ep 信頼
「ずっと踏み出せなかった後悔の話を、聞いていただけますか」
そんな一言から、彼の物語は始まった。
◇
「どもども、お待たせしました~!点検終わったんで、ドア直しちゃいますね~」
「ええ、お願いします」
店の顔とも言える玄関扉の点検依頼からおよそ1週間ほどが過ぎ、ようやっといつもの扉が帰ってきた。
「色々診たんですけどやっぱちょい歪んでて、あとは経年劣化?塗装も若干気になるとこあったんで直してます~。鐘の方も調律と研磨しといたんで、ばっちしです~」
「さすがですね。丁寧かつ完璧なお仕事っぷり、感服です」
「ありがとうございます~」
「では、支払いの方はいつも通り…」
「そ~ですね~。あっち経由でもらえれば~。じゃ、どうもでした~」
「はい。ありがとうございました」
てきぱきとドアと扉の位相交換をして、修理屋さんが帰っていく。
表情も声色も動作さえ穏やかで口調ものんびりとしているのに、どうしてだか仕事が流れるように早い彼女には、これまでも椅子やテーブルなんかの点検を依頼したこともある。
当然ながらどれも完璧な仕上がりで、依頼した際に提示された期間ピッタリにこなしてくれる上に、代替品として用意されるものもお店の雰囲気を壊さないのでずっと贔屓にさせてもらっている。
今回のような急な依頼でも多少値は張れど、こうして仕上げて下さるのでとても頼れる存在だ。
「…うん。まったく違和感もありません」
からんからんと音を鳴らしながら何度か扉を開閉し、その動きと鐘の音をあらためて確認する。
あのガラスのドアも美しくて良かったですが、やはりまほろば異境喫茶店は木のドアでないと。
「おや?お客様でしょうか」
一旦外へ出て扉を含めた店の外観を再確認していると、視線を感じる。
後ろを向いて路地の方を見やると、少しくたびれたスーツの男性。
手に持っている紙袋やネクタイの色などから察するに、祝い事の帰りのよう。
「…あ。どうも、こんにちは…」
「ええ、こんにちは。なにやらお疲れのご様子ですねえ」
「あ、はは…。いやあ、ちょっと昨晩羽目を外しすぎたみたいで…」
こちらに気づいたのか、力なく笑いながら挨拶をされる。
手に持った紙袋が揺れてがさがさと音を立てる。
「…ふむ。よろしければ当店へ。見知らぬ他人にこそ吐き出せるものもあるでしょう。もちろん、ご希望とあれば買い取りもいたします」
「買い取り…?」
「ええ」
そっと身をずらしてお店の看板が良く見えるようにする。
「こちらは記憶の買い取り屋。まほろば異境喫茶店でございます」
◇
未知への驚きと少しの好奇心をもって、男性は店内に足を進めた。
そのままソファ席へと案内し、飲み物を用意するべくカウンターへ入る。
男性は喫茶店というある種の日常に触れたからか、はたまたどっしりとその身を支えてくれるソファの安心感からか、すこし表情を明るくした。
「不躾ではございますがお客様の装いから見るにどなたかのお祝い、それもご結婚のような格式ある催しにご参列されたのではありませんか?」
「…わかります?はは、そうですよね」
わかりやすく作られた笑顔で彼は言った。
そうして、ぽつりとさみしげな音を漏らす。
「ずっと踏み出せなかった後悔の話を、聞いていただけますか」
「ええ、もちろん」
そっと淹れたてのコーヒーをサーブして、彼の話に耳を傾ける。
それは誰かと誰かが結ばれる奇跡の脇にある、奇跡になれなかった芽吹かぬ種の話。
「俺には小学校時代からの付き合いの、いわゆる親友がいるんです。性別なんて関係なく、ずっと悪ガキ同士つるんでいました」
「気が合った、ということですねえ」
「はい。…そいつは小学生の頃に転校してきて、家が近かったし同い年でも小柄だったから兄みたいな気分で連れまわしてて。親も俺たちが仲がいいから次第に仲良くなって、ずっと家族ぐるみで付き合ってきました」
「なるほど。幼馴染のようなものですね」
「ええ。それで中学高校も地元の学校にほぼ繰り上がりみたいな感じで入ってバカやってたんです。でもまあ高校なんてもうお互いに性別の差も出てくるし、仲良くはしてるけど学校じゃそれぞれ同性の奴らとつるんでばっか。そのうちすこしずつ遊ぶことも減ってきました」
