第13話 不安な出発
昼食の時間になり、食堂にやってきたクロティルデがニーナを連れてカウンターに告げる。
「ねぇ、リンゴは残ってるかしら。あったらジュースにしてほしいのだけれど」
カウンターの中の食堂職員が笑顔で頷いた。
「まだあるわよ――ねぇちょっと! リンゴジュースを二つ作って!」
奥にいた食堂職員が頷き、厨房の奥に消えていった。食堂職員がスープを皿によそい、クロティルデたちのトレーに乗せていく。さらに追加でパンを乗せたかごが乗せられると、厨房から男性の食堂職員が木製のコップを二つ持ってカウンターに駆け寄ってくる。
「はいよ、お待たせ!」
トレーには透き通ったリンゴの果汁で満ちたコップが置かれた。それを確認したクロティルデが、笑顔で「ありがとう」と告げて席へ向かっていく。ニーナは暗い顔でその背中を追い、六人掛けの席に腰を下ろした。
トレーを前にしながら、憂鬱そうにうつむくニーナにクロティルデが告げる。
「どうしたの? 楽しみにしていた果実の飲み物よ?」
「だって……食事をしたら出発なのでしょう?」
「そうよ? だから英気を養ってるんじゃない。大丈夫、私がついてるわ。最悪の場合でも、あなたの尊厳が汚される前に命を絶ってあげるから」
「――そこは『必ず守る』って言ってくれない?!」
クスクスと笑うクロティルデがパンをちぎりながら答える。
「だーめ。そんな安心感があったら、必死になれないでしょう? 自分の身は自分で守る。それができなければ、本当に蹂躙される人生が待ってるわ。今のうちに、その力を養っておきなさい」
ニーナが深いため息をつきながらコップを手にして、リンゴジュースを口にした。
「――なにこれ! 美味しい!」
顔をほころばせて喜ぶニーナが、楽しげにジュースを飲んでいく。その様子を微笑ましげに眺めながら、クロティルデが尋ねる。
「美味しい?」
「とっても! これ、おかわりあるのかな!」
「さすがにもうないと思うわよ? でも、聞くだけ聞いてみたら?」
「そうするわ!」
ジュースを飲みほしたニーナが笑顔で立ち上がり、コップを片手にカウンターに向かって駆けていく。その背中を見たクロティルデは、微笑みながら息をついた。
「まだまだお子様ね。本当に大丈夫かしら……」
カウンターで食堂職員と言葉を交わしたニーナが、しょげ返りながら席に戻ってくる。その様子を見ながら、クロティルデはスープに浸したパンを口に運んでいった。
****
クロティルデたちが支部の外に出ると、一台の幌馬車が止まっていた。その前ではローガーが不機嫌そうに腕を組んで立っている。
「遅いぞお前たち。いつまで待たせる気だ」
クロティルデが微笑みながら答える。
「ごめんなさいね。少し準備に手間取っちゃって。それで、結局五人だけなのかしら」
「ああ、馬車にいる四人と俺、あわせて五人。あんたらを数に入れていいなら七人だが……入れてもいいものか。ここで引き返す選択肢は?」
「五人の傭兵だけで、百体の
ため息をついたローガーが右手を出して告げる。
「改めて自己紹介だ。俺はローガー、剣士だ。幌馬車にいるのも剣士ばかり。戦場の経験は何度かあるが、
「私は
ローガーが怪訝な目つきでクロティルデを見下ろした。
「先輩、ね。頼れる先輩を得たことを、聖神に感謝しておこう――死ぬなよ」
そういうと、ローガーが幌馬車の御者席に乗り込んだ。クロティルデはニーナの手を引き、幌馬車の後ろから中に乗り込んでいく。馬車の中では深刻な顔をした傭兵が四人、座り込んでいた。誰も彼も、死を覚悟している表情だ。クロティルデはニーナを端に座らせ、自分はその隣に座り込んでマントで足を隠した。
「なんだかみんな暗いわね。でも、害獣退治に命を懸ける心意気は買ってあげる。せいぜい死なないように気を付けておくことね。軽傷なら治してあげられるわ」
傭兵の一人が険しい顔でクロティルデを睨み付けた。
「なんで子供が参加してるんだ! 親は何をやってる!」
「お父様なら本国でお仕事をしてらっしゃるし、お母様は三年前に亡くなったわ。それに私は十六歳、立派な年だと思うのだけれど」
「――十六?! 十二歳の間違いじゃないのか!」
不機嫌な顔になったクロティルデが、傭兵から視線を外して答える。
「侮りたいなら好きになさい。でもせいぜい、私たちの足を引っ張らないでね」
「それはこっちのセリフだ!
