第9話 バスタイム

 聖教会からの帰り道、ニーナがおずおずとクロティルデに尋ねる。


「ねぇ、さっき『領主様の夜会に出る』って聞こえた気がしたんだけど……」


「そう言っていたわね。でもそれがどうしたの?」


「――大ありよ?! 私が、そんな場所に行くと言うの?!」


「声が大きいわ、ニーナ。周りの人が驚いてあなたを見てるわよ?」


 慌てて周囲を見回したニーナが、首をすくめて尋ねる。


「私なんかがいていい場所じゃないわ、そんなの。貴族たちが集まるんでしょ?」


「そうね、浮いてしまうのは避けられないわ。でも気にしなくていいのよ。無作法を笑う人間はどこにでもいるものだし、彼らは相手の失点を探して結局は笑いたいだけだもの。それよりそろそろ夕食時ね。帰ったら食事にして、お風呂に入って寝てしまいましょうか」


 夕闇に染まる空を見上げるクロティルデを見ながら、ニーナは自分の足に装着した汎用魔導銃クライネ・カラミテートをそっと手で触った。


「これも夜会に持っていくの?」


魔導銃カラミテートのことかしら? そうね、あなたは持っていきなさい。私はなくても身を守るすべがあるから大丈夫よ。そのために足に着けさせているのだし」


「でもそれって、銃を抜くときにスカートをめくることにならない?」


「なるわね。だから私には持ち込めないの。いくらなんでも、スカートをたくし上げるなんて淑女のすることじゃないわ。ニーナは淑女じゃないから、それくらいは耐えられるでしょう?」


「耐えられないわよ! 私だって嫌に決まってるでしょう!」


「命と恥、どちらが大事かはその時になればわかるわ。外聞よりも大事なものがあれば、あなたは自然と銃を手に取れるわよ」


 平然と話すクロティルデを見つめながら、ニーナが尋ねる。


「……クロティルデは、命よりも恥を大事に思うの?」


「まさか。でも身を守るすべがあるから大丈夫と言ったでしょう? 恥をかいてまで銃を持ち込む必要がないだけよ――さぁ、支部に着いたわよ。食堂に行きましょう」


 あっという間に支部に到着したクロティルデが、支部の扉をくぐっていく。ニーナは一瞬ためらってから、その背中を追った。





****


 午後五時を過ぎた食堂は閑散としていた。食事をする人間が他にいない中で、クロティルデとニーナは木製のトレーをテーブルに置いて隣り合って座り、パンを口にしていた。


「夕食までふかふかのパンだなんて……なんてぜいたくなの!」


「大げさね。毎回焼き立てなのだから、柔らかいのは当たり前のことよ」


「でも、夕食時なのに人がいないのね」


「職員たちの大半は午後五時で帰宅するわ。残るのは衛兵たちと、彼らに食事をふるまう食堂職員たちだけ。この時間は倉庫も使えないから、物資の補充をするなら早めにしておきなさい」


 ニーナがシチューにパンを浸し、味わいながら頷いた。スプーンで肉をすくい、何度も味わうように噛みしめる。


「――はぁ。またお肉が食べられるなんて。なんて恵まれた食生活なの? 退魔協会アドラーズ・ヴァハトはずるくない?」


「ずるいわけではないわ。きちんと収入源を持って支部を運営しているだけよ。この町の規模なら、裕福な家庭はどこもこのくらい当たり前よ」


「ずるいわよ! 私たち農民はお肉なんて年に数回しか食べられないわ! 豆と野菜とパンで生きていくし、この季節は一番食料が不足して大変なんだから!」


「貧富の差はどうしようもないわね。それよりニーナ、あなた髪に魔力痕が染みついてるわね。隣にいても匂うわ。あとできちんと洗い流さないとね」


 慌ててニーナが自分の髪の匂いを嗅ぎだした。小首をかしげながら、クロティルデに尋ねる。


「そんなに強い匂いかしら?」


「匂いの中心にあなたがいるから、自分では気づけなくなっているだけよ。敏感な人なら五メートル先でも気づいてしまうわ――もっとも、魔導銃カラミテートの魔力痕なんて、知っている人間は限られてるけれどね」


