第28話 いざ領主の館へ
夜が明けて、食堂では今日もクロティルデとニーナが二人きりで並んで食事をしていた。不安げなニーナが、スープにスプーンをつけて告げる。
「とうとう出発の日になっちゃったわね。本当に大丈夫かなぁ」
クロティルデは平然とパンをちぎり、スープに浸して口に運んでいた。
「心配性ね。問題ないと言ってるでしょう? 私が信じられないのかしら」
「だって、平民が貴族の世界に行くのなんて、どうなるのか見当もつかないわよ」
「まず、珍しがられるわね。次に笑われるわ。近づいてくる人間は、まずいないでしょうね」
ニーナが眉をひそめて尋ねる。
「それじゃあ、肝心の情報収集ができないんじゃない?」
「普通ならそうなるわね」
「じゃあ、普通じゃないの?」
きょとんとするニーナに、クロティルデが笑顔で答える。
「私を誰だと思って? クヴェルバウム王国の第一王女よ? こんな小国の地方領主くらい、なんてことはないわ」
「よくわからないけど、わかったわ。ティルデが王女なのは、間違いないものね」
明るい顔で食事を口に運び始めたニーナを見て、クロティルデが微笑んだ。二人は静かに食事を済ませると、聖教会に向かうために席を立った。
****
聖教会に向かったクロティルデとニーナの足が止まった。聖堂の前には三台の馬車が並んでいて、そこにはツェールト司祭の姿がある。そして二人の視線はその隣にいる青年――レンツに向けられていた。
「……なぜ、あなたがそこにいるのかしら」
朗らかな笑顔でレンツが答える。
「言っただろ? 『ブルートフルスに用がある』って。聖教会から、護衛の仕事を頼まれてたんだ」
ニーナが小さく頷いた。
「ああ、それで『あとで』って言ってたんですか。じゃあ私たちを護衛するって知ってたんですね?」
「まぁな。名前までは知らなかったが、子供を領主の館に連れていく護衛と聞いている」
クロティルデが白目でレンツを睨み付けた。
「誰が子供よ、失礼しちゃうわね」
ツェールト司祭が驚いた様子でレンツとクロティルデたちを見比べた。
「お知り合いだったのですか?」
「エーヴェンヴァルトの町で、少し縁があっただけよ。帰り道について来て、鬱陶しかったわ」
ツェールト司祭が眉尻を下げて告げる。
「喧嘩は困りますよ。それに彼は私の護衛です。自分の身はご自分で守ってください」
「言われなくてもそうするわ――それより、出発しなくて大丈夫なの?」
「おっと、そうでした。先頭の馬車に乗り込んでください」
ツェールト司祭とレンツが馬車に乗り込むと、続いてクロティルデが馬車のステップを上がった。振り返ったクロティルデが、ニーナに手を差し伸べて告げる。
「ほら、掴まって」
「うん、ありがとう!」
ニーナはクロティルデの手を借りて、馬車に乗り込んでいった。座席に並んだクロティルデとニーナを見て、ツェールト司祭が声を上げる。
「出してくれ!」
馬車の扉が閉められ、御者が手綱をさばいて馬車を走らせ始めた。ニーナはふかふかの座椅子の手触りを楽しみながら告げる。
「馬車って乗り心地がいいんだね。私、荷馬車しか乗ったことがないから」
「動物の毛皮を敷いてあるなんて、『さすがは』聖教会の馬車よね。下手な貴族より裕福よ」
クロティルデの冷笑を見て、ツェールト司祭が居心地悪そうに居住まいを正した。
「我々は聖神様の教えを広める役割を果たしているにすぎません。信徒の方々が感謝の気持ちを我々に納めてくれる。それだけですよ」
「だといいわね」
ニーナに手を握られているクロティルデは、背もたれに体を預けながら外の景色に目を向けた。春も半ばに近づき、景色には
――間に合うといいけどね。
不安な気持ちを押し殺したクロティルデの顔を、レンツは静かな笑みで見つめていた。
****
三日をかけて、クロティルデたちの馬車は領主の館のそばにある城下町に辿り着いていた。宿屋の前で馬車が止まると、ツェールト司祭とレンツが馬車を降りていく。クロティルデも身軽に馬車から飛び降り、ニーナに手を貸して降ろしてやった。宿を見上げたニーナが、唖然としてつぶやく。
「大きな宿ねぇ……高いんじゃない? ここ」
「心配する必要はないわ。今回の旅費は全部、聖教会払いだもの。遠慮せずに柔らかいベッドで寝ることにしましょう?」
