第5章 黄昏

第27話 ドレスの試着

 朝日が薄く部屋を照らし出す中、クロティルデの目がゆっくりと開いていく。自分の頭を包み込むように抱きかかえるニーナは、クロティルデの額に口づけをするような姿勢で眠っていた。クロティルデの頬がわずかに上気し、頬を膨らませながらニーナの両頬をつねる。


「寝坊助さん、いい加減に起きなさい。朝よ」


 反応がないのを見て、クロティルデが小さく息をつく。迷った様子を見せたあと、再びニーナの胸に顔をうずめた。


「……これは、動けないから仕方がないのよ。不可抗力、そう、不可抗力よ」


 ニーナの体を強く抱きしめながら、クロティルデはぶつぶつと言い訳を口にしていた。



 ニーナが目を覚まし、腕の中のクロティルデに告げる。


「あ、おはようティルデ。よく眠れた?」


 クロティルデは胸に顔をうずめたまま答える。


「ええ、おかげさまで。それより頭を解放してくださらない? 動けないわ」


 ニーナはニコリと微笑んだあと、さらに強くクロティルデの頭を抱きしめて額に唇を落とした。慌てたクロティルデが焦ったように告げる。


「話を聞いていたの?! 手を放しなさいと言ってるのよ?!」


「聞いてるわよ? 『もっと抱きしめられたい』って」


「耳が腐ってるのかしら! 全く逆よ! もう六時を過ぎてるわ! これじゃあ、朝の訓練の時間がないじゃないの!」


 ニーナがクロティルデの耳元でささやく。


「いいじゃない、訓練なんて。弾倉の予備も残しておきたいんでしょ? それとも、私の胸の中は居心地が悪いの?」


「――そうは言ってないけど! でも、顔ぐらい洗わせなさい!」


「聞こえないわね。寝ぼけた顔でも、ティルデは可愛いわよ?」


「私は寝ぼけてないわ! 寝ぼけているのはあなたよ! いいから放して!」


 ようやくニーナがクロティルデの頭を解放すると、クロティルデは素早く起き上がってベッドから飛び降りた。ベッドに背中を向けて髪を整えるクロティルデが、息を荒くしながら告げる。


「――私は顔を洗ってくるわ! ニーナも早くいらっしゃい!」


 部屋に置いてあったタオルを手に持ち、足早に立ち去っていくクロティルデの背中を見つめながら、ニーナはニヤニヤと笑みをたたえていた。


「……ティルデったら照れちゃって。可愛いのね」


 ゆっくりとベッドから起き上がったニーナは伸びをし、顔を洗う支度を始めた。





****


 朝の食堂に二人きりで並んで座ったクロティルデは、不機嫌そうにパンを口にしていた。ニーナはニコニコと楽しげにクロティルデを見つめ、その様子を眺めている。


「……なにかしら。私の顔に何かついていて?」


「なんでもないわ。ちょっと夜のことを思い出していただけ」


「あれは! 忘れなさいと言ったでしょう?!」


「私は忘れないと言ったわ。あなたの居場所、いつでも戻ってきていいのよ?」


「寝ぼけ過ぎよ、ニーナ! 今日は聖教会に行く日なのだから、少ししゃっきりしなさい!」


 顔を赤くしながらパンを口に運ぶクロティルデを見て、ニーナは満足げにパンにかじりついた。


「今日は何をする日なの?」


「ドレスの試着をするはずよ。そこで不都合があるようなら、さらに直さなければならないわ。ツェールト司祭がこの短期間で用意できるドレスだから、期待はしないことね」


 スープに口をつけたニーナが、ぼんやりと天井を見上げた。


「ドレスを着たティルデかー。きっと可愛いんだろうなぁ」


「何を当たり前のことを言ってるのかしら。着飾れば誰だって美しくなれるわ――ってちょっと待って?! 十六歳の女子に『可愛い』はさすがにひどくなくて?!」


「あら、ティルデのドレスが可愛くないわけがないわ。美しいというには、もう少し成長しないとね。もっとたくさん食べないと、大きくなれないわよ?」


「――人を子供扱いしないで頂戴!」


 そっぽを向いたクロティルデは、黙々とパンを口に運び始めた。そんなクロティルデを横目で見ながら、ニーナは笑みをこぼしつつ朝食を口に運んでいく。黙り込んだ二人は、それでもどこか暖かい空気の中で朝食を済ませていった。


