第35話 日常への帰還

 朝の光が差し込む宿屋の一室で、クロティルデはニーナの胸に包まれて眠っていた。ニーナも顔を綺麗に洗い落とされ、旅装に身を包んで安らかな顔で眠っている。そんな静かな部屋にノックの音が響く。


「レンツだ、入るぞ」


 扉が開き、レンツが静かに入室した。まだ寝入っているクロティルデたちを見て、レンツが苦笑を浮かべてつぶやく。


「おやおや、仲がよろしいことで」


 静かな足音をさせながらレンツがニーナに近寄り、その右瞼をそっと開いた。まだ眠っているニーナの瞳は、澄んだ緋色の瞳をしている。それを確認したレンツはニーナから手を離すと、窓辺に歩いて行き、ポーチから紙片を取り出した。なにかを書き記したあと、レンツがつぶやく。


「――≪伝令ラタトスク≫」


 手のひらに白い鳥が現れ、その足についた書簡に紙片を詰め込んでいく。レンツが窓を開けると、白い鳥は青空へ向けて羽ばたいていった。


 青い空で小さくなる鳥を見上げながら、レンツが告げる。


「クロティルデ、頼むから銃口を向けるのはやめてくれないか」


「あら、気付いていたの? でもその前に、なにを書いたのか教えてもらおうかしら」


 レンツが窓を閉めてベッドに振り返る。


「お前らが無事だということを、手紙に記しただけだ。もういいだろ? そろそろ銃をしまってくれ」


 目をつぶっていたクロティルデが布団の中でごそごそと音を立てる。それでも起きてこないクロティルデを見て、レンツが小首を傾げた。


「なんで起きてこないんだ?」


「ニーナが離してくれないのよ。これじゃあ動きたくても動けないわ」


 レンツが楽しげに笑みを浮かべた。


「そうか? お前ならニーナの腕を振り払うくらい、簡単なことだろう?」


「あなたには関係のないことではなくて?」


 クロティルデが目を開き、レンツを睨みつけた。


「どこに手紙を送ったのか、聞いてもよろしいかしら」


「お前には関係のないことさ」


 ニヤニヤと笑うレンツを見て、クロティルデが力なくため息をついた。


「ニーナは無事なの?」


「今のところ、変化の兆しはない。ウーゼ子爵は実験を繰り返したみたいだが、致命的な結果は引き起こしていないようだな。これなら心配はいらないだろう」


 つかつかとベッドを横切り、レンツがソファに腰を下ろした。クロティルデが不満げな顔で告げる。


「ちょっと。淑女が寝てる部屋に居座らないでくださる?」


「そろそろ腹が減った。ニーナが起きたら飯でも食いに行こう」


 クロティルデがため息をついて答える。


「話を聞いてないのかしら、この男は」


「聞いてるぞ? お前も腹が減ってるんだろう? 腹の虫がさっきから鳴ってる」


 顔を赤くしたクロティルデが大声で答える。


「乙女の腹の虫を聞き取らないでくださらない?!」


 その叫び声を聞いて、ニーナが目を覚ました。


「ん……ティルデ、なにを騒いでるの?」


「ああニーナ、なんでもないわ。あなたはゆっくり寝ておきなさい」


「でも、お腹が空いたわ。食事に行かない?」


 クロティルデが笑顔でニーナの頰に手を当てる。


「いいわね、行きましょう?」


 起き上がったクロティルデがニーナを引き起こし、二人でお互いの髪を整え合ってから、ベッドを降りる。そのまま部屋を出て行く二人の姿を見やりながら、レンツがつぶやく。


「……俺のこと、忘れてないか?」


 立ち上がったレンツも、クロティルデたちを追いかけるように部屋を出て行った。





****


 ニーナは朝食の黒パンにたっぷりのバターを塗りたくり、スープに浸して口にしていく。


「美味しい! やっぱりちゃんとした食事は美味しいわね!」


 ニコニコと朝食を口にしていくニーナを見ながら、クロティルデもちぎったパンを口にしていく。レンツは朝から豚肉の燻製焼きを注文し、それをモリモリと口にしていった。ニーナがふと手を止めてレンツに尋ねる。


「ウーゼ子爵は、結局なんだったの? 自分のことは『緋色の賢者ミーミル』だって言ってた気がするんだけど」


 レンツが苦笑を浮かべながら肉にかぶり付いた。


「俺は知らん。『天空の大鎌アドラー・フリューゲル』が通用したんだから、『悪竜ニド・ヘグ』なんだろ?」


 クロティルデはスープを口にしながらレンツを睨みつけた。


「そもそも、『嵐の魔眼ストルム』とはなんなのかしら。なぜウーゼ子爵は暴走しなかったの?」


 レンツが肩をすくめて答える。


「俺に聞かれてもなー。もっと偉い人に聞いてくれよ」


「偉い人とは、誰かしら?」


「そりゃま、クヴェルバウムの王様なら、いくらでも知ってるだろうさ。教えてくれるかは別だがな」


 レンツを睨みつけるクロティルデと、それを笑顔で受け流すレンツを見て、ニーナが慌てて告げる。


「――ねぇ! 私たち、このあとどうするの?!」


 クロティルデが優しい笑みになり、ニーナに答える。


「まずはブルートフルスに戻るわ。旅費と装備を補充しないと、消耗しすぎているし。そのあとはこの国の王都にでも行って、国王に事情を話すことになるわね。カルターシュネー伯爵領に姿を見せておいて、国王に謁見しないわけにも行かないし。そのあとは……東にでも向かいましょうか」