 眉尻を下げたニーナが肩を落とした。


「乙女に『臭い』っていうのはどうかと思うの」


「嫌なら香水でもつけてみる? 少し高いけど、売ってはくれると思うわよ?」


 ニーナがため息をついて答える。


「所持金なんてないわ。無一文で追い出されたら、私も生きていけないわね」


「それならおとなしく退魔師バンヴィルカーになってしまえばいいのよ。少なくともあなたには『風の聖眼クラール・ヴィント』がある。洗礼を受けることは可能なはずよ」


退魔師バンヴィルカーかぁ……でもそれ、一人で旅をしなきゃいけないんでしょう? 私には務まらないわよ」


「あなたには銃の才能があるから、案外なんとかなると思うわよ? 旅をしながら『悪竜ニド・ヘグ』を見つけたら『救済』していくだけ。難しいことじゃないわ」


 ニーナが視線をシチューの皿に落としながら黙り込んだ。クロティルデは静かに食事を続けていく。


「……ねぇティルデ、私に『救済』なんて、できると思ってるの?」


「それを決めるのはあなたよ。私ではないわ」


 しばらく考え込んだニーナは、黙って食事を再開した。二人は無言で夕食を済ませると、食器をカウンターに戻して部屋に向かった。





****


 部屋に戻り、荷物を置いたクロティルデが着替えを取り出して告げる。


「着替えを持ったら浴場へ行くわよ。用意して」


 頷いたニーナも、荷物の中から着替えを取り出していく。それを確認したクロティルデはニーナの背中を押して部屋の外に押し出していった。


「ちょっとティルデ! 押さないで!」


「もたもたしてるからよ。早く入ってしまいましょう」


「わかった、わかったから!」


 クロティルデがニーナを解放すると、二人は静かに共同浴場へ向けて歩いて行った。





****


 共同浴場に入り、服を脱いだクロティルデがそれらを折りたたんで棚に置いていく。積み上げた服を持ってニーナに告げる。


「あなたも脱いだ服をこっちに持ってきて」


 きょとんとしたニーナが、服を手に持ってクロティルデの後を追った。クロティルデは共同浴場の壁際にある四角い箱の前に行くと、その扉を開けて中に衣服を入れた。


「ニーナの服も中に入れなさい」


 頷いたニーナが、下着ごと衣服を中に押し込む。それを確認したクロティルデが扉を閉めると、箱についている操作盤を指で叩いて操作していった。


「ねぇティルデ、これはなんなの?」


「魔導洗濯機よ。退魔技師団ドヴェルグ特製の魔導具ね。一時間くらいで洗浄と脱臭を済ませてしまうの。終われば乾いた状態で衣服が手に入るわ」


「――なにそれ! ずるくない?! この季節の洗濯って大変なのよ! 雪解け水は冷たいんだから!」


 川で洗濯をした経験を語るニーナの頭を撫でながら、クロティルデが告げる。


「はいはい、そうね。普通はそういう生活よね。でも協会支部にはすべて魔導洗濯機が支給されてるわ。太い霊脈と潤沢な水源が必要だから、どこにでも置けるわけではないけれど。裕福な貴族には、売ることもあるらしいわよ?」


「貴族……許すまじ!」


 こぶしを握るニーナがかわいいくしゃみをした。苦笑をするクロティルデがニーナの体の向きを変えて告げる。


「早く温まってしまいましょう――ああ、先に髪の毛を結わいておいてね。お湯に髪の毛をつけないように」


 慣れた様子でクロティルデが自分の髪を頭の上で結わいていく。ニーナも頷いて、自分の髪を頭の上で結わいた。二人は並んで共同浴場内部の扉を開け、浴室に足を踏み入れた。その内部を見て、ニーナが声を上げる。


「――ひろーい! 何人入るの、これ!」


 声を反響させるニーナに、クロティルデが優しく微笑みながら答える。


「二十人くらいと聞いたことがあるわ。さぁ、先に体を洗ってしまいましょう。あなたには退魔技師団ドヴェルグ特製の石鹸と洗髪洗剤の威力を教えてあげる」


 きょとんとするニーナの背中を押し、クロティルデが彼女を壁際に座らせた。ニーナが髪をほどくと、壁際の蛇口からお湯を桶に入れたクロティルデが勢いよくニーナの頭から浴びせていく。