「――ごちそうさま。先に行くわね」


 立ち上がったクロティルデの手を、ニーナが握りしめた。


「もう少し待って、今食べ終わるから」


「もう! 早く食べてしまいなさい! 長くは待たないわよ!」


「はーい」


 最後のパンの一切れを口に頬張ったニーナが立ち上がり、木のトレーを両手に持った。二人は並んでカウンターにトレーを返却すると、ニーナがクロティルデに右手を差し出す。クロティルデは一瞬ためらったあと、その手を取って歩き出した。


「……調子に乗り過ぎよ、ニーナ」


「あら、じゃあ手を放した方がいいの?」


 その言葉に答えないまま、クロティルデは歩いていく。二人の姿はそのまま食堂から消えていった。





****


 聖教会の前に立ったクロティルデがニーナに告げる。


「今回も油断はしないで。私のそばから離れないようにして頂戴」


「言われなくても離れないわ。安心して」


 微笑むニーナに対し、クロティルデがため息で答える。


「本当にもう……気を引き締め直しなさい。ここで狙われるのはあなたなのよ?」


「大丈夫よ、ティルデが守ってくれるもの」


 クロティルデはジト目でニーナを睨み付けたあと、聖堂の扉に手をかけた。



 聖堂の中に入った二人が、奥の祭壇に向かって歩いていく。今日も祭壇前では、ツェールト司祭が腕を後ろ手に組んで待ち構えていた。


「お待ちしておりましたよ、クロティルデさん、ニーナさん。さっそく試着していただきます。ついて来てください」


 歩き出すツェールト司祭の背中を、クロティルデたちが追いかけた。





****


 通された部屋は、二部屋をくりぬいて繋いだような大きな部屋だった。中にはトルソーに着せられたドレスが二着置いてある。黒い子供用のドレスと、白い大人用のドレスだ。黒いドレスはベルベットの光沢があり、ドレープもしっかりついていた。胸元や袖回りにはシルクのレースが施されているが、それ以外は簡素なデザインだった。それを見てクロティルデがツェールト司祭に告げる。


「よくこれだけのドレスを短期間で用意できたわね。でもこれ、冬服ではないのかしら。春に着るには、少し季節外れよ?」


「知り合いの貴族を頼って借り受けました。季節外れなのは、我慢していただきたい。では私は室外にいますので、試着をお願いしますよ」


 ツェールト司祭が部屋の外に出るのと入れ替わりに、女性従者たちが部屋の中に入ってくる。彼女たちにクロティルデが告げる。


「まずはニーナの試着を先に。私はあとでいいわ」


 ニーナが頷き、早速テーブルの上にホルスターを置いていく。手早く下着姿になったニーナに、女性従者たちがドレスを着せていった。白いドレスはシルク仕立てで、スカートの裾に花の刺繍が施されている。ドレスを着込んでいくニーナを見て、クロティルデがため息をついた。


