第33話 絶望と希望の狭間

 ニーナが目を覚ますと、地下牢の一室に閉じ込められていた。手足の拘束はほどかれているが、扉は固く閉められている。右目に血の涙の跡を残したニーナが石造りの部屋を見回すと、テーブルの上にはパンが二つとコップに入った水が置いてあった。ふらつく体で立ち上がったニーナが、覚束おぼつかない足取りで机まで辿り着き、水を口にする。


「――はぁ。美味しい」


 力の入らない手でパンを掴み、それに齧り付く。


「……パンも美味しい。私、生きてるのかな」


 ウーゼ子爵により連日、気絶するまで拷問のような実験を受け、気絶すればこうして地下牢に入れられていた。昼夜の感覚はすでにない。パンを食べ終わったニーナは、粗末なベッドの上で丸くなり、膝を抱えた。


 ――ティルデ、私どうしたらいいの?


 手がホルスターに自然と伸びるが、そこに汎用魔導銃クライネ・カラミテートはない。それでもホルスターがクロティルデとの繋がりを感じさせ、ニーナは空のホルスターを眠るまで撫でていた。





****


 地下牢の中で恐怖と戦うニーナの耳に、靴が石畳を叩く音が聞こえてくる。恐怖ですくむ体を両腕で抱きしめていると、ニーナの目にウーゼ子爵の姿が現れた。


「起きていたかね? 実験の続きだ。早く来たまえ」


 黒服の兵士二人が牢屋の扉を開け、中に入ってきてニーナを拘束した。両脇を押さえられながら、ニーナが声を上げる。


「何が目的なの?! 早く私を帰して!」


「目的かね? 君に理解できるとも思えんが」


 歩き出すウーゼ子爵の後ろを、兵士に拘束されたニーナが続いて歩いて行く。石畳に足音を響かせながら、ウーゼ子爵が告げる。


「君は『嵐の魔眼ストルム』がなぜ生まれるか、知っているかな?」


 ニーナが黙り込んでいると、ウーゼ子爵が続ける。


「この世界には『世界樹』という存在がある。そこに接続できた人間は、強大な力を得ると言われている」


 ニーナが恐怖を紛らわすようにウーゼ子爵を睨みつけた。


「それが私と、何の関係があるんですか」


「かつて、『緋色の賢者ミーミル』と呼ばれる者たちがいた。彼らは世界樹の力を使い、この世界に大きな影響力を持っていた――その『嵐の魔眼ストルム』はね、世界樹への鍵なのさ」


 扉の前で足を止めたウーゼ子爵が、ニーナに振り返って告げる。


「そして君が持つ『黄昏の聖眼ツヴィーリヒト』は、さらに特別な鍵なんだ」


 ウーゼ子爵が扉を開け放つと、大きな部屋が広がっていた。その奥には拘束台がある。怯えたニーナが叫ぶ。


「そんなの、私には関係ないわ! なぜこんな酷いことをするの?!」


「私はね、その『黄昏の聖眼ツヴィーリヒト』が欲しいのさ」


 部屋に入るウーゼ子爵の後ろを、兵士に引きずられるようにしてニーナが続く。兵士たちによって、暴れるニーナが拘束台に縛り付けられていった。


「もうやめて! 私に何をしてるの?!」


 ウーゼ子爵は拘束台に縛り付けられたニーナを見下ろし、愉悦の笑みを浮かべながら答える。


「君が『悪竜ニド・ヘグ』になる条件が分かれば、私が『黄昏の聖眼ツヴィーリヒト』を得るヒントになり得る。それを今は調べているところだ」


 兵士たちが部屋から去り、二人きりにされたニーナが怯えて震えだした。ニーナの頭部を拘束台に固定したウーゼ子爵が、ゆっくりと彼女の右目に手をかざす。


 そして、その日もニーナの絶叫が部屋に木霊こだましていった。





****


 城下町の宿屋で朝を迎えたクロティルデは、ゆっくりとニーナの残り香があるベッドから体を起こした。もうそれはか細く消えかかっているが、今のクロティルデとニーナを繋ぐ唯一のものだった。扉をノックする音が聞こえ、続いてレンツの声が聞こえてくる。


