第4章 安息の場所
第20話 退去命令
カルターシュネー領にある領主の館で、領主であるカルターシュネー伯爵は応接間にいた。鮮やかな金髪の伯爵は、朗らかな笑顔で正面に座る男に話しかける。
「それで、君も招待状がほしいということでいいのかな? 今回は飛び入りが多いね。聖教会からもツェールト司祭がゲストを呼びたいと招待状をせがんできた。平民の子供らしいが、誰を連れてくるつもりなのやら」
正面にいるのは、シールド型の遮光グラスで目を隠し、艶やかな銀髪を撫でつけている神経質そうな男だった。角ばった顔に笑みを浮かべ、カルターシュネー伯爵に答える。
「おや、聖教会からもか。奇遇だね。私もツェールト司祭に呼ばれてね。会わせたい人間がいると聞いていたが、もしかするとそのゲストなのかな?」
カルターシュネー伯爵がニコリと微笑んでワイングラスを顔に近づけて香りを楽しんだ。
「だとしても、平民がドレスコードをクリアできるのかな? 私は狭量な方ではないが、さすがにみすぼらしい格好で夜会に出席させるわけにはいかないよ」
「そこは司祭がなんとか手配するんじゃないか? 我々が普段から寄付金を潤沢に与えてるんだ。懐が寂しいということはあるまい」
「だといいんだがね……ところで、司祭から新しい
銀髪の男――ウーゼ子爵がニヤリと笑い、ワイングラスを
「いいね、最高級品じゃないか。あそこのワインは味がまろやかでコクがある。ぜひご相伴に預かりたいね」
カルターシュネー伯爵が指を鳴らすと、そばで控えていた侍従が部屋の外に出ていった。二人きりになった部屋の中で、ウーゼ子爵が笑みをたたえて告げる。
「少し、城下町の治安を乱すことになる。お目こぼしを頂けるかな?」
カルターシュネー伯爵が左眉を上げてウーゼ子爵を見つめた。
「……君のところの兵を使うつもりかい? 市民に被害を出さないなら構わないが」
「大きな被害は出さないが、相手の出方次第だな。なに、死人は出さないさ」
伯爵が両手を組んでため息をついた。
「まぁ、事前に教えてくれるなら善処はするが。あまり治安を乱してくれるなよ?」
「助かるよ。少し、興味深い話を聞いてね。私としても研究を進めるのに必要なんだ」
ウーゼ子爵が楽しげに笑みをこぼした。カルターシュネー伯爵がワイングラスを
「君にはいつも助けられている。だが君の兵は物騒だからな。揉め事は極力控えてくれ」
「ああ、わかってるとも」
扉がノックされ、侍従がワインのボトルを手に持って戻ってきた。カルターシュネー伯爵とウーゼ子爵は、最高級といわれるワインをグラスに注ぎ、その味を楽しみ出した。
****
宿に帰ったクロティルデは、宿屋の二階でブラウスを脱ぎ、ニーナに濡れ布巾で腕から血糊を拭き取ってもらっていた。
「ティルデ、痛くない?」
顔をしかめるティルデが、笑みを浮かべて答える。
「しばらく右腕は使えそうにないわね。魔法で血を止めることはできても、骨までは癒せないわ。銃弾が肩を貫通したとき、骨を痛めたみたい」
血を拭い去ったクロティルデの右肩には、うっすらと銃創が残っている。それを見たニーナが、眉をひそめて肩を落とした。
「ごめんなさい、ティルデ。
「構わないわ。あなたには私を殺す権利がある。心臓を狙ってもよかったのよ? どうして命を奪わなかったか、聞いてもいいかしら」
「――あなたを殺すなんて、今の私にはできないわ! お母さんの事情まで聴いてしまったなら、なおのことよ!」
クロティルデが小首をかしげてニーナを見つめた。
「でも、あなたの大切な人を『救済』したのは私よ? 憎いとは思わないの?」
「それは――憎くないと言えば、嘘になるわ。フォルカーは大切な
「そうね、あなたにはまだ力が足りないわ。どこかの町に定住できればいいんでしょうけれど、手に職がないなら、収入がないものね。
ニーナが呆れたように息をついた。
「まだそんなことを言ってるの? 私に
「でも、それ以外でお金を稼ぐとなったら、町で体を売るぐらいしかないわよ? 娼館でなら、技術も知識も求められない。商人の店で働くには
「……私の体なんて、売れるのかしら」
クロティルデは床に視線を落として冷笑を浮かべた。
「女であれば売れるのよ。若ければ若いほど高値がつくらしいわ。汚らわしいことにね? この国の商人は消耗していて、人を雇う余裕がある店は少なそうだった。野盗が多い影響でしょうね。治安が回復するまで、まともな店で職を得るのは難しいと思うわ」
ニーナが憂鬱そうにため息をついた。
「領主様は何をしてるのかな。野盗討伐の話も聞かないし……」
クロティルデが着替えのブラウスを取り出し、着込んでいった。
「二年前の戦争が尾を引いてるのね。領主も兵を消耗して、治安維持に回す余裕がないんじゃないかしら。税収もしばらく落ち込むでしょうし、まだ数年はかかると思うわよ? 夜会で会ったら、文句でも言ってやればいいじゃない」
