第18話 蜂蜜酒

 クロティルデたちを乗せた馬車が、宿屋の前で止まった。ローガーが御者台から飛び降り、宿の中に入っていく。馬車の中ではニーナがまだ声を上げて泣き続けていて、傭兵たちはその様子を気遣いながら黙り込んでいた。馬車に戻ってきたローガーが、言いづらそうに告げる。


「あーその、なんだ。部屋は空いてるらしい。嬢ちゃんは部屋で休ませるのが一番だろう。暖かい飯でも食って、きちんと寝ればマシにはなる。俺たちが一緒なら、飯も酒場で食えるだろう?」


 クロティルデが頷いて答える。


「そうした方が良さそうね――ほら、ニーナ。立てるかしら? まずは部屋に荷物を置きに行きましょう」


 なんとか泣き止んだニーナが、力なく頷いた。しゃくりあげながらもよたよたと立ち上がり、クロティルデに支えられながら馬車を降りる。二人はローガーの後に続いて宿屋に入り、姿を消した。残った傭兵たちも馬車を降り、ため息をつく。


「まぁ、嬢ちゃんには酷な話だったな。俺たちでもキツイ話だ」


「レンツの野郎も、顔をしかめながら『処置』していた。あいつだって平気だったわけじゃないだろう。まったく、とんでもねぇ害獣だぜ。『野猪の民シュラート』って奴はよ!」


 別の傭兵が御者台に向かいながら告げる。


「その話はもう忘れようぜ。酒でも飲んで、パーッとな。俺は馬車を裏に置いてくる」


 頷いた三人の傭兵たちも、宿屋の中へ消えていった。御者台に座った傭兵が一人、ぽつりとつぶやく。


「あの嬢ちゃん、壊れねーといいがな」


 傭兵は馬を操り馬車を反転させ、宿屋の裏手へ移動させていった。





****


 二階にある一室の中で、ニーナはベッドに座り込んでいた。涙は止まっていたが、表情は暗い。それを見たクロティルデがニーナの隣に腰を下ろし、彼女を片手で抱きしめた。


「今は忘れなさい。あなたにはまだ早すぎる世界よ。きちんと食べて、ちゃんと眠って。眠ることで癒されるものもあるの。考え過ぎないで、今を生きなさい」


 ニーナがぽつりとつぶやく。


「ティルデの『救済』って、こういうことなの? その人の苦しみを終わらせることが『救済』なの? あんなにおぞましい結果を終わらせることと、『悪竜ニド・ヘグ』になった人を終わらせることは、同じことなの?」


 クロティルデは目を伏せた。わずかな沈黙のあと、口を開く。


「全く同じではないわね。私の『救済』は聖神様の救いだもの。その魂は聖神様のもとへ運ばれるわ。穢れをすべて浄化してもらって、冥界に運ばれる。『助からない人たちを終わらせる』のとは、少し話が違うのよ」


「……やっぱり、私には違いが分からない。確かに今回の被害者たちは、救済が必要だった。生きていても苦しみしか残らないのも、なんとなくわかる。でも、『悪竜ニド・ヘグ』になるって、そんなに取り返しがつかないことなの?」


「私はそう教えられてるし、事実として『悪竜ニド・ヘグ』が元の人間になったという話も聞いてないわ。いろんな人たちに聞いても、結果は変わらなかった。だから私はそう信じているし、聖神様の奇跡である『天空の大鎌アドラー・フリューゲル』でなら、必ず魂が救われると思ってる。それが虚偽だとすれば、私はそれを許しはしない」


 ニーナがクロティルデの顔を見つめ、小さく頷いた。


「今はその言葉を信じるわ。でも私、今夜は食欲がないの。夕食はティルデだけで行ってきて」


「だーめ。あなたはきちんと食べなさい。食事を取らないでいると、考えが悪い方向に向かってしまうわ。少しでも口にして、明日を生きる力に変えなさい――ほら、立てる?」


 立ち上がったクロティルデに支えられ、ニーナがベッドから降りた。虚ろな目をしたニーナは、クロティルデに支えられながら部屋を後にした。





****


 宿屋の一階にある酒場の片隅で、クロティルデたちは食事を取っていた。賑やかな酒場は酔っ払いたちの声で溢れ、明るい空気で満ちている。ニーナは木のスプーンをスープの皿に差し込んだまま、ぼんやりと皿に視線を落としていた。ローガーがミードを注文し、届いた杯をニーナの前に置く。


