第二章





 アルバートは貧民街と一般街の狭間に建てられた煤けたアパートの一室に寝起きする新聞記者である。

家族は無く、酒と古新聞だけが彼の話し相手であった。


幾月も物価の上昇は歩を止めず、街には灰色の空気が漂っていた。

その陰で一番に必要とされなくなるのは、いつだって新聞と芸術である。

情報を求めず、明日の食卓を選択する人間が初めに腐るのだと、アルバートは自分に言い聞かせ、こちらに目もくれない通行人に新聞を半ば押し付けるように売り、日銭を稼いだ。

何度も転職という言葉が頭をよぎったが、不安定な経済状況に雇用も慎重さを極めており、そのうえ失業者が溢れる街でそう簡単に働き口は見つからない。


アルバートは工場勤務の面接を受けに行った。

金と暇を持て余した富裕層の人間が一般街に武器工場を作ったのだった。

雇用形態は安定していて、飯付き寮付きが魅力的だったが、兎にも角にも賃金が低すぎる。

安定した収入と生活を得られるという点さえ無視すれば、アルバートは迷わず新聞記者を続けるだろう。

貧民が舐められている事は明らかだったが、卑しい富裕層の思惑通り、失業者たちは藁にもすがる思いでその工場に雪崩れ込んだのだった。

アルバートはその大柄な体躯が功を奏し、余りにも容易に採用を言い渡されたが、彼の心に吹き付けるのは安堵ではなく、諦念に似た不穏な風であった。


帰り道、一般街を歩いていたアルバートは、その視界に収まらぬほどの人間の大群を目にした。

不況の陰に沈むこの街では滅多に見ない光景に、アルバートは思わず歩みを止めた。

周りの人間の噂話に耳を傾ける限り、貧民街の人間がデモを起こしているらしい。

彼らの主張は、街に轟き、地面を揺るがす程の激しさで叫ばれていた。


” 賃金を上げろ ”

” 物価を下げろ ”

” 我らに自由を ”


生活に困窮しているのは貧民街の人間だけではない。

一般街の人間をも巻き込みながら、そのデモ行進は富裕層の住む上級街へと向かった。

アルバートは流されやすい性格であった。

群衆の肩に押し潰されるがままに行進に加わり、自由を求め叫んだ。

アルバートは自分が何に抗っているのか分からぬまま、今日とは違う明日を求めていた。


 何気なく参加したデモ活動から早半年が経過した。

結局、アルバートは工場勤務を辞し、時々デモに加わっては新聞記者を続けていた。

しかし、ただの新聞記者ではなかった。

アルバートは政府の検閲を避けて、隠された数字を暴き、抑制された声を拾う、所謂いわゆる地下新聞記者となっていた。


波風を立てず、独り静かに生きてきたアルバートにとって、新たな仕事は新鮮で興味深く、彼の生活は不可思議なほど生きがいに生きがいに満ち始めていた。


その日もアルバートは革命軍の仲間と共に仕入れてきた情報をありのままに新聞にしたためていた。

政府が公表しているこの国の餓死者数が、実際の数より半数以上低く謳われており、政府が国の影の部分を隠蔽している事が判明したのだった。


闇市で出回る新聞は政府の検閲を受けていないため、限られた数しか刷る事が出来ず、その分高値で取引される。

故にアルバートは、酒とそのツマミを用意するのに苦労することはなくなり、一般街の中心地に越せるほどまでの余裕までもを得る事となった。

しかしアルバートがそうしないのは何故か。


アルバートは己の正義を誇りに思っていた。

金も、家族も、友人もなかった頃は、弱者の味方に立つ事、正義の心を持って悪に立ち向かう事がこれ程良いものだと知る由もなかった。

書き上げた新聞に【真実】の見出しをつける瞬間や、革命軍が暴露した政府の悪行の影響で、一般街の企業が政府と敵対し革命軍こちら側に付いた時、確かにアルバートの正義の心は満たされ、彼は軍の中での地位を上げる。


しかし彼は、気付かぬうちに、けれども確実に背後に迫るに毎日怯えていた。

それは、革命軍を潰す為の政府からの刺客でも、乱闘中に警官に撃ち殺される事でもない。

アルバートは誇りであったはずの己の正義を恐れ、合わせ鏡を見つめ続けるような葛藤を続けていた。

自分を信じることすら出来ず、果てしない疑心暗鬼に陥っているのだ。

自分は弱者の声を代弁しているのではなく、弱者を騙って己の道義を正当化しているだけなのだと、彼はいつしか悟ったのだった。


連日の乱闘は、容赦無く革命軍の命を着実に削り奪っていく。

しかし列は乱れず、軍は自由の二文字を求めて政府に牙を剥き続けている。

そんな仲間を誇りに思うのに並行して、アルバートの仕事への余念は減っていった。

心の底から革新を求める仲間を、今更裏切るような真似は出来ない。

アルバートが地下新聞を作り始め、革命軍の一員となってから既に一年が経過していた。


 革命は着実に街の血肉に染み込んでいた。

一般街の住民の多く、高級街に住む人間でさえもが革命軍に密かに肩入れする、あれは入道雲の影がのっそりと街を歩き始めた季節の事だった。

何の警告も無しに国警が軍の基地に突入して来たのだ。

幾ら体躯が良かろうと、拳銃を向けられてしまっては敵わず、アルバートは逮捕された。捉える価値も無い、と目の前で撃ち殺された軍の雑兵たちの断末魔が、彼の脳裏から消える事はなかった。