「こちらは秋物ね。やっぱり急いで調達できるドレスじゃ、文句は言えないわね」


 ニーナがきょとんとした顔でクロティルデを見つめた。


「どうしてそんなことが分かるの?」


「刺繍の意匠がダリア――秋の花よ。これでは笑われるのは覚悟しなければならないわ。分かってはいたけれど、ままならないものね」


 ニーナがため息をついて答える。


「貴族ってぜいたくなのね。こんなにきれいなドレスに文句があるの?」


「貴族だからこそ、色々とルールがあるのよ。ただ着飾ればいいというものではないわ」


「じゃあ、これで夜会に参加はできないの?」


 クロティルデが憂鬱そうな顔で答える。


「それは問題ないわ。みすぼらしい格好でも、どうにかしてみせるから。それよりニーナ、動きづらいところはなくて?」


 ニーナが腕を動かして頷いた。


「大丈夫、問題ないわ。でも――このドレスの中にホルスターをつけるの? 本当に?」


「本当よ。あなたは銃を必ず身に着けておきなさい。いざとなったら、スカートをたくし上げてでも銃を抜くの。どう? できそう?」


 ニーナがスカートをつまみ上げて少しだけ持ち上げ、そこで手を止めた。


「……夜会って、男性もいるんでしょ? みんなが見てる前で、これをめくり上げるの?」


「下着を見せるほど持ち上げる必要はないわ。足が少し見えるだけよ」


「いやよ、そんなの! それにティルデはどうするのよ!」


「私はなんとでもなるから、問題ないと言ったはずよ? あなたも試着が終わったなら、すぐに着替えてしまいなさい」


「はーい」


 ニーナがドレスを脱いでいき、着てきた服に着替えていく。ホルスターを太ももに装着したのを見て、クロティルデが服を脱ぎ始めた。ニーナは右手に汎用魔導銃クライネ・カラミテートを持ち、冷たいまなざしで女性従者たちを見守った。クロティルデがドレスに着替えながら苦笑する。


「どうしたの? そんなに殺気を漏らして。今はそこまで危ない状況ではないわよ?」


「……ティルデのことは、私が守るの。この間みたいな無茶は、もうさせられないわ」


「この間? ――ああ、トイレに行ったあなたを助けに行ったこと? ニーナが誘い出されなければ、問題ないわよ。それに、『私に守ってほしい』とさっき言ってなかったかしら?」


「ティルデが私を守って、私がティルデを守るのよ。私たちは二人で一組なんだもの」


 クロティルデがクスリと笑みをこぼした。


「なによ、それは。変なニーナね――私のドレスも、問題なさそうね」


 軽くターンして見せたクロティルデのドレスの裾が、ふわりと舞った。それを見てニーナが頬を上気させて告げる。


「わあ、やっぱりティルデ可愛い!」


「そこは『美しい』と言ってほしいわね――ねぇ、靴はないの? 採寸はしていたわよね?」


 女性従者が箱を持ってきて、中から黒いハイヒールを取り出した。クロティルデはそれに足を通し、軽くステップを刻んでいく。それを見たニーナが小首をかしげた。


「何をしてるの?」


「ダンスの練習よ。レディメイドの靴なんて、退魔師バンヴィルカーの制服以外じゃ初めて履くわね。少し窮屈だけれど、そこは諦めましょう」


 女性従者がクロティルデに告げる。


「パッドも入れた方がいいでしょうね。少し服が余ってます」


 顔を引きつらせたクロティルデを見て、ニーナがクスクスと笑みをこぼした。クロティルデが勢いよく振り向いて声を上げる。


「何がおかしいのよ!」


「だって、子供服でもサイズが余るって!」


 笑い終わらないニーナを見て、クロティルデが憂鬱そうに肩を落とした。ゆっくりとドレスを脱いでいき、下着姿になってニーナに歩み寄り、その両頬をつねって横に引っ張る。


「人の不幸を笑わないで頂戴!」


「痛い! ティルデ、痛いってば!」


「おだまりなさい!」


 女性従者たちも笑みを漏らす中、クロティルデはしばらくニーナの頬をつねり続けた。





****


 部屋にツェールト司祭が戻ってきて、クロティルデに告げる。


「問題はなかったようですな。では、明日から領主様の館に出発しましょう。足りないものがあれば、現地で調達します」


「宝飾品は借りられなかったの? 全く身に着けないのでは、さすがに問題視されるわよ?」


 ツェールト司祭が眉尻を下げて答える。


「生憎と、知り合いの貴族たちからも借り受けることはできませんでした。私も女性用の宝飾品は手持ちがありません。現地で探し出せればいいのですが」


 クロティルデが小さく息をついた。


「そんな簡単に手に入るものでは、なくても同じよ。大金を持ち歩けるわけでもないのだし、買えても銀製品が限界でしょう?」


「ええまぁ……ですが、それでドレスコードを突破できますか?」


「するしかないわね。あまり聖王紋を見せたくなかったのだけれど、この指輪でなんとかしてみせるわ」


 ツェールト司祭が頷いた。


「聖王紋をお使いになるなら、問題はないでしょう。では明日、朝八時になったら聖教会前に集合してください」


「わかったわ――ニーナ、帰るわよ」


 クロティルデがニーナを先に歩かせ、部屋から退出していく。それを見送ったツェールト司祭が、ぽつりとつぶやく。


「さて、あの男が巧く動いてくれるかどうか……」


 ツェールト司祭はドレスを一瞥すると、ゆっくりと部屋をあとにした。

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