「私が領主様になんて、何も言えるわけがないじゃない。貴族の中の、とても偉い人なのよ?」
「あら、王女である私とは話せてるじゃない? 領主程度はなんてことはないわ」
「ティルデは別よ! ――もう、意地悪!」
頬を膨らませるニーナを見て、クロティルデが笑みをこぼした。
「確か領主は、カルターシュネー伯爵だったかしらね。まともな貴族だといいんだけど」
着替え終わったクロティルデが身なりを整え、ニーナに告げる。
「さぁ、夕食を食べに行きましょう」
クロティルデが差し出した左手を取り、ニーナが立ち上がった。二人が部屋を出ると、外の廊下でレンツが壁にもたれかかって待っていた。
「お、やっと出てきたな」
クロティルデが白い目でレンツを睨み付ける。
「なぜあなたがここにいるのか、伺っても構わない? 宿屋の前で別れたはずなのだけれど」
「クロティルデ、あんた右腕が使えないだろ? 護衛について行ってやるよ。ブルートフルスまで、ニーナ一人じゃ危なっかしい」
ニーナが顔をほころばせて喜んだ。
「ほんとですか! ありがとうございます!」
クロティルデは不機嫌そうにレンツから視線をそらした。
「不要よ。私とニーナだけで対応できるわ。レンツはさっさとブルートフルスへ行きなさい。私たちは傷が治るまで、この町にいるわ。あと二、三日もあれば、腕は動かせるようになるもの」
レンツを無視して、クロティルデはニーナの腕を引いて歩き出した。その後ろをレンツは朗らかな笑みを浮かべてついて行く。三人が一階の酒場に降り、一つの席に座り込む。同席したレンツをクロティルデが睨み付け、刺々しく告げる。
「なぜあなたがそこに座ってるのかしら」
「飯ぐらい、いいじゃないか。なんならおごるぞ?」
「結構よ。別のテーブルに行ってくださる?」
ニーナがクロティルデに笑みを浮かべて告げる。
「いいじゃない! 食事は人が多い方が楽しいわよ?」
クロティルデはため息をついて、酒場の主人を呼びつけて注文を出した。
クロティルデたちの元に夕食が運び込まれ、レンツが豚肉のローストをナイフで切り落とし、取り皿に分けていく。クロティルデは不機嫌そうな顔でパンをちぎり、スープに浸して口にしていった。右手をほとんど使わないクロティルデを見て、ニーナが眉をひそめる。
「ティルデ、そんなに痛いの?」
「大したことじゃないわ。食事で無理をしたくないだけよ」
申し訳なさそうにしょげ返るニーナに、レンツが微笑んだ。
「大丈夫、
クロティルデは真顔でレンツを見つめて尋ねる。
「あなた、ずいぶんと詳しいわよね。なぜ
「昔、
「どうだか……」
酒場の入り口が乱暴に開かれ、外から兵士が三人入ってきた。彼らは店内を見回し、クロティルデの姿を見つけると足早に近づいてくる。左手でパンをぎこちなく食べるクロティルデの元に辿り着いた兵士が、冷たい声で告げる。
「
「そうだけど、何か御用?」
「町長命令だ。迅速に町から出ていってもらいたい」
クロティルデが食事の手を止め、兵士の顔を見つめた。兵士たちは怯える様子もなく書類を取り出し、クロティルデに広げて見せつけた。そこには確かに『退去命令』という文字と町長の署名が記されている。
「……理由を聞いても?」
「自分の胸に聞いてみろ。町長夫人を殺害しておいて、町に居座れると思っているのか」
ニーナがうろたえながら兵士に尋ねる。
「あの! それっていつまでとか、決まってるんですか?」
「今夜中に出ていかなければ、町長夫人殺害の罪で捕縛するように命じられている」
クロティルデが兵士たちを睨み付けながら告げる。
「
「全て把握しておられるとのことだ。我々も町を滅ぼしたくはない。是が非でも協力してもらう」
ニーナが慌ててクロティルデに振り向いた。
「どうするの?! ティルデ!」
「……どうもこうもないわね。別に珍しいことではないわ。ここで逆らっても、町に被害が出るだけよ。食事を済ませたら出発しましょう」
兵士たちは書類を丸めて懐にしまうと、クロティルデに敬礼をして去っていった。それを見送ったレンツが、テーブルに肘をつきながらつぶやく。
「やれやれ、狭量なことだな。町長がこれじゃ、
ニーナが心細そうにレンツに尋ねる。
「後始末って……まだなにかあるんですか?」
「被害者たちの埋葬と、害獣たちの死体の始末だよ。ぜいたくを言えば、しばらくは巣穴跡の周辺をパトロールするべきだ。はぐれた個体が戻ってこないとも限らん。見張りを置いておいた方が安全なんだが、そこまで頭が回るかな」
クロティルデが食事を再開しながら告げる。
「あとのことは知ったことではないわ。追い出したいというなら、従うまでよ――ほら、ニーナも早く食べてしまいなさい」
「うん……」
クロティルデたちは言葉少なく、静かに食事を済ませていった。
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