第22話 黄昏の聖眼

 クロティルデの左手が素早く動き、腰のポーチから小さな瓶を取り出した。瓶の先を指でへし折り、中身を一気に飲み込んでいく。飲み終わった瓶を投げ捨てると、クロティルデは深い深呼吸をしてから声を上げる。


「ニーナ! 走るわよ!」


 俊敏に地面に落ちている眼帯を拾い上げたクロティルデが、ニーナの手を左手で取って走り出す。ニーナは呆気に取られながらクロティルデに尋ねる。


「ど、どこに行くの?!」


「いいから走って!」


 クロティルデが右手で魔導銃カラミテートを構え、暗闇に向けて精密射撃を繰り返していく。その様子を見て、ニーナが目を見開いた。


「ティルデ、あなた肩は痛くないの?!」


「薬を飲んだから大丈夫よ! 早く走りなさい!」


 暗闇に銃弾を放っていたクロティルデが、突然銃口をレンツに向けて発砲音を二発鳴り響かせた。レンツは銃口が向けられると野盗たちの陰に隠れるように回り込み、射撃をかわしていく。二発の銃弾は一発は空を切り、もう一発は野盗の腹部を消し飛ばしていた。驚いている野盗たちの隙を見て切り捨てていくレンツが、苦笑を浮かべてつぶやく。


「おいおい、俺は味方だぞ?」


 クロティルデはニーナを連れ、夜の闇の中へ消えていった。残った野盗たちも手勢の多くを失ったことで戦意を失い、「引け!」と小さな声が響いて広場から逃げ始める。レンツは逃げていく野盗たちを目で追いながら、撤収を見届けた。


「……全員逃げたか。しかし」


 レンツがベンチに振り返ると、そこにはニーナの荷物が置いてある。レンツはしばらく顎に手を置いて考えたあと、ロングソードを鞘に納め、ベンチに腰を下ろした。


「さて、お姫様たちが戻ってくるまで、少し寝ておくかな」


 大きく伸びをしたレンツが毛布をかぶり、ニーナの荷物を枕にして横になった。





****


 暗闇を走るクロティルデは、路地裏を駆け抜けながらニーナに告げる。


「とにかく宿屋を探すわ。宿の主人を叩き起こしてでも中に入るわよ」


「で、でも待ってティルデ! 私の荷物がベンチに置きっぱなしよ?!」


「中身は着替えと雑貨だけでしょう? 捨ててしまいなさい!」


「いやよ、下着を誰かに見られるなんて! なにを焦っているの、ティルデ!」


 宿屋の前に辿り着いたティルデが、ようやく足を止めた。魔導銃カラミテートを懐にしまい、左手で乱暴に扉を叩く。扉を叩きながら、クロティルデがニーナに告げる。


「今のうちに眼帯を付け直しておきなさい」


 クロティルデが左手の中に握り込んでいた眼帯をニーナに手渡す。受け取ったニーナが、おずおずと頷いて眼帯のひもを結び直していく。しばらく扉を叩き続けたクロティルデが、機嫌悪そうに舌打ちをした。


「だめね、起きてこない。次の宿に行き――」


 ぐらりとクロティルデの体が傾いたが、その足は必死に大地を踏みつけた。ニーナが焦ったようにクロティルデに縋りつき尋ねる。


「どうしたの?! どこか怪我をしたの?!」


 クロティルデが歯を噛みしめながら答える。


「怪我なら最初からしてるじゃない。薬が切れて反動が来ただけよ」


 クロティルデがポーチから金貨を取り出してニーナに手渡して告げる。


「ニーナ、あなたは宿が開いたら、そのお金で……部屋を、取って――」


 それだけ言い切ると、クロティルデはその場に倒れ込んだ。月明かりだけが頼りで視界がない中、ニーナが必死にクロティルデを探し出して抱え上げた。


「ティルデ?! 大丈夫なの?! ティルデったら!」


 クロティルデはぐったりとしていて、返事はない。周囲を見回したニーナが、決心したような目で小さく頷いた。意識のないクロティルデを背負うと、ニーナは月明かりを頼りに道を戻っていった。





****


 広場になんとか戻ったニーナが、ベンチで寝るレンツの姿を見て安堵の息をついた。ゆっくりとかがり火を目指して歩き、レンツのそばまで近寄った。ニーナの荷物を枕に目をつぶっているレンツを見て、ニーナがつぶやく。