カップのふちをなぞるように指先で遊ぶ。
「そしたらある日急に号泣しながら俺の部屋に駆け込んできて。すごいびっくりして、普段から簡単に泣くような奴でもなかったし、事情を聞いたんですよ。そしたら…」
「そうしたら?」
「部活の先輩に告白されて断ったら逆上されたって…。一応、殴る蹴るみたいな暴力を受ける前に先生に見つかって相手はかなり怒られたそうでしたけど、でも、年上の体も大きな男から一方的に好意を押し付けられるのも腕をつかまれるのも、もう暴力じゃないですか」
「もちろん。たとえ性別や立場が異なろうと、相手の気持ちを無視するような言動は良くありません」
「そうですよね。俺も全然許せなくてそんな感じのことを言ったと思います。ただ、あいつは事を大きくして騒がれたり、その加害者の先輩や先輩の友人なんかからもっとひどいことをされないか怖がって…。結局、内々でおさめることになりました。まあ、あいつの親もめっちゃ怒ってて、謝罪と退部になりましたけど」
あまい対応、とも一概にはいいきれないでしょうか。
推察するに10年は前の出来事なのでしょうが、いまであればいろんな方向にさらされて、加害者被害者ともに大変な目にあったことは想像に難くないでしょう。
…それに、本人が受けた痛みや恐怖は、簡単になかったことになんてならない。
「あいつが泣いてるとこなんて、それも誰かに泣かされてんのなんて初めてだったから絶対許せないって思って。…俺が、あいつをまもらなきゃって」
「それは、やはり兄として?それとも友人として?それとも…」
「その頃はまだ兄のような友人のような、そんな気持ちだったと思います。…いや、もうその時には好きだったのかな。なんか、自分でもはっきりわからないんですけど」
というか、と一拍区切って、やっぱわかっちゃいましたか、と笑った。
力ない笑みに黙礼で返す。
「…そっからまたよく遊ぶようになって、大学も同じとこに行きました。お互いそんなにやりたいこともなかったし、適当に近場の緩そうなとこ入って。2年の夏かな、そこであいつ、好きな人が出来たって言って」
「ああ…」
「そこでも俺は自分の気持ちに気づかなくて、俺が見定めてやるとか言ってワーワーやって。でも、そいつも良いやつで、今度は3人でつるむようになったんです。バイトしたり飲みに言ったり遊びに行ったり。気づけば元々3人一緒だったんじゃないかってぐらい仲良くなってて」
「なるほど」
「俺はもうなんでそいつとそんな絡むようになったかも忘れてて。…大学卒業の何か月か前、急に2人に呼び出されたんです」
大事な話がある。
定番の文句だ。良くも悪くも。
「付き合うことになったって。2人ともめっちゃ笑顔で幸せそうで、俺も自分のことみたいに嬉しくてはしゃいで。…2人と別れた後、家でめちゃくちゃ泣きました。わけわかんないくらい泣いて頭ガンガンして、そこでやっと気づいたんです。俺はあいつが好きで、あいつの隣にいたかったんだって」
「…」
「でも2人のこと、応援したし、おめでとうって言ったし、結婚式には呼べよ!友人代表スピーチで泣かしてやる!なんて大見得きって…」
とうとう抑えきれなくなった粒が、ぱたぱたとテーブルに落ちて弾ける。
のどがぎゅっと締め付けられて、震えた音がこぼれる。
「そんでぇ、昨日、2人の結婚式だったんですよ。…はは、いくじなしでしょ」
高校の時も、大学の時も、とうとう2人が結婚すると決まったときも。
なにも言えなかった。自分の気持ちに気づけないまま。最後にはもう、2人との関係を壊すくらいなら何も言いたくなかった。
…あの日、震える体を一人抱きしめてうずくまった彼女の信頼を、裏切りたくなかった。欲なんて見せることはおろか、抱くことすら裏切りだと思った。いまでも、あの時告白してたらなんて思わない。男に無理矢理迫られた後にまた別の男から、それも安全だと思ってたやつからなんて、追い打ちもいいところだろう。