「東って、なにがあるの?」


「このアイゼンバッハ王国と戦争をしていたヴァルガルド王国があるわ。この国からだと情報が得られないから、直接現地で『悪竜ニド・ヘグ』を探しましょう」


 ニーナが眉をひそめてクロティルデに答える。


「えー、私も『悪竜ニド・ヘグ』を『救済』する手助けをするの?」


「あら、あなたは私の抱き枕だもの。私の寝具として共に旅をするのは、当然じゃない?」


 クスクスと笑みを浮かべるクロティルデとニーナに、レンツが告げる。


「奇遇だなぁ。俺も東に用がある。それなら途中まで一緒に行ってやろう」


 クロティルデがぶっきらぼうに答える。


「いらないわ。男なんて旅の共には不要よ」


 ニーナが困り顔で告げる。


「でも、レンツさんがいると頼もしいのは確かだよ?」


 レンツがにこやかにテーブルに肘をついて告げる。


「そうそう、俺は役に立つぞぉ~? なぁに、途中までの話だ。そこでお前らとは別れるさ」


 クロティルデがため息をついて答える。


「だといいけど……。なんだかんだでついて回るのでしょう?」


「おっ! よくわかってるな!」


 クロティルデが肩を落とすと、ニーナがその方に手を置いて告げる。


「ほらほら、ご飯は美味しく食べないと! いつ出発するの?」


「ん……食事をしたら出発しましょうか。辻馬車を見つけられるといいんだけど」


 レンツは肉を平らげて答える。


「別に歩いても四日か五日だ。変わらんだろう」


「ニーナを歩かせたくないのよ!」


「私は別に、ティルデと歩くのは構わないけどなぁ」


 三人は緊張感の抜けた空気の中で、朝食を済ませていった。





****


 ブルートフルスの退魔協会アドラーズ・ヴァハト支部に戻ったクロティルデは、ニーナと通信室にいた。右腕の腕輪を掲げ、クロティルデが告げる。


「≪緊急通信ホットライン≫! お父様、聞こえてらっしゃる?」


 わずかな沈黙のあと、腕輪から声が返ってくる。


『どうしたクロティルデ、こんな時間に』


「実は、ウーゼ子爵という男が『緋色の賢者ミーミル』を自称しておりました。なにかご存じありませんか」


『さて……私に言えることはなにもないな。もし今後、似たような相手がいたら、近づかずに報告をするように。そのウーゼ子爵は、”救済”したのかな?』


「いえ、魔導銃カラミテートで駆逐しました。不都合がありましたか?」


魔導銃カラミテートで? ……まぁいい。滅ぼせたのなら、問題はない。だが決して無理をするんじゃない。今のお前では、相手をすることは不可能だ』


「はい、わかりました。――≪霊脈切断シュリーセン・カナル≫!」


 静まりかえった通信室で、ニーナが不安げに尋ねる。


「ねぇティルデ。どういうことだったの?」


 クロティルデは思案しながら答える。


「お父様にはお考えがある、ということでしょうね。ニーナの力は、まだ黙っておいた方がよさそう。あなたが撃ったあの魔導弾はなんだったのかしら」


 ニーナが小首を傾げて答える。


「レンツさんが出してきた魔導弾だから、レンツさんに聞いてみればいいんじゃない?」


「あの男が正直に話すと思う?」


「……だよねぇ」


 二人は小さく息をつくと、通信室をあとにした。





****


 支部のエントランスで、エスケン支部長がクロティルデたちを見送りに来ていた。


「世話になったな。また『嵐の魔眼ストルム』の噂があったら、あんたに教えるよ」


 クロティルデが優美な笑みで答える。


「あら、その時は近くにいる退魔師バンヴィルカーに連絡してくださらない?」


「こんな辺境に来てくれる退魔師バンヴィルカーなんて、そうそういねぇさ!」


 楽しげに笑い声を上げるエスケンに見送られ、クロティルデとニーナが身を翻した。二人は支部の入口を潜り、外に出る。表ではレンツが旅の支度を終えて待っていた。


「遅いぞ、二人とも」


「別に待っていなくてもよかったのよ?」


「そう言うなよ。旅は道連れ世は情けって言うだろ?」


 レンツを無視するようにクロティルデがニーナの肩を抱いて歩き出す。レンツはその三歩後ろを保つように歩き出した。


 ニーナが背後に目を向けてクロティルデに尋ねる。


「ねぇ、本当についてくるつもりかな」


「ついてくるでしょうね。彼にも目的があるみたいだし。せいぜい邪魔をされないよう祈っておくことね。私とニーナの生活を邪魔するようなら、力尽くで排除してやるわ」


「ティルデ、それは過激すぎない?」


 背後で耳をそばだてていたレンツが、静かに苦笑を浮かべた。


「おー怖い。せいぜい神経を逆撫でないようにしておくかね」


 朝日を浴びる二人と一人は、ブルートフルスの町を出ると、王都に向かって歩き出した。


 ニーナがクロティルデに尋ねる。


「もし私が『悪竜ニド・ヘグ』になってしまったら、ティルデは私を『救済』してくれるの?」


 クロティルデはニーナの肩を抱き、微笑みながら答える。


「そんなことは起こらないわ。仮に起こったとしても――あなたと一緒に、私の命を絶ってあげる。聖神様なんかに、あなたの魂はあげられないわね」


「まぁ、それじゃあまるで結婚式みたいね! 『死しても共にあらんことを』って!」


「あら、そう聞こえたかしら。きっとなにかの間違いじゃなくて?」


 少女たちはクスクスと笑い合いながら、街道を歩いて行った。

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最強王女退魔師なのに、半魔だけ斬れない みつまめ つぼみ @mitsumame_tsubomi

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