情報参謀のアルバートだけでなく、軍の隊長と副隊長、作戦参謀の計四名の身柄が拘束され、彼らは裁判を行うでもなく秘密裏に刑務所へ入れられた。

だが、生きて街へ戻ったのはアルバートただ一人だった。

四名の内、アルバートだけが革命軍の情報を吐き、処刑から逃れたのだ。

他の三名は、軍の為、革命の為、己が信条の為に口を閉ざし、自ら死を選んだというのに。


季節は移ろい、雪が降りしきる寒期がやってきた。

凍てつく冷気を纏った風が皮膚を裂く季節に、アルバートはその身を釈放された。

彼はそこで初めて、三人の長が命を賭して軍を守った事と、自分がその三人の命を無駄にした事を知った。

アルバートは、長時間に及ぶ暴行と尋問、拷問に耐えきれず、革命軍のメンバーの名前、次のデモの作戦、最終的な革命成功までのプロパガンダまでもを吐き、自身が手に入れていた政府の弱みさえ全て奪われていた。

彼は生まれてこのかた味わった事の無いほどの絶望を浴びせられ、声にならない後悔を叫び、数日は碌に身動きを取る事が出来なかった。

四人の長を失い、首をへし折られた革命軍が半年経ち、どうなってしまったのか。

アルバートにはそれを知る勇気も、また、自分だけが生き延びた事を軍の残党兵に知らせる勇気も無く、なけなしの金で口を湿らせ、貧民街の端で冬が過ぎ去るのを耐え忍んだ。


罪の重みに押し潰され、己の意志の弱さを呪ったアルバートは、やがて死場所を探し、街を彷徨い始めた。

駅前での乱闘によって折れた街灯、雨風に晒されて文字が読めないほど風化している電柱の張り紙、そして、自分が初めてデモ行進に参加した石畳の道。

街中に、自分たちの闘った跡が、革命軍が生きた跡が残っていた。

それを見つめるアルバートの肩はかすかに震えていた。

仲間の命を、血に濡れた過去にしてはならない。

アルバートは歴史を記し、記憶を刻み、己の罪を償うために筆を取った。


 アルバートは未だ、貧民街と一般街の狭間に独り静かに暮らしている。

革命家として軍に所属していた実体験、革命軍の生い立ちやそこでの仕事内容、抗争の最中に彼が警官をその手にかけた話。

アルバートの著書、「革命記」は初版こそ闇市を出回っていたものの、五年、十年の時を経るにつれ街へと広まった。

これは十数年前、革命軍が街に蒔いた、革命の種が育った結果であった。

政府の重鎮が世代交代し、やがて民主主義の芽が生まれ、軍の革命は静かに成功を迎えたのだ。

三人の長が命尽きた時、革命失敗の噂が回り、街には再度灰色の空気が漂っていた。

しかしアルバートは己の無様な失態で信念を、革命を、自由を、無辜むこの民から奪うわけにはいかなかった。

仲間たちと闘ったこの街で、アルバートは独り、罪を償った。


 学生が一冊の本を手に、政治について学び、語り、論じている。

政治それはもはや、命懸けの遊戯ではなかった。

革命は多くの命を奪った。

けれども革命は未来永劫多くの幸福を創り上げる。

全ての革命家が望んだ世界がそこには在った。


歴史を作り、歴史を遺した彼を知る者は存在しない。

なぜなら本の著者名の欄は埋められていないから。

それが彼に残された唯一の正義であった。





_________






「ふむ。君にしては妙にぬるい話だね。…これ、誰の話?」


いつものバーで、彼女は私の書き下ろした原稿に目を通し、訝しげに首を傾げた。


「なに。ただのフィクションさ。」


私は視線を手中のワイングラスに落とし、軽薄な笑みを浮かべて言った。

私なりの、精一杯の強がりは、彼女の目には通用しない事は判っていた。

しかし、虚勢を張っていなければ、私とて立っていられないのだ。


「…生きてさえいれば良かったんだ。」


き止めきれずに小さく溢れた私の言葉は、彼女の耳には届かなかった。







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革命論 女子高生 @hanakappa2525

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