それは確かに、彼の彼女に対する、そして2人に対する信頼の証だった。
「そんなことはありません。あなたはかけがえのない唯一に対して紳士たろうと行動した。とても、素晴らしい方です」
「…。…、ありがとう、ございます」
彼は少し顔を伏せて、小さく笑った。
そうして数拍の間を置いて、そっと言った。
「記憶、とは違うかもしれないんですけど、もし、もし可能なら。…俺の恋心ってやつを買い取っていただくことは出来ないでしょうか」
彼の恋。幼いうちから今に至るまで、おそらくは彼の人格形成にも大きく影響しているであろう感情。その記憶。
たしかに、上手くやれば今の彼を損なうことなく恋を忘れられるだろう。
けれど、それは…。
葛藤するこちらの雰囲気を感じ取って、ふっと顔を上げた彼は晴れやかだった。
自暴自棄になっているわけでも、追い詰められているわけでもない。決意した顔だった。
「出来るんでしょう?…優しいですね。こんな俺の話をちゃんと聞いて、俺の心配までしてくれるんですか」
「それは、」
「大丈夫です!俺、こーんなにイイ男なんで!あいつらも嫉妬するような運命の相手にだって巡り合いますよ!」
「…」
ああ、やれやれ。
長年この仕事を続けていて、バイトくんにすら言われたことがあります。どうにものめりこみすぎる、線引きが出来ていない、と。…まあ、実際は少し違うのですが。わざわざ言う必要もないでしょう。
「そうですね。ええ」
「…っし!おねがいします!」
バッと居住まいを正した彼に、いつも通りに本を渡す。
彼のゆく道に、どうか幸多からんことを。
『Anoixis』
◇
「じゃああらためて、結婚おめでとう!マジでうれしい!」
かんぱーい、とグラスを合わせた。
式も終え、ようやく落ち着いただろう時期に新婚夫婦から誘われた久しぶりの飲み会。ああ、なんだか寂しいような晴れやかなような、不思議な気持ちだ。
なみなみと注がれたビールをぐっと飲み干す。
「あはは!式でも散々聞いたけどね!ありがと~」
「うん、翔太に祝ってもらえるのが一番うれしいよ。僕も理子も」
「ま、理子と正樹が付き合ったって報告くれた時からこうなるとおもってたけどな!」
陽気に笑い飛ばしながら、から揚げをつまみ、酒を飲む。
「ん、ここのから揚げうま!」
2人とも食べてみろよ、と笑うと早速2本の箸が伸びてきてお皿からから揚げをさらう。
「あ、美味しい!」
「たしかに。うん、じゅわっと肉汁があふれてきて、美味しい」
「でた!正樹の食レポ!」
「あっはは。いつもいい食レポするもんね!」
3人の弾けるような笑い声と談笑の声はそのあと数時間に及び、店を出る頃にはすっかり出来上がってしまっていた。
「あ~、じゃあ、今日はこの辺で~」
「ありがとお~」
「お~。またいつでも誘えよ~」
楽しく酔って解散の流れ。そこへ、思い出したかのように待ったが入る。
「あ、そういえばさ」
「ん~?」
「僕のイトコが翔太の事気にしてて。良かったら連絡先教えてもいい?」
「…へ?」
誠実な男の元へは運が巡るものなのか。
呆けたような声が上がった。
◇
事の顛末は、だれもが望むハッピーエンド。大団円と言っていいでしょう。
秘めたる想いを忘れられたからか、はたまた自らの意思でけりをつけられたからか。
ある星のある男は親友との結婚式の際に新郎側の親族に見初められ、新郎の紹介である女性と交遊をはじめ、とんとん拍子に交際、結婚と進み、幸せな家庭を築いたとか。
親友3人組はいつしか2つの家族ぐるみに拡大し、いつまでも仲良く過ごしたという。
「めでたしめでたし、です」
ちゃり、と手元のネックレスがこすれ合って音を立てる。
可愛らしいデザインの小さな笛は、いつかどこかで大切な人を守るために用意された声。何かあったら吹いて欲しい、その音を頼りに必ず助けに行くから。と。
金色の笛に込められた熱く重い恋心の味。それはどれほど甘美で、刺激的なのでしょう。
ふふ、と小さく笑ってカウンターを撫でた。
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