「――あっつーい! 熱いわよティルデ!」


「体が冷えていたのね。もう一回かけるわよ?」


 今度は髪を湿らせるように、クロティルデが丁寧にニーナの頭にお湯をかけていく。木の椅子に座ってされるがままのニーナが尋ねる。


「それで、洗髪洗剤ってなんなの?」


「これよ」


 壁際に備え付けてる容器から中身を手に取ったクロティルデが、それを両手でニーナの髪になじませていく。


「あとは自分で手で揉んでごらんなさい。つやつやの髪になるわよ?」


「……ほんとかしら」


 黙って両手で髪を揉み洗いするニーナの背中を、クロティルデが石鹸で泡立てたタオルで洗い始めた。ニーナは諦めたようにされるがままにされ、髪を洗い終わるとクロティルデから泡のついたタオルを受け取った。


「残りは自分で洗いなさいね」


「言われなくてもそうするわ!」


 クスリと笑みをこぼしたクロティルデが、ニーナの隣に腰を下ろして頭からお湯を浴び、髪をほどいて揉み洗いしていく。ニーナは全身の泡をお湯で洗い流し終わり、自分の髪を触って声を上げる。


「――うわ、本当につやつやになった!」


「だから言ってるじゃない。退魔技師団ドヴェルグの技術力はとんでもないのよ? クヴェルバウム王家が管理する、秘伝の技術の数々だもの。退魔協会アドラーズ・ヴァハト関係者でもなければ、簡単には手に触れることもできないものよ」


 自分の体を洗いだしたクロティルデの背中を、今度はニーナが自分のタオルで洗いだした。


「……どういうつもりかしら」


「別に? ただのお返しよ」


 どこか恥ずかしそうに、クロティルデは黙って背中を洗われていく。


 ――背中だけ見ると、本当に子供みたい。


 ニーナはクロティルデの小さな背中を丁寧に洗いながら、感慨に耽っていた。熟練の退魔師バンヴィルカーだけあって、筋肉はついている。だがそれでも小さな体で無理をしてることは想像に難くなかった。


 クロティルデが泡を洗い落とし、顔の水を切って息をついた。


「じゃあ、湯船に入りましょうか」


 頷くニーナと共に、クロティルデが湯船に肩まで浸かる。並んで湯船に浸かりながら、クロティルデがニーナの体に視線を向けた。


「……なによティルデ。なんで見てるのよ」


「なんでもないわ。お母様もニーナみたいに豊かな体を持った女性だったの。その娘の私が、どうしてこうも貧相なのか、思わず聖神様を呪いそうになるわね」


 自分の胸を見下ろすクロティルデに、ニーナが微笑んで答える。


退魔師バンヴィルカーは体の使い道でもあるの? 色仕掛けとか」


「あるわけがないわ。無駄な肉がない分、動きやすいし身軽だとすら思ってる。だけどこうもお子様体型なのは、王女としてどうかと思うの」


 ――あ、そこは気にしてたんだ。


 天井を見上げたクロティルデが切なげなため息をついた。


「せめてニーナの半分……いえ、一割でいいわ。それくらい女性らしければね」


「使い道がないものがあっても、仕方がないわよ。どうしたの? ティルデらしくないわよ?」


 目をつぶったクロティルデが、首を横に振った。


「なんでもないわ。懐かしい気分になっただけ。昔、お母様とも一緒に入浴していた頃を少し、ね」


 二人は十分に体を温めたあと、湯船から上がり体を備え付けのバスタオルで拭いていった。


「ねぇティルデ、このバスタオルはどうしたらいいの?」


「そこの隅のバスケットに入れておけば、昼間のうちに洗ってもらえるわ。さぁ、風邪をひかないうちに服を着てしまいなさい」


 頷くニーナと共に、クロティルデは着替えに身を包んでいく。着替え終わった二人は魔導洗濯機の前に行き、扉を開けた。中から花の香りがする衣服が出てきて、クロティルデがニーナの服を彼女に手渡す。