無表情なツェールト司祭とレンツが先に宿屋に入り、続いてクロティルデたちも宿の扉をくぐった。あとから女性従者たちも入ってきて、それぞれが割り当てられた部屋に散っていく。自分の部屋に入ろうとしたニーナの背中から、クロティルデが声をかける。
「あなたはこっちよ。いらっしゃい」
きょとんとした顔のニーナが、小首をかしげてクロティルデに尋ねる。
「なぜ? 二部屋借りてるのだし、別々に寝てもいいんじゃない?」
不機嫌そうなクロティルデが答える。
「あなた、道中の宿場町でも同じことを言ってたわよね。おかげで寝不足なのよ。今夜は私と一緒に寝なさい」
ニーナがクスリと笑みをこぼして、クロティルデの手を握った。
「ええ、わかってるわ。やっぱり我慢できなくなったのね」
「違うわよ。あなたを守るために必要なだけ」
「でも、さっき寝不足って言ってたわよ?」
ニマニマと笑みを作るニーナに、ふくれ面のクロティルデが手を引いて歩きながら答える。
「覚えてないわ、そんな昔のこと」
「私は覚えてるから、問題ないわね」
二人は手をつなぎながら、隣にあるクロティルデの部屋に入っていった。
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部屋のベッドに倒れ込んだニーナが、不満げな声を上げる。
「何よこれ、あんまり柔らかくないわよ?」
「当たり前でしょう? 支部のベッドに比べたら、どんな高い宿屋でも見劣りするわよ」
倒れ込んだニーナに覆いかぶさるようにクロティルデが倒れ込み、その胸に頭を乗せた。クロティルデの頭を嬉しそうに抱え込んだニーナが告げる。
「あらあら、もう我慢できなくなったの?」
「おだまりなさい。抱き枕は大人しく抱かれていればいいのよ」
荷物も降ろさずにウトウトとし始めたクロティルデを、ニーナは優しい笑みで見つめていた。やがてクロティルデの瞼が下りると、彼女の頬を愛おしそうに撫でる。
「本当に眠れなかったのね。可愛い私のティルデ」
ニーナはクロティルデの重みを体で受け止めながら、子供を慈しむように時間を過ごしていった。
****
ウーゼ子爵が宿泊する宿の部屋に、一羽の白い鳥が舞い降りた。窓の外に留まる鳥を見て、ウーゼ子爵が窓を開ける。鳥の足に括り付けてある書簡から手紙を取り出し、その内容に目を通していった。
「……到着したか。さて、話通りの子供なのか、まずは確かめさせてもらおう」
羽ばたいていく白い鳥を見上げながら、ウーゼ子爵は遮光グラス越しに目を細めた。窓を閉めたウーゼ子爵は、部屋にいる従者に告げる。
「出かける。支度をしろ」
マントを羽織ったウーゼ子爵は、従者を連れて部屋を出ていった。
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ツェールト司祭の宿の部屋には、レンツの姿があった。ツェールト司祭がレンツを睨み付けて告げる。
「――以上だ。貴様の役目は理解したか?」
レンツは笑みを作りながら答える。
「もちろんだとも」
「理解したならば、部屋に戻れ」
「はいはい、言われなくとも戻りますよ」
背を向けて部屋を出ていくレンツを見送り、ツェールト司祭がつぶやく。
「さて、無事に『
ため息をついた司祭が、窓の外を見上げた。青空が広がる窓の外をみやりながら、司祭は酒を取り出してグラスに注いでいった。
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夕食時になり、ニーナがクロティルデに告げる。
「ねぇティルデ、そろそろ食事の時間よ? ティルデったら!」
一向に起きる気配がないクロティルデの頬に、ニーナの指が伸びていった。柔らかいクロティルデの頬をつまんだ指が、横に引き伸ばされていく。
「いつものお返しよ! 起きなさい、ティルデ!」
クロティルデの眉がひそめられ、うっすらと目が開いた。
「ん……おはよう、ニーナ」
「『おはよう』じゃないわ! もう外は暗いし、夕食を食べる時間よ!」
「……もうそんな時間なの?」
ゆっくりと体を持ち上げたクロティルデが、ベッドの上に座り込んだ。周囲を見回し、部屋が暗いのを確認すると、