「それでも飲んで、悪いことは忘れちまえ。酒精は弱いが、嬢ちゃんには丁度いいだろう」


 そう言ったローガーは、ジョッキに入ったエールを飲み干していた。ほかの傭兵たちも食べるよりも酒で胃を満たしながら、段々と陽気になっていく。


「――ふぅ、美味い! やっぱりこういう日は酒が一番だな!」


「なんにせよ、仕事は終わったんだ。あとは町長から依頼料を受け取って、ブルートフルスに帰るだけだな」


 クロティルデはパンをちぎってスープに浸しながら、ローガーに告げる。


「私とニーナは、もう少し町に残るわ。今のニーナでは、旅に耐えられないもの。何日かかるか分からないけど、私たちの取り分は協会に送付しておいてもらえるかしら」


 ローガーがきょとんとした顔でクロティルデを見つめた。


「そりゃ構わねーけどよ。町に残ってもいいことはねーんじゃねーか?」


「そうでもないわ。人々の普通の生活の空気に触れているだけでも、癒されるものはあるものよ? 息苦しい馬車の中にいては、余計にふさぎ込んでしまうもの」


 ローガーはジョッキを片手にニーナに視線を向けた。


「そういうもんかねぇ……二日の旅にも耐えられんとは思わんが。ニーナも退魔師バンヴィルカーなんじゃないのか? それで退魔師バンヴィルカーが務まるのか?」


「この子は正式な退魔師バンヴィルカーではないの。今はまだ、私の弟子のようなものね。いつかは退魔師バンヴィルカーになるかもしれないし、ならないかもしれない。そういう不安定な立場の子なのよ」


 スープの皿を見つめていたニーナが口を開く。


「……私に退魔師バンヴィルカーなんて務まらないわ。でも、どう生きたらいいのかもわからない」


 クロティルデが微笑みながら告げる。


「だから、今は考えるのはやめなさい。まずは食べて。考えるのは、いつでもできるわ。あなたにはまだ、時間があるもの。焦る必要はないの」


 小さく頷いたニーナが、ミードの入ったコップを手に取った。両手で持ったコップを、勢いよくあおる。あっという間に空になったコップを机に叩きつけ、ニーナが告げる。


「もっとお酒を頂戴! 忘れられるくらい、たくさん!」


 苦笑いしたローガーが、ミードのおかわりを注文した。新たに届いたミードも、ニーナはあっという間に飲み干していく。顔が赤くなったニーナを見て、傭兵が笑った。


「嬢ちゃん、ミードで酔うなんて酒が弱いな?」


「ほっといて! まだ飲み足りないわ! もっと強いお酒はないの?!」


 ローガーが新しいミードのコップをニーナの前に置きながら告げる。


「嬢ちゃんはミードで我慢しておけ。蜂蜜で甘い分、飲みやすいだろう?」


「美味しいけど! なんだかお腹が減ってきたわ! もっとお肉とかないのかしら!」


 ニーナがパンを乱暴に口に放り込み、ミードで流し込んでいく。テーブル中央に置かれた鳥の丸焼きを、ローガーがナイフで切り取って皿に取り分け、ニーナの前に置いた。ニーナはそれも口に運んでいき、乱暴に咀嚼したあと、ミードで流し込む。その様子を見ていたクロティルデが、苦笑を浮かべながら告げる。


「少しは良くなってきたみたいね。食欲が出てきたなら、心配はいらないわ。今はお酒の力を借りてでも食べておきなさい」


 クロティルデは水で喉を潤しながら、サラダや肉に手を付けていく。上品に料理を口に運ぶ様子を見て、傭兵が尋ねる。


「嬢ちゃん、えらい気取った食い方をするんだな。退魔師バンヴィルカーってのは、みんなそんな食い方をするのか?」


「放っておいて頂戴。どんな食べ方をしようと、人の勝手でしょう?」


 別の傭兵が陽気に笑い声をあげた。


「ちげぇねぇ! 腹に入ればみんな同じだ! さぁ、今日は生きて帰れたことを祝おうじゃねぇか! 乾杯!」


 乾杯の声が続き、傭兵たちがジョッキを突き合わせた。ニーナは黙々と食べ物を口に運び続け、ミードで流し込んでいった。クロティルデは賑やかになったテーブルで、静かにニーナの世話を焼き続けた。