「起きてるかー? 飯に行くぞー」


 ゆっくりとベッドから起き上がったクロティルデが、髪を整えながらドアを開けた。


「起きてるわ。それで、今日こそニーナを救い出しにいくんでしょうね?」


 笑顔のレンツが右手でサムズアップをしながら答える。


「おぅ! 飯を食ったら出発だ! 半日ほど歩くから、しっかり食っておけ」


 頷いたクロティルデが部屋を出て、一階の食堂を目指す。その後ろを歩くレンツが、クロティルデに尋ねる。


「少しは眠れたか?」


「睡眠薬で無理やり寝たわ。心配は不要よ」


 食堂に到着したクロティルデがテーブルに着くと、レンツがカウンターの中にいる宿の主人に注文を出した。クロティルデに向き直ったレンツが、クロティルデに告げる。


「あちらの戦力は少なくとも二百人規模だと思う。勝算はあるか?」


「全てを相手にする必要はないわ。ニーナまで最短距離を進んで、ウーゼ子爵を潰す。残った兵士が反抗してくる可能性は、それほど高くないわね。それでも噛みついてくるようなら、その兵士たちも叩きつぶすだけよ」


 レンツが満足げに頷いた。


「おしっ! ちゃんと判断できてるな! これならなんとかなるだろう」


 クロティルデがじろりとレンツを睨みつけた。


「何よ? 私を疑っていたの?」


「少なくとも、昨日までのお前なら『全員叩きつぶす』と言ってたと思うぞ?」


 顔を背けたクロティルデの前に、宿の主人が朝食を運んできて給仕をしていく。給仕が終わった宿の主人が去ると、クロティルデがレンツに尋ねる。


「それで、レンツは朝からどこに行ってたわけ?」


「ちょっと野暮用で出かけていた――さぁ、飯だ飯だ!」


 パンを頬張り、スープを口にしていくレンツを見ながら、クロティルデはため息をついてパンを手に取った。





****


 ニーナの絶叫が響き渡る部屋で、不意にその声が途絶える。その様子を見ていたウーゼ子爵が、懐から手のひらサイズの筒を取り出した。その筒をニーナの首に押し当てると、ニーナの体が弾けるように反らされ、ニーナが目を見開いて荒い呼吸を繰り返した。


「今日はまだいけそうだね。さぁ、続きだ」


 右目から血の涙を流すニーナが叫ぶ。


「――待って! こんなことをして、なんになるというの?! これであなたが私と同じ目になると思ってるの?! あなたは『悪竜ニド・ヘグ』なのでしょう?!」


「『悪竜ニド・ヘグ』、か。それは少し違うね」


 ニヤリと笑みを浮かべたウーゼ子爵が、わずかに夜天防殻ノット・ヴィズィオーンを下げてニーナに瞳を見せた。その毒々しい程の緋色をした両目で、ウーゼ子爵がニーナを見つめた。


「私は新しい『緋色の賢者ミーミル』だよ。かつての『緋色の賢者ミーミル』とも違う、新種族さ。『悪竜ニド・ヘグ』のような欠陥品と同じにしてほしくはないね」


 ウーゼ子爵の瞳が赤く輝き、右手が魔力光に包まれていく。ニーナが絶望する中、部屋には再び彼女の絶叫が響き渡った。





****


 城下町を出発したクロティルデとレンツは、徒歩で街道を歩いていた。曇り空の下で、クロティルデが尋ねる。


「レンツはなぜ、そこまでしてくれるの?」


「言っただろう? 『助けられる奴は助ける』。自分の信条に従ってるだけだ」


 クロティルデが小さく息をつき、レンツを睨みつける。


「その知識は、本当は誰から教わったの?」


「それも言っただろう? 昔、一緒に旅をした退魔師バンヴィルカーからさ」


「その言葉に嘘はない?」


「あるぞ? それがどうした?」


 飄々ひょうひょうと笑顔で答えるレンツを、クロティルデは呆れたように見つめた。


「……少しは『隠す』ということを知らないのかしら」


「最初から疑ってる奴に、隠しても仕方ないだろう?」


 脱力したクロティルデが、肩を落として告げる。


「じゃあ、あなたはニーナの敵? 味方?」


「味方のつもりだが、違って見えたなら撃ってもいいぞ?」


「どうせ私の銃弾をかわすのでしょう?」


「お、よく分かってるな! さすがクロティルデだ!」


 二人は人影のない街道を、足早に歩き続けた。





****


 途中で街道を外れたレンツが、クロティルデを森の中へ案内していく。狭い道が続く森を、レンツは迷わず進んでいった。クロティルデは周囲に視線を走らせながらレンツに尋ねる。


「ここはなに?」


「かつての砦跡だそうだ。今は放棄されていて、使われていない。おそらくカルターシュネー伯爵がウーゼ子爵に貸し与えてるんだろう」


 クロティルデが地面を見ると、わずかに馬車が通った痕跡があった。レンツはその痕跡を辿るように道を歩いて行く。


「じゃあ、この道の先に砦があるの?」


「ああ、小さな砦だが、壊れてはいない。森の中にあるから、外からじゃ分からんがな」


「そんなもの、どうやって探したのよ?」


「連中を追跡したら、炭焼き小屋を見つけてな。おそらく砦からの脱出経路だろう。似たような場所が三点、周囲に点在している。地下通路で繋がってるだろうから、取り逃がすと追うのは苦しいぞ?」


 クロティルデが獰猛な笑みで答える。


「逃がす? そんなことを許すわけがないでしょう?」


「だといいがね――と、そろそろだ。声を落とせ」


 レンツが道を逸れて森の中に入り、小道に沿うように歩いて行く。間もなく小さな砦が視界に入ってきて、クロティルデが殺気立った。


「あそこにニーナがいるのね?」


「おそらくな。だが砦の大きさからすると、敵の戦力は二百人以上。地下施設が充実してれば、さらに多いかもしれん。どうやって潜り込む?」


「『潜り込む』? 何を言ってるのかしら」


 ニヤリと鬼気迫る笑みを浮かべたクロティルデが、懐から魔導銃カラミテートを抜き放ち、魔導弾の弾倉をはめ込んだ。そのまま砦に向かって駈け出したクロティルデを、レンツが慌てて追いかける。


「おい! まさか正面突破か?!」


「グズグズしている暇はないわ! 今日は退魔師バンヴィルカーの恐ろしさ、奴らに思い知らせてあげる!」


 砦を守るように五人の兵士たちが立っているのが、クロティルデの視界に入ってくる。黒服を着込んだ彼らに、クロティルデが銃口を向けた。渇いた破裂音が鳴り響くと同時に、巨大な雷撃が放たれて兵士たちを直撃していく。雷撃で痺れた兵士たちが驚いている間に、魔導弾の弾倉を引き抜いたクロティルデが五発の銃撃を見舞っていった。頭部を失い、それでも雷撃で倒れずに痙攣する兵士たちを遠目で見て、レンツが呆れたように告げる。


「まさか、ここで三十二番を使うとはなぁ。外したらどうするつもりだった?」


「外す? 私が? この局面で? 面白い冗談ね」


「へいへい、俺が間違っておりました――先に行く。援護してくれ」


 雷撃が収まり、倒れ込む兵士たちの死体のそばを通り抜けたあと、レンツが砦の脇門へ手をかけ、一気に中へ走り込んでいく。ロングソードを抜き放って手近な兵士たちを切り捨てるレンツの背後で、クロティルデは冷徹に残った兵士たちに銃口を向けた。





****


 実験を続けるウーゼ子爵がいる部屋に、一人の兵士が駆け込んでくる。


「閣下! 敵襲です! 退魔師バンヴィルカーと思われる女が一人、剣士が一人ですが、対応に苦慮しています! ご指示を!」


 ウーゼ子爵が実験の手を止め、入ってきた兵士に目を向ける。


退魔師バンヴィルカーか。となるとこの少女を救い出しに来たのかな? ならば『丁重におもてなしをしろ』。狭い通路で退魔師バンヴィルカー魔導銃カラミテートには勝てん。お前たちは直接相手をせず、搦め手を取れ」


「はっ!」


 敬礼をして去って行く兵士を見送ったウーゼ子爵が、楽しげにニーナに告げる。


「彼女は君を助けたいそうだ。ここに辿り着くまで、君の正気が持つと良いね」


 ウーゼ子爵がかざす右手を、絶望しながら見つめたニーナが固く目を閉じた。


 ――ティルデ! 助けて!


 そして、ウーゼ子爵の手が赤い魔力光を放った。

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