「二日ぶりによく寝たわ。やっぱりこの枕は最高ね」
ニーナがベッドから立ち上がってクロティルデの手をひいた。
「そんなことより、もうお腹が減っちゃったわよ!」
「はいはい、今行くわ」
どこか寝ぼけた様子のクロティルデは、ニーナに引きずられながら部屋をあとにした。
****
夕食の鶏肉を口にしているクロティルデが、目の前の人物を睨み付けて尋ねる。
「なぜ、あなたがここにいるのかしら」
鶏肉を切り分けているレンツが笑顔で答える。
「出発の時にも聞いたな、それ。飯を食うなら、かわいい子供と一緒に食いたいだろう? 辛気臭いおっさんと食っても、飯がまずくなる」
「あなたは司祭の護衛じゃなかったの?」
「護衛だが、この宿に賊が忍び込むことはないさ。見た限り、町でもトップクラスの宿屋だぞ? 町の入り口も厳重に管理されてるし、安全な場所だよ」
クロティルデが小さく息をついて答える。
「だといいんだけどね。油断して仕事に失敗しても知らないわよ?」
「ご心配、痛み入ります」
肉を切り分け終わったレンツがパンを頬張り、美味そうにエール酒に手を付けた。それを見たニーナが、そわそわとして店内を見回した。
「私もミードを飲んでもいいのかなぁ? 誰に注文すればいいの?」
クロティルデがため息をついて答える。
「あなたはやめておきなさい。レンツの食費は自腹のはずよ。私たちも、お酒を頼んだらその分は自腹になるわ」
「ケチね! 一杯くらいいいじゃない!」
「仕事の最中にお酒を入れるのは、よほどの時だけにしておきなさい」
「私は仕事じゃないわよ?!」
クロティルデがニコリと微笑んだ。
「あら、私の仕事の手伝いをしてくれるんじゃなかったの?」
「違うわよ、私はティルデを守るだけ!
「だとしても、今から仕事の仕方は覚えておきなさい。私がいなくなっても生きていけるようにね」
眉尻を下げたニーナが、肩を落として頷いた。
「わかったわよ、我慢すればいいのね!」
「ええ、いい子ね」
クロティルデとニーナは、レンツが酒に酔いながら食事をするのを見ながら、静かに食事を食べ進めていった。
****
夜のベッドで、ニーナが荷物を置いてベッドに横たわった。クロティルデを迎え入れるように両腕を広げ、優しく微笑む。
「ほら、今日は『抱き枕』があるわよ?」
クロティルデも荷物を置いて、倒れ込むようにニーナに抱き着いた。布団をかぶったニーナが、クロティルデにささやく。
「まだ眠そうね。私がいない夜はどうだった?」
クロティルデは顔をニーナの胸にうずめながら答える。
「……教えてあげないわ」
「そう? 『寂しかった』のね。本当に可愛い子ね」
二人でベッドに入りながら、ニーナがクロティルデの頭を抱きしめ、額に唇を落とした。クロティルデはくすぐったそうに首をすくめたあと、安心したように息をはいた。
「やっぱりこの柔らかさは得難いわ。ねぇニーナ、もっとたくさん食べてもいいのよ?」
「ティルデが望むなら、太ってあげてもいいわよ?」
「……いえ、いいわ。今のままでいて」
「そう? じゃあ、おやすみなさい、ティルデ」
ニーナがそう告げると、クロティルデは穏やかな寝息を立て始めた。ニーナはその頭を撫でながら、楽しげにつぶやく。
「本当に可愛い子。いい子ね、ティルデ」
明かりが灯ったままの部屋で、ニーナはクロティルデの体重を楽しむように夜を過ごしていった。
****
クロティルデたちの部屋のろうそくが消え、宿が寝静まった頃。静かな音を立てて、部屋の鍵が開いた。扉がわずかに音を立てながら開いていき、暗闇の中から数人の人影が部屋の中に足音も立てず侵入してくる。人影はベッドを見下ろし、目くばせをして頷いた。先頭の人影が黒塗りのダガーナイフを腰から抜き放ち、速やかに振り下ろす――直後、乾いた破裂音が鳴り響き、ダガーナイフを持った人影が部屋の壁に叩きつけられた。残った人影はうろたえるように動きを止めている。
ベッドの中から
「――ニーナ、起きなさい! 敵襲よ!」
二発の破裂音が、宿屋に響き渡った。
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