ニーナが心細そうにクロティルデの手を握った。
「ねぇティルデ、本当に行くの?」
馬車が走り出し、ゆっくりと速度を上げていく。クロティルデはニーナの手を握り返しながら、微笑んで答える。
「もう走り出してしまったわ。腹をくくりなさい」
小さく頷いたニーナは、青い顔で膝を抱えた。その足は小刻みに震えている。周囲の傭兵たちも、恐怖を押し殺すので必死のようだ。
馬車はブルートフルスの町を出て、北東に伸びる街道を駆けていった。
****
日が落ちる頃、宿場町に着いた馬車が宿の前で止まる。馬車から降りたクロティルデとニーナが、ローガーに尋ねる。
「明日の出発時刻は?」
「朝六時、それで次の宿場町に着くはずだ。あんたら、宿代はあるのか?」
クロティルデがニコリと微笑んで答える。
「ご心配ありがとう。大丈夫よ、路銀はあるわ」
「ならいいがな……なぁ、本当に引き返さなくていいのか?」
呆れたようにクロティルデがため息をついた。
「あなたたち、しつこいわよ? 少しは先輩を敬いなさい?」
「そうはいっても、あんたらどう見ても強そうに見えないしなぁ」
「現場に着けば嫌でもわかるわ。それじゃあ私はニーナと一部屋を取るから」
それだけ言い残すと、クロティルデはニーナと共に宿の中に消えていった。幌馬車から降りた傭兵たちが、ローガーに詰め寄る。
「おいローガー! 話が違うぜ!
「……あの嬢ちゃんも
「実質、五人で百体かよ! ったく、忌々しい害獣どもだ!」
吐き捨てるように言った傭兵に、ローガーが苦笑で告げる。
「忌々しいからこそ、早いうちに駆除しておかないとな。民衆に被害が出てからでは遅い。俺の誘いに応じてくれる傭兵がもっと多ければよかったんだが……すまん」
別の傭兵がローガーの背を叩いた。
「言いっこなしだ! いいじゃねぇか、人助けで命を落とすのも! 戦場で死ぬのと変わらねぇよ! あの嬢ちゃんたちを救えねぇのが心残りだがな。自分たちで死にに行くんだ。自業自得と思ってもらうしかねぇな」
「ちげぇねぇ。ローガーが気にすることじゃねぇさ」
だが、
****
エーヴェンバルトの町はずれで、一人でロングソードを振る男がいた。明るい金髪をしたその青年はまだ若く、左目を隠すように長い前髪をしている。ゆっくりと型を確認するようにする青年の剣先に、空から一羽の白い鳥が舞い降りてきた。
白い鳥を蜂蜜のような琥珀色の瞳で見つめる青年が、鳥に手を差し伸べる。白い鳥は青年の手に留まり、満足そうに鳩のような鳴き声を上げた。青年がロングソードを持つ手で、鳥の足に括り付けられている書簡から手紙を取り出す。鳥は満足したように一声鳴き、夜空へ飛び立っていった。
白い鳥を見上げて見送った青年が、手紙に目を走らせる。
「……勝手なことを」
くしゃりと手紙を握りつぶした青年は、それを宙に放り投げてロングソードで細切れにしていった。ロングソードを腰の鞘に納め、青年は静かにエーヴェンバルトの町の奥に戻っていった。
****
宿の部屋を取ったクロティルデが、ニーナの手を引いて扉を開ける。うつむきながら部屋に入ったニーナが、ぽつりとつぶやく。
「ねぇティルデ……一つ聞いてもいい?」
「なにかしら? なんでもいいわよ?」
「――どうして一人部屋を借りるの?!」
部屋の中には、ベッドが一つしかない。クロティルデは荷物を机の上に置き、マントを外してベッドの上に腰掛けた。