「はい、これはあなたの分――どうしたの?」


「え、だってこんなことってあるの? お風呂に入ってる間に洗濯が終わってるなんて!」


 クスリと笑みをこぼしたクロティルデが、ニーナに答える。


「入浴時間次第では、洗濯が間に合わないこともあるわ。だから着替えは忘れず持ってきた方がいいわよ?」


「はーい」


 二人は湯気が立つ体で共同浴場をあとにした。





****


 部屋に戻ったクロティルデは、いそいそとベッドに入り込んだ。それを見たニーナが思わず声を上げる。


「ずっるーい! なんでティルデがベッドで寝るのよ! 私だってベッドがいいわ!」


「あら、それなら一緒に寝ればいいじゃない。私だってソファで寝るのなんて嫌よ。それにこのベッドはそこそこ広いわ。二人ぐらいなら寝られるわよ?」


 眉をひそめてクロティルデを睨み付けたニーナが、思案しながら答える。


「……ねぇティルデ、あなた『そっち』の趣味があったりする?」


「あるわけがないわ。突然なにを言い出すのかしら、この子は」


 腕組みをして悩んだニーナが、荷物の中からダガーナイフを取り出した。


「護身用に持たせてもらうわ! もし襲ってきたら、これで返り討ちにしてやるんだから!」


「ご自由にどうぞ?」


 クスクスと笑うクロティルデを睨み付けながら、ニーナは枕元にダガーナイフを置き、ベッドに入り込んだ。


「――柔らかい! なにこれ、ベッドってこんなに柔らかいの?!」


「この部屋の寝具も退魔技師団ドヴェルグ製品だもの。睡眠の質は戦闘力に関わるわ。当然、最高級の寝心地よ?」


「これを独占しようとしてたの?! ティルデあなた、性格悪くない?!」


「なんのことかしら――じゃあ、おやすみなさい」


 そう言いながら、クロティルデがニーナに抱き着いてその胸に顔をうずめた。思わずニーナがクロティルデを引きはがそうとするが、強い力で張り付いてくる彼女をニーナの力では引きはがせなかった。


「ちょっとティルデ! 『そっち』の趣味はないって言ってたじゃない!」


「ただの抱き枕よ。枕はおとなしく抱き着かれてなさい」


「誰が枕か! ちょっとティルデ! ティルデったら!」


 ニーナの叫びを無視したクロティルデは、そのまま寝息を立て始めた。体ごと抱き着いてくるティルデを見下ろしたニーナは、思わずため息をつく。


「私が寝苦しいじゃない、これ……」


 動きたくても、クロティルデががっしりと抱き着いているので動ける気がしない。動かせるのはせいぜい、首とフリーの両腕くらいだ。


 ――腕が動く?


 ニーナの腕が枕元のダガーナイフに伸びるが、クロティルデに変化はない。


 ――でも、私にできる? こんな子供みたいなティルデを、この手で刺し殺せるの?


 逡巡するニーナはしばらく固まったあと、ダガーナイフから手を離した。そのまま明かりのともった部屋で、静かに目を閉じる。目を閉じれば、なぜかフォルカーの笑顔が浮かんできた。幼い頃から親しんできたフォルカーとの思い出が、走馬灯のようによみがえる。頭を振ったニーナは必死に眠りに入る努力を続けた。





****


 部屋のろうそくが尽き、明かりが消えた。月明かりが差し込むだけの暗い部屋で、ニーナの目が開く。クロティルデは寝息を立てたまま、ニーナにしがみついて胸に顔をうずめていた。ニーナの腕がゆっくりとダガーナイフに伸び、鞘から引き抜いていく。クロティルデを起こさないように慎重に動きながら、その背中――心臓に刃を向けた。


 ――あとは、これを突き刺せばフォルカーの仇を討てる。


 ニーナの腕力でも、ウサギ程度は刺し貫ける。この距離にいるクロティルデの背中なら、心臓まで簡単に届くだろう。ダガーナイフの柄を両手で握りしめ、ゆっくりと切っ先を心臓に向けて進めていく――その刃が、あと少しで届く。その刹那に、クロティルデの口が開いた。


「……お母様、ごめんなさい」


 ニーナの動きが止まった。クロティルデが起きてくる様子はない。寝息を立てている彼女を確認するが、ニーナの手はあと三センチの隙間を埋めることができなかった。


 ――なんで、なんで進まないの!


 歯噛みをしながらニーナは力を込めるが、クロティルデの顔が見えてしまうと、どうしても刃を進めることができない。


 諦めたニーナが小さく息をつき、ダガーナイフを枕元の鞘に戻した。そのまま両手でクロティルデの頭を抱きしめながら、小さくつぶやく。


「なによ、まるで子供そのものじゃない――ねぇティルデ、あなたのように迷わず相手を殺すことなんて、私にできるのかしら。とてもできるとは……思えないの」


 そうつぶやくと、ニーナも静かに寝息を立てだした。静寂の中、時計の音だけが静かに響いていく。ニーナの手から力が抜けた頃、静かにクロティルデの目が薄く開いた。


「……私だって迷うことはあるのよ?」


 その小さなつぶやきは、暗い部屋に吸い込まれるように消えていった。

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