第23話 甘い香り

 夜が白み始め、クロティルデがニーナに告げる。


「そろそろ移動しましょう。人が集まると面倒になるわ――レンツ、あとは任せたわよ」


 ニーナとレンツが頷き、クロティルデがベンチから立ち上がった。ニーナも立ち上がり、クロティルデと手をつなぎながら広場から離れていく。それを見送るレンツに、遠くから衛兵たちが駆け寄ってくるのが見えた。


「さて、どう説明したもんかねぇ……」


 レンツは死体が積まれた広場の中央で、かがり火に当たりながら衛兵たちの到着を待った。





****


 宿屋に辿り着いたクロティルデが、扉を何度か叩く。中から物音が聞こえ、宿の主人が顔を出した。


「なんだい、こんな朝っぱらから」


 不機嫌そうな宿屋の主人に対し、クロティルデが告げる。


「部屋を借りたいの。構わないかしら」


 クロティルデがポーチから金貨を一枚取り出し、それを宿の主人の手に握らせた。宿の主人は目を見開いて金貨を見つめたあと、上機嫌になって答える。


「ええ、構いませんよ。二部屋でいいですか?」


「いいえ、一人部屋を一部屋よ。それと、朝食はいつ食べられるかしら」


「簡単なものでいいなら、すぐに出せますよ」


 宿の主人が奥に引っ込み、クロティルデたちが続いていく。一階の食堂にあるテーブルに着くと、クロティルデが小さく息をついた。


「なんとか宿を取れたわね」


「そうね……でも、金貨なんて渡して大丈夫だったの? いくらなんでも渡し過ぎじゃない?」


 ニーナが宿の主人に目を向けると、カウンターの中で鼻歌を歌いながら何かを用意しているようだった。金貨一枚は銀貨二十枚相当、宿賃の相場でいえば、十倍近い。クロティルデは気怠そうにポーチから薬瓶を取り出し、丸薬を一粒取り出して口に含んで飲み込んだ。


「構わないわ。商人に無理を通すなら、相応にお金を払えばいいだけ。彼らも商売だから、利益が高いなら多少の無理は通してくれるのよ」


「そういうものなのね……ねぇティルデ、何を飲んだの?」


「ただの痛み止めよ」


「――そんなものがあるなら、もっと早くに飲んでよ!」


 クロティルデが微笑みを返しながら答える。


「この薬は鎮痛作用が強い代わりに、とても眠くなるの。道を歩きながらは飲めないわ」


 ニーナが納得して頷いていると、宿の主人がパンに燻製肉と葉野菜を挟んだものを二人分持ってきた。コップに新鮮な水を注ぎ、二人の前に置く。


「ごゆっくりどうぞ。部屋は二階に上って、右手の突き当たりです」


 宿の主人がテーブルに置いた鍵を、クロティルデが頷きながら懐に入れた。


「ありがとう、食事はいくらかしら」


「いえいえ、これはサービスで構いませんよ。ごゆっくりどうぞ。」


 笑顔の主人が一階の奥に戻っていく。クロティルデはナイフを取り出し、パンを切り刻みながら口に入れていった。ニーナはパンにかぶりつきながら告げる。


「食事代がサービスだなんて、太っ腹ね」


「それだけの金額を払ったのだから、当然ね」


 二人は手早く食事を終えると、椅子から立ち上がった。力のないクロティルデの様子に、ニーナが手を添えて告げる。


「大丈夫? ティルデ」


「問題ないわ。薬が回ってきただけ」


 ニーナはクロティルデを介助しながら、階段を上って部屋に向かった。





****


 部屋に着いたクロティルデが、鍵を閉めた後に荷物をテーブルに置いて告げる。


「ニーナも少し横になっておきなさい。ろくに寝ていないでしょう?」


「そうだけど……まだ私はいいわ。ティルデだけ先に寝てよ」


 クロティルデが微笑みながらニーナの頬をつまんだ。


「『抱き枕になれ』と言ってるのが分からないのかしら?」


「待って、痛い! 痛いよティルデ! わかったから!」


 クロティルデが手を放すと、小さく息をついたニーナも荷物をテーブルに置いていく。ホルスターも太ももから外し、汎用魔導銃クライネ・カラミテートをテーブルに置いてそれを見つめた。


「私、人を撃ってしまったのね」


「言ったでしょう? 野盗なんて野猪の民シュラートと大して変わらない、汚らわしい生き物よ。自分の身を守るために必要だから返り討ちにした。それだけ。気にすることはないわ」


 ためらうニーナの手を引き、クロティルデがベッドに倒れ込む。一緒になって押し倒されたニーナが声を上げる。


「ちょっとティルデ! 強引すぎるわよ?!」


「今は考えるのをやめなさい。あなたは私の抱き枕。それでいいじゃない」


 右肩を上にして倒れ込んだクロティルデが、ニーナを抱え込むように抱き着いた。その胸に顔をうずめ、あっという間に寝息を立て始める。普段よりも抱き着く力がないクロティルデを見て、ニーナがつぶやく。


「ティルデ? もう寝ちゃったの? ……寝ちゃったのか。よっぽど強い薬だったのね」


 窓を背にしたニーナからは、テーブルの上の汎用魔導銃クライネ・カラミテートが見えていた。抱き着かれた姿勢で自分の両手を見つめるニーナが眉をひそめる。


 ――私が人の命を奪うなんて。これじゃあティルデと変わらないじゃない。私はフォルカーの仇を討つためにここにいるのに、その仇であるティルデがいなければ生きていけない。ああ、フォルカーごめんなさい。私、あなたよりもティルデを選ぼうとしてる。