****


 部屋に帰ったクロティルデは、酔い潰れたニーナを肩に担いでいた。そのままベッドに寝かせ、自分もベッドに腰を下ろす。


「――ふぅ。飲みすぎよ、ニーナ」


「もっと飲む~」


「だーめ。それ以上は二日酔いになるわ」


 ニーナに布団をかぶせたあと、クロティルデもいそいそとベッドにもぐりこむ。ニーナの胸に顔をうずめたクロティルデが、ぽつりとつぶやく。


「……お酒臭いわ。本当に飲みすぎね」


 反射的にニーナの腕が、クロティルデの頭を抱え込んだ。腕に力を込めて抱き着いたニーナが、クロティルデの耳元で告げる。


「私、こんなつらい世界は嫌よ」


 クロティルデの目がわずかに見開かれ、彼女の腕もニーナを強く抱きしめた。


「……そうね、世の中はつらいことだらけ。でも私たちは生きてるし、生きてる限りは楽しいこともあるわ。世界を変えられなくても、頑張って生きていきましょう」


 ニーナからは返事がなかった。抱き着く力を緩めないまま、彼女は意識を夢の中に飛ばしていた。二人は互いの体温で傷を慰めあうかのように眠りについた。





****


 翌日、傭兵たちが宿から出発していった。それを見送ったニーナが、隣のクロティルデに尋ねる。


「今日はどうするの? まだ宿泊するのでしょう?」


「少し、町を歩いてみましょうか。それはそれとして――どうしてあなたがここにいるのか、説明をしてもらえる?」


 クロティルデの視線が、隣にたたずむレンツに向けられた。レンツはきょとんとした顔で答える。


「理由? あんたらが心配だから、じゃダメか? 俺も次はブルートフルスに用があるんだが、ニーナを放置して旅を続ける気にもなれん。それなら一緒に町に戻らないか?」


 クロティルデが目を細めてレンツを見つめた。


「……それなら傭兵たちの馬車に乗ればよかったじゃない。私たちは大丈夫よ、私は旅慣れてるし、ニーナのことも心配はいらないわ」


「そうは言うが、あんたも魔力が完全に回復してないだろう? あれだけ森で暴れたんだ。回復まで二、三日はかかる。万全じゃないあんたを放置するのも、俺の信条に反する」


「あら、どんな信条なのかしら。伺っても構わない?」


 レンツが明るい笑顔で右手の親指を上げた。


「助けられる奴は助ける! それが俺の信条だ!」


 ニーナがクロティルデの顔を見て、不安そうに尋ねる。


「ティルデ、まだ本調子じゃないの? 大丈夫?」


 クロティルデはニーナに微笑みを向けて答える。


「大丈夫よ、普段より魔力を込めて魔導銃カラミテートを撃っていただけだもの。さすがにあれだけの群れだったから、手加減もできなかったし。ニーナはすごいわね、魔力切れの様子も見られないわ。やっぱりあなた、退魔師バンヴィルカーになるべきよ」


「えー、私に退魔師バンヴィルカーは務まらないわよ。ほかの弟子を当たってもらえない?」


 レンツが気まずそうに告げる。


「あー、俺の同行は許してもらえるのかな?」


 クロティルデがレンツに視線を送りながらニーナに尋ねる。


「……どうする? ニーナ」


「私は構わないと思うけど。悪い人には見えないし」


 クロティルデが盛大にため息をついた。


「あなた、そのお人好しは早めに治しなさいね? ――じゃあレンツ、あなたの同行を認めるわ。一緒に町を散策しましょうか」


 頷いたレンツと共に、クロティルデたちが歩き始めた。人で賑わう繁華街に向け、三人は歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る