「……私の荷物、枕にしないでください」


「おっと、悪い悪い」


 目を開いて起き上がったレンツが、ベンチに背を預けて告げる。


「お姫様の具合はどうだ?」


 不安げなニーナが、眉をひそめて答える。


「それが、突然倒れてしまって。それに肩が痛いのに片手で魔導銃カラミテートを連射していたし、大丈夫なんですか?」


「まずはお姫様をベンチに寝かせよう」


 レンツは立ち上がると、ニーナの背中からクロティルデを受け取り、横抱きにしてベンチに横たわらせた。その上から毛布を掛け、ニーナと共にその寝顔を見つめた。


「さっき、薬を飲んでいただろう? あれはおそらく『聖霊薬エリクシアー』だ。一時的に痛みを止め、魔力と体力を回復してくれるという話だったが、副作用があるそうだ。多分、それで意識を失ったんだろう」


「……詳しいんですね、レンツさん」


「ま、昔教えてもらった知識の受け売りだよ。痛みは止まってるみたいだが――熱は引いてないな」


 レンツがクロティルデの額を触り、その熱を確認した。その手を払いのけるようにニーナがクロティルデの前に立った。


「ちょっとレンツさん、女子の体に気安く触れないでくれますか」


 きょとんとしたレンツが、苦笑を浮かべて答える。


「悪い、気が利かなかったな。ともかく、朝までクロティルデの意識が戻ることはないだろう。宿屋が開いたら、クロティルデを休ませよう。回復するまでは、この町から動かない方がいいかもなぁ」


 周囲を見回したレンツが、腕組みをしてうなり声を上げた。


「……野盗どもの後始末、させられるかもだなぁ。事情を説明するのが面倒だ」


 レンツと共にベンチに背を向けて野盗たちを見回すニーナが、恐る恐る尋ねる。


「あの……これって人間なんですか?」


「見りゃわかるだろ? 脱走兵崩れだと思うよ。戦場から逃げ出した兵士が、装備を持ったまま軍から姿を消し、徒党を組んで野盗に身を落としたんだ。故郷に帰ることもできない脱走兵たちは、だいたい野盗に身を落とす」


 ニーナは転がっている野盗の死体を見ながら肩を落とした。


「私、人間に銃を向けちゃったんですね」


「ああ、さっきの一発か? 見事に一人倒してたな。暗闇で見えない相手に当てるなんて、勘が鋭いんじゃないか?」


「そんな勘はいりません! ――はぁ。当たっちゃってたのか、あれ」


 うなだれるニーナの眼帯を見つめて、レンツが尋ねる。


「なぁニーナ、あんた『黄昏の聖眼ツヴィーリヒト』だったんだな。てっきり『風の聖眼クラール・ヴィント』かと思ってたんだが」


 ニーナが顔を上げ、きょとんした顔で小首をかしげた。


「ツヴィー……なんです、それ?」


 レンツが二本の指を自分の両目に当てて答える。


「『嵐の魔眼ストルム』と『風の聖眼クラール・ヴィント』を併せ持つ、『半魔グレンツェ』が持つ聖眼だよ」


「私、『悪竜ニド・ヘグ』じゃないんですか?」


「違う、と聞いている。聖者でも魔物でもない存在、だから『半魔グレンツェ』だってね。とても希少な目らしいが、人に見られないように注意しておいた方がいい。特にその目をつけ狙う奴が、ごく一部にいる」


 ニーナが不安げに眉をひそめた。


「つけ狙うって、どうしてですか?」


 レンツが肩をすくめて微笑んだ。


「そこまでは知らん。お姫様も訳ありの旅のようだし、あんたらも大変だな。どうだ? この際、俺を護衛に連れていかないか? 今回みたいな時、俺は役に立つぞ?」


 レンツの背後で、カチャリと魔導銃カラミテートが鳴る音が響いた。


「動かないで――あなたの力は必要ないわ。私とニーナがいれば充分よ」


 ゆっくりと両手を上げたレンツが背後から聞こえたクロティルデの声に答える。


「意識を失ってたんじゃないのか? あれ、『聖霊薬エリクシアー』だろ? 反動で半日は寝込むはずだ」


 横になっていたクロティルデが、右手で魔導銃カラミテートを構えながらゆっくりと起き上がる。


「あなたは退魔技師団ドヴェルグを舐めすぎね。日進月歩の彼らが、試作品を放置するわけがないでしょう? それより、ニーナの目について知っていることを全部話しなさい」


 レンツは穏やかに微笑みながら、背後に振り返る。


「悪いが、さっきニーナに告げたことで全部だ。あんたも無理せず、横になっておけ。顔色が悪いぞ。本当は引き金を引けないんだろう?」


 しばらくレンツを睨み付けていたクロティルデが、あきらめたように息をつき、右手を下ろした。


「食えない男ね――ニーナ、なぜこの男のもとに戻ってきたの?」


「――えっ?! だってティルデが倒れて、宿の人も出てこないし、あのままじゃティルデの具合がもっと悪くなっちゃうし!」


「だからって今、一番危険な人間のそばに戻る馬鹿がどこにいるのよ、まったく。私の代わりにニーナが銃口を向けておきなさい」


「ええーっ?! 無理だよ、そんなの!」


 レンツが大笑いしながら答える。


「そうそう、ニーナの腕じゃ俺には当たらんよ」


「え、それもひどいですよ! レンツさん!」


 怒り出したニーナに、笑いで答えるレンツ。二人を見てため息をついたクロティルデが、辺りに目を向けて告げる。


「ともかく、野盗たちの死体を片付けてくださる? 血生臭くて邪魔よ」


 レンツが笑いながら答える。


「はいはい、お姫様のおおせのままに」


 野盗たちの死体をかがり火から離れた場所に集めていくレンツを見ながら、ニーナがクロティルデに尋ねる。


「レンツさん、何者なの?」


「わからないわ。でも決して油断はしないで。退魔師バンヴィルカーの私ですら知らなかった知識を持つ人間なんて、この大陸にはほとんどいないわ」


「ほとんどってことは、心当たりはあるの?」


 しばらくレンツを見つめていたクロティルデが、ぼそりとつぶやく。


「聖教会の人間かもしれない。元々、退魔師バンヴィルカーの技術や魔法は聖神様、つまり聖教会と強いつながりがあるの。お父様が聖教会と協力して作り上げたのが、退魔技術よ」


 ニーナがベンチに腰を下ろしながら尋ねる。


「なぜ王様が退魔技術なんて作ったの? 『悪竜ニド・ヘグ』を滅ぼすため?」


 クロティルデが懐に魔導銃カラミテートをしまいながら答える。


「その前、十年前の戦争で必要だったらしいわ。詳しいことは教えてくださらないけれど。当時の技術を生かして、八年前に発足したのが退魔協会アドラーズ・ヴァハトよ。戦争終結後、『悪竜ニド・ヘグ』が発生するようになったんですって」


 野盗たちの死体を片付け終わったレンツが、ベンチまで歩いてきながら告げる。


「十年前、大陸にいた『緋色の賢者ミーミル』を駆逐するための戦争が起こった。彼らは『嵐の魔眼ストルム』を目に宿し、強い力で大陸の政治に介入していたらしい。それを憂慮したクヴェルバウムの国王が聖教会と作り上げたのが『天空の大鎌アドラー・フリューゲル』だ。当時は五百人を超える退魔師バンヴィルカーが選抜され、大陸各地で『緋色の賢者ミーミル』を駆逐して回ったそうだ」


 クロティルデが警戒心をあらわにした視線をレンツに向けた。


「……あなた、なぜそれを知ってるの?」


 レンツがまた肩をすくめ、おどけて笑ってみせた。


「昔、退魔師バンヴィルカーから聞いたのさ」


 しばらく睨み合っていたクロティルデが、ため息をついて告げる。


「あなたを詮索するだけ、無駄みたいね」


「ご理解いただき、光栄に存じます」


 険悪な空気の中、ニーナはおどおどとクロティルデに尋ねる。


「ねぇティルデ、この後どうするの? この町で休んでいく?」


「そうね。一日は休ませてもらうわ。野盗の説明はレンツに任せなさい。私が回復したら、次の町に向かうわよ。宿場町を経由して、二日あればブルートフルスへ戻れる」


 ニーナがレンツに振り向いて尋ねる。


「レンツさん、お願いしてもいいですか?」


「ああ、任せておけ」


 クロティルデはニーナの肩に頭を預け、ため息をついた。ニーナはそんなクロティルデの手を握り、嬉しそうに微笑んでいる。二人を見守りながら、レンツはどこか遠い目をして明け方を待った。

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