 自分が浅ましく感じられたニーナが、目に涙をためながらクロティルデの頭を抱え込んだ。彼女の髪に残る魔力痕、その焦げた匂いを胸に吸い込みながら、『自分も彼女と変わらないのだ』と強く思っていった。生きるために他者の命を踏みにじる。目的は異なれど、結果は変わらない。クロティルデは母を殺めた事実を肯定するために『救済』を続けている。そしてニーナは、身を守るために他人の命を奪った。


「……私、もう戻れないのかな」


 そうつぶやいたニーナは涙を流しながら、目の前にあるクロティルデのぬくもりで心を慰めた。





****


 うつらうつらとしていたニーナの耳に、扉をノックする音が聞こえた。クロティルデの腕を体から引きはがし、そっとベッドを降りる。汎用魔導銃クライネ・カラミテートを手にしながら、ニーナは扉の前に立った。


「……誰ですか?」


「俺だよ、レンツだ。開けてもらえるか?」


「――今開けます!」


 銃を右手に持ちながら、左手で鍵を開ける。扉をそっと開けると、ドアの外には紙袋を抱えたレンツが微笑んでいた。


「お、起きてたな。お姫様の具合はどうだ?」


「ティルデは今、薬を飲んで寝てますよ。その紙袋はどうしたんですか?」


「あー、見舞いの品だ。それより、中に入れてもらえるか?」


 わずかにためらったニーナが、クロティルデに振り返る。彼女が起きる様子がないのを見て、ニーナが扉から離れて告げる。


「いいですけど、長居はしないでくださいね。ティルデが起きたら不機嫌になります」


 扉を肩で押し開けながら、レンツが部屋に入りベッドに目を向けた。


「おやおや、あのお姫様が俺の気配に気づかないとはね。よっぽど強い薬を使ったんだな」


 ニーナが小首をかしげながらレンツに尋ねる。


「心当たりがあるんですか?」


 背中で扉を閉めながらレンツが頷いた。


「まぁ、話に聞いただけだがね。鎮痛作用が強い代わりに、動けなくなる薬があるらしい。それを使うんだから、本当に右肩が痛かったんだろうな。聖霊薬エリクシアーを使って無理に魔導銃カラミテートを撃っていたし、当然か」


 テーブルの上に紙袋を置いたレンツに、ニーナが尋ねる。


「それ、何が入ってるんですか?」


「朝市で仕入れた果物だよ。ニーナも食べるか?」


 レンツが紙袋からナシを取り出して放り投げた。慌ててそれをキャッチしたニーナが、ナシを顔の近くに持って行って匂いを嗅いでいく。


「……甘い匂いがしますね」


「なんだ、ナシは初めてか? それは皮が固くて食べづらい。ナイフで剥いてから食べた方がいいぞ」


 紙袋の中から木の小皿を取り出したレンツが、腰から取り出したナイフで器用にナシを切り刻み、皮をむいていく。それを見ながらニーナが感心したようにため息をついた。


「レンツさん、ナイフも使えるんですか」


「ニーナは使えなさそうだな」


 むっとしたニーナが、手に持ったナシをテーブルに置いて答える。


「私だってナイフぐらい使えます! ウサギをさばいたこともあるんですよ?」


「お、それはすごいな。じゃあナシのさばき方も見て覚えておくといい」


 軽やかに笑うレンツが、皮をむいたナシが入った小皿をニーナに差し出した。銃をテーブルに置いたニーナがそれを受け取り、一つまみを口に運んでいく。


「――美味しい! なんですかこれ?!」


「だから、ナシだよ。リンゴも入ってる。この季節に残ってるのは、運が良かったな」


 上機嫌でナシが入った小皿を空にしたニーナが、笑顔で告げる。


「ごちそうさまでした。ティルデにも早く食べさせてあげたいな」


「それは気長に待つといい。薬が切れるのは、おそらく夜になると思う。それより――ニーナ、あんたの目はいつ『そうなった』んだ?」


 ニーナが表情を曇らせてうつむいた。


「……この目、なんなんですか? 何か特別な力があるんですか?」


 レンツは肩をすくめながら笑った。


「俺は知らん。知ってるとしたら、どこかのお偉いさんくらいだろう。その目を宿したきっかけは、話せないか」


 ニーナがためらいがちに頷いた。うつむいたニーナをしばらく見つめていたレンツが、小さく息をついて告げる。


「わかった、話せる時が来たら教えてくれ。俺は隣の部屋を借りてる。何かあったら壁を叩け」


 ナイフについた果汁を腰の手ぬぐいで拭き取ったレンツが、ナイフをしまってから手をニーナの頭に伸ばした。ニーナが思わず反射で手を避けると、レンツが苦笑を浮かべて告げる。


「どうした? 警戒されるようなことをしたか?」


「……果物を触った手で、髪の毛を触らないでください」


「そりゃ失礼した。じゃ、また夕食の時にな」


 レンツが笑いながら部屋を立ち去ると、ニーナは急いで扉を閉めて鍵をかけた。扉に背中を預け、深いため息をついたニーナがぼそりとつぶやく。


「……よかった、何も起こらなかった」


 ニーナの視線がクロティルデに向けられる。彼女は無防備な姿で、今も眠り続けている。そんな彼女にゆっくりと歩み寄り、ニーナは再びベッドにもぐりこんでクロティルデの頭を抱きしめた。


「ティルデ、私頑張ったよ。あとでほめてね」


 目をつぶったニーナは、クロティルデの髪の匂いを胸に吸い込みながら、まどろみに包まれていった。

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