「旅費の節約よ。二人部屋を借りてもいいのだけれど、結局一つのベッドで眠ることになるのだし。無駄だから省いただけよ?」
「どうしてそうなるのよ!」
きょとんとしたクロティルデが、ニーナに答える。
「だってあなた、とても心細いのでしょう? 一人で眠れるの?」
「それは……眠れ、ない気がする……」
佇んでいたニーナの手を引き、クロティルデがベッドに座らせた。
「大丈夫、現場まではちゃんと私が守ってあげるから」
「――現場でも守ってくれないかなぁ?!」
「そこは自力で耐えなさい。私がいなくなっても、一人で生きていけるくらいの力を身に着けるの。あなた、もう少し自分のことを理解した方がいいわよ? 魔眼を持っているあなたは、それを隠して生きていかなければいけない。『
うつむいたニーナが空いている手で、右目の眼帯をそっと撫でた。
「これ、一生治らないの?」
「魔眼や聖眼が消えた、という話は聞いたことがないわ。目をえぐり出してしまえば消えるかもしれないけれど、それでは本当に生きていけなくなるわよ?」
「しないわよ、そんなこと! ……でも、それしか手がないってこと?」
クロティルデが肩をすくめて答える。
「ほかの方法を思いつかないだけで、あなたの場合は残った左目が魔眼に変わってしまうかもしれない。だったら一生隠しながら生きていく方法を探すのが賢明ね。幸いあなたの左目は『
「……私なんかに、
「大丈夫よ、私にできてるのだから」
「ティルデは特別だからできてるのよ! 私はただの農家の村娘よ! できるわけ、ないじゃない!」
クロティルデが、ニーナを優しく抱きしめながら背中をさすった。
「私も最初はできると思ってなかった。それでも『やるしかなかった』から、今こうしてここにいるの。大丈夫、経験を重ねればきっと生きていけるようになるわよ」
ニーナはクロティルデに抱きしめられながら、ぽつりと尋ねる。
「ティルデのお母さん、亡くなっていたのね。だからお母さんが恋しいの?」
「……そうかも、知れないわね。十三歳の時だったし、お母様は憧れの女性だった。いつも優しかったし、他人に慈愛を分け隔てなく振りまける人だった。国民に愛された、立派な王妃だったのよ?」
「なんで亡くなってしまったの? 病気? まだ若かったのでしょう?」
「……そうね、病死ということで国葬まで開かれたわ。この胸のリボンは、その時に使った喪服のリボンよ。お母様を決して忘れないように、そばにいてほしくて」
ニーナの視線が、クロティルデのリボンに向けられた。高級生地のレースで編まれたそれは、
「寂しくは……ないの?」
「お母様の魂は救われているもの。私が悲しむ必要はないわ――さぁニーナ、荷物を置いてしまいなさい。明日の朝は早いから、食事をしたらすぐに眠るわよ」
宿屋の一階は食堂兼酒場になっているが、この時間は酔っ払いどもが多く、女子が酒場に行ってもろくな目には合わない。二人は部屋の中で保存食を口にした後、抱き合うようにベッドで横になった。
クロティルデの頭を抱え込んだニーナがつぶやく。
「ティルデ……やっぱり怖いよ」
「大丈夫、あなたならやれるわ」
ニーナの胸に顔をうずめながら、クロティルデが目をつむった。ニーナも彼女の体温を感じながら、黙って目を閉じ、眠れるように努めた。
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