第30話 通行証
男性従者がクロティルデたちの前を塞ぐように立ちはだかった。
「さぁ、お帰りください」
クロティルデはにこりと微笑んで答える。
「そういう訳にもいかないの。私はこの夜会に用があるのだもの。私たちの服装は、そんなにドレスコードに届いてないのかしら」
男性従者が眉をひそめてクロティルデたちを頭から靴まで舐めるように見て答える。
「どう見ても季節外れの安物ですね。下位貴族の夜会なら通用するかもしれませんが、ここはカルターシュネー伯爵領を預かる旦那様の夜会です。旦那様のお知り合いでもなければ、通すわけには参りません」
クロティルデが右手の甲を男性従者に広げて見せて告げる。
「あなたの目は節穴みたいね。これを見てもそう言えるなんて」
男性従者がクロティルデの手の甲――いや、その小指にだけ嵌まっている指輪に視線を集めた。眉をひそめて顔を近づけていった男性従者が、目を見開いて飛び退いた。
「――それは、聖王紋?! 馬鹿な! クヴェルバウムの王族が入国した話など、聞いていないぞ?!」
クロティルデが微笑みながら答える。
「言ってはいないもの。お忍び、という奴ね――では自己紹介させてもらうわ。クヴェルバウム第一王女、クロティルデ・マリア・フォン・クヴェルバウムよ。あなたに聞きたいのだけれど、この夜会はクヴェルバウムの王女を追い返すほど格式の高い夜会なのかしら。だとすれば、お父様にご相談することになるのだけれど」
青ざめた男性従者が、固唾を飲んでから答える。
「……私の一存ではご返答できかねます。ただいま旦那様の判断を仰いで参りますので、しばらくお待ちください」
クロティルデが楽しげに微笑んで答える。
「あら、私をエントランスで待たせるの? 構わないけれど、その分はきちんと覚えておくわね?」
頭を下げた男性従者が、足早に会場の中へ駆け込んで行った。それを見ていたニーナが、呆気にとられながら告げる。
「凄いのね、その指輪……」
「それはそうよ。王位継承権を持たない者には与えられないものだもの。今の私は継承権最下位にしていただいてるけれど、王位継承者には違いがないわ」
三分も待たないうちに、会場から鮮やかな金髪の男性――カルターシュネー伯爵が礼服に身を包んだ姿でエントランスに駆け込んできた。息を切らしながら、伯爵が笑顔を浮かべた。
「これはこれは、クロティルデ殿下。我が夜会にお見えになるとは恐悦至極に存じます。しかし、その身なりはどうなさったのですか? とてもクヴェルバウムの王族が身につけて良い品ではないように見えますが」
クロティルデは冷たい笑みを浮かべながらカルターシュネー伯爵を値踏みしていく。
「あなたはずいぶんと裕福そうね。民衆が貧困と治安の悪化で喘いでいる中で、とても素晴らしい治世をしてるとお見受けするわ。この領地を少し見てきたけれど、酷いものだった。そんな状態を放置している領主の顔を、少し見ておこうかと思って」
カルターシュネー伯爵が苦笑を浮かべながら答える。
「これは手厳しい――ここで立ち話も体が冷えるでしょう。会場に入りませんか」
「ええ、構わなくてよ? 隣にいるのは私の大切な友人なの。無礼をしないように注意して頂戴」
クロティルデが歩き出そうとすると、カルターシュネー伯爵が手を差し出した。その手を見つめたクロティルデが、フッと笑みをこぼして告げる。
「エスコートは結構よ。私はニーナをエスコートしなければならないの。あなたも、こんなみすぼらしい格好をした淑女をエスコートするのは恥ずかしいのではなくて? 無理をする必要はないわ」
「そんなことは……いえ、そういうことでしたら、ご随意に」
先導するように歩き出したカルターシュネー伯爵の背中を、クロティルデとニーナが歩いて行く。二人は会場を守る衛兵たちの驚きの視線を受けながら、夜会の会場に足を踏み入れた。
****
会場に入った途端、カルターシュネー伯爵が声を上げる。
「聞いてくれ! 今日は飛び入りでクヴェルバウムからクロティルデ殿下をお招きできた! この幸運を祝して、乾杯といこうじゃないか! みんな、グラスを取ってくれ!」
会場にいる百人足らずの貴族たちが、視線をクロティルデたちに注いだ。クロティルデは優雅に微笑んでカーテシーを見せる。そばにいた給仕たちが伯爵やクロティルデ、ニーナに飲み物が入ったグラスを手渡し終わると、カルターシュネー伯爵がグラスを掲げて声を上げる。
「それではクロティルデ殿下に――乾杯!」
「なにこれ、美味しい! なんてお酒なの?!」
クロティルデが穏やかに微笑みながら答える。
「
「ティルデ、お酒に詳しいの?」
「少し知ってるだけよ。詳しいと言うほどではないわ」
困惑していた貴族たちは、クロティルデとニーナを観察するように遠巻きにしていた。だがクロティルデの所作を見て確信を得たのか、一人、また一人と近づいてくる。
「クロティルデ殿下、お初にお目にかかります。私はバニャク子爵、殿下はなぜ今夜見えられたのですか?」
「お忍びで旅をしていたのだけれど、たまには夜会に参加してもいいかと思いましたの。バニャク子爵は『赤い目の貴族』をご存じかしら。とても珍しい瞳なので、お会いできたらお話を伺ってみたいと思ってますの」
「赤い目ですか? ああ、どこかの夜会で見かけたという話は聞きますが、だいぶ前ですよ? おそらく昨年の夏頃だったかと。それが誰なのかは、私も存じ上げませんが」
「そう、残念ね」
別の男性貴族がクロティルデの前に割り込んでいく。
「私はリシキ男爵です。殿下はなぜ、そのような衣装を着てらしてるのでしょうか。クヴェルバウムの王女であれば、相応の身なりがあるのではないですか? なにかご事情でもおありで?」
「今回の夜会は、急遽参加が決まりましたの。ツェールト司祭に『どうしても』とせがまれてしまって。私は気が乗らなかったのだけれど、聖神様を信仰する身として、聖教会の要望に応えない訳にもまいりませんわ。急いで服を用意させたのだけれど、結局はこんな服になってしまったわね。不本意だけれど、仕方がないわ」
リシキ男爵がニーナに視線を向けて尋ねる。
「それで、そちらの少女は?」
クロティルデが空いている手でニーナの肩を抱き、頰を寄せて微笑んだ。
「私の大切な友人ですのよ? あなた方も、失礼のないように気をつけてくださいね」
「ご友人……ですか。それは、どのような縁で?」
クロティルデが微笑を浮かべながら答える。
「あなた方には関係がないことではなくて? これは私と彼女の秘密よ」
貴族たちが次々とやってきて、クロティルデに質問を浴びせていく。クロティルデはのらりくらりと質問をかわしながら、『赤い目の貴族』の噂を探っていった。段々と貴族たちに押しやられていったニーナは、クロティルデから少し離れた場所で彼女の様子を見守っていた。
「ティルデ、凄いのね……私には何がなんだか、分からない世界だわ」
貴族たちがクロティルデを囲む中、ニーナは一人でぽつんと取り残されていた。そんなニーナに一人の貴族が近寄っていく――銀髪とシールド型の遮光グラスを付けた人物。ウーゼ子爵だ。
「お嬢さん、どうやら暇そうだね」
「――えっ?! 私ですか?!」
ウーゼ子爵がにこやかに頷いた。
「そう、君だ。君は珍しい目をしているね。金色の瞳、『
ニーナが緊張で青い顔をしながら答える。
「えっと……私にも、よくわからなくて。いつの間にかこの目になってしまったので」
「眼帯をしているようだが、目に怪我でもしているのかな?」
「え?! えーと、はい、そうです! ちょっと目が腫れてしまって!」
「そうか……それはいけないね。目につける良い薬を持ってるんだが、試してみるかね?」
ニーナがウーゼ子爵から一歩退いて答える。
「いえ! 私、そういうのはティルデから禁止されてますので!」
ウーゼ子爵が眉をひそめて尋ねる。
「禁止とは? なにか事情があるのかい?」
「えっと、それは――ティルデ! 助けて!」
思わず叫んだニーナの声に、クロティルデが反応した。すぐに貴族たちとの会話を打ち切り、人垣を割るようにしてニーナの元へ歩いて行く。
「どうしたの? ニーナ。なにかあって?」
ニーナが
「あなたはどなたかしら? 私の大切な友人に何をしたのか、話していただいてもよろしくて?」
ウーゼ子爵が額を手で叩いて笑みをこぼした。
「これは手厳しい。いえね、一人で寂しそうにしていたので、話し相手を務めていただけですよ。少し怖がらせてしまったようで、失礼致しました」
深々とニーナに頭を下げるウーゼ子爵を見つめながら、クロティルデが告げる。
「
「私はウーゼ子爵と申します。カルターシュネー伯爵とは、昔から持ちつ持たれつの関係です。この
悠然と去って行くウーゼ子爵を見送り、クロティルデがぽつりと呟く。
「おかしいわね。子爵クラスが手に入れられる品じゃないのだけれど」
ニーナが背後からクロティルデに尋ねる。
「そうなの? でも同じような眼鏡をしてる人、他にもいるよ?」
「彼のはランクが違うのよ。透過度である程度判別が付くの。顔を完全に隠せるほど濃い色の
クロティルデの視線が、貴族たちと歓談するツェールト司祭に向けられた。ニーナもその視線を追いかけ、ツェールト司祭を見る。
「司祭様が、どうしたの?」
「……聖教会が横流ししてる、と考えるのが妥当でしょうね。ブルートフルスの聖教会が大きくなるわけだわ。他の品も、ツェールト司祭が流しているかもしれない。頭が痛い問題ね」
「ティルデ、どうなるっていうの?」
クロティルデがグラスを傾けてワインを一口飲んだ。
「どうにもならないわ。噂の発生時期は半年以上前。『
ため息をつくクロティルデを見て、ニーナはその背中をさすりながら告げる。
「気長にやろうよ。貴族の『
「……それもそうね。私はもう少し情報を漁ってみるわ。ニーナは私のそばから離れないで」
頷くニーナと一緒に、クロティルデは貴族たちの輪に再び戻っていった。
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