくんも深くは尋ねず、ふうんと流した。
「あ!そういえば海外の有名な女優さんが一般男性と結婚したらしいですよう!一般人でもそんなスーパーレディーと出会えるものなんですねえ!夢があるっていうか~?」
「そうですねえ。…彼は赤い薔薇を知っていますから、その影響かもしれませんね」
「薔薇?」
「ふふふ。深い愛情と律する心、です」
「うーん。よくわかんないです!」
バイトくんの知るように、薔薇とその運命が交わらなくともまたちがう華と寄り添える。そんな人がいることを知っている。
そして炎のごとき薔薇も、穏やかでぬるい温度でも咲きほこれる。
「なんて、随分詩的ですよねえ。さすがに」
急須を茶殻で磨きながらひとりごちる。
高貴な方につられて、なんだかペースを持っていかれてしまったような気がする。
すこしかぶりを振って、またお茶を淹れることにした。
「バイトくん」
「なんですか?」
「金蘭烏龍茶、まだ飲んだことなかったですよね」
「はい!初めて聞きました!」
「ではこれも勉強です。いまから淹れましょうか」
「わーい!おいしいお茶が飲める~!」
手放しで喜ぶ姿をほほえましく見守りつつ、茶器をもう一揃え準備しお互いに入れ合うことに。
たっぷりのお湯を沸かし、茶器の準備から茶葉の測量、お湯を注いで蒸らすまで。
まったく同じようにやっても、不思議なことに、淹れられたお茶の味は全然違う。
「あれえ?マスターとおんなじやり方なのに!わたしの方のお茶なんか渋くないですか?なんか雑味があるっていうか…」
「これも経験ですよ」
「むむむ…。リベンジ!リベンジを申し入れますぅ!」
「おやおや」
負けず嫌いに火をつけてしまいましたか。
まあ、この火は誰かを焦がすこともないでしょう。うまく成長につながるように導いてあげなくては。
ポットを洗って新しくお茶を淹れなおす。
ひと口。
「う~ん、さっきよりも味がばらついていますね」
「え~!なんで?!」
もう一回!もう一回!とムキになって挑みにくる姿を見ながら、まだまだ負けられないなと気を新たにする。
頂は高くあるべきだ、と。
「はいっ!泣きのもう一回!」
とはいえ、バイトくんには引き際も教えておいた方が良さそうですね。
キャンキャンはねる赤い髪を軽くあしらいながら、器に盛られていく茶殻を